学サー1-25

 蛇や龍についても見てみよう。

 思った通り、これらの伝承は非常に多い。後藤先生までもがいつかの授業でこのワードを取り入れていた。レポートを記す際に調べたからよく覚えている。治水の象徴たり、宅地の安寧あんねいのシンボルたり、一族の繁栄の旗印だったのだと。

 みつきさんは大蛇を何の神だと言っていたっけ。んん、思い出せない。渚のネックレスも蛇にまつわることでないかと。蛇、蛇。蛇の取り憑く逸話だけで枚挙まいきょにいとまがない。渚の元へネックレスに化けた蛇が訪れていたとして、では後藤先生はどのように関わってきたというのだ。蛇の飼い主が先生だったのか? や、蛇というのも恐らくといった話だ。仮定に仮定を重ねてしまっては論拠がおざなりになる。美咲渚の元へ動くネックレスが出現したのだということは事実だ。そこに先生が関わっていたのだとすると? 先生が渚宅に放り込んだか。渚にそういった体質を付与したか。マジで分かんねえて。考えどオカルトの域を出ないのだ。論理も糞もあったものじゃない。そも根拠は何だよ。なぜ渚を狙う。なぜ菊池さん達を消す。なぜ我がサークルを狙う。ネックレスが人間を連れ去るというのか。渚も消える恐れがあるのか。後藤先生はいなくなってしまったが、それでもその異常事態は継続するのか。そして、後藤先生が実は無関係であったということは無いか。先生、僕は先生が、みつきさんの言うような消されなくてはならない悪人にだなんて見えないのです。

 気づけば館内には蛍の光が流れていた。僕は数冊を借り受けて外へ出た。昼と変わらぬ太陽が輝いていた。

 ここからだと上野の部屋が近い。寄れども、当たり前だが彼は不在だ。戸を叩いてみれど誰も応対はしてくれぬ。八月末で前期は終わる。このままならば彼は退学だろうか。僕はポストからはみ出るチラシの束を奥へと押し込んだ。

 前原先輩と共に来てみた際と様子は変わらない。今ではその前原先輩とも連絡がつかない。僕も同様に行方知れずとなってしまうのでないか。早く地元に戻って引きこもっていた方が良いのでないか。僕は大きくかぶりを振る。ペットボトルの水を含むと、温い液体はするりと腹に落ちていった。

 考えは一向にまとまらない。

 僕は日陰を求めてその場から離れる。

 あの時、どうして後藤先生は上野の家になんか来たのだろう。先生は風俗史の担当だ。上野の専攻は農学であり分野が違う。人の文化や営みに農業は欠かせないものだろうが、そうだとして上野に積極的な関わりがあったとは考えづらい。農学の中でもどんな分野が専門だったのだろう。あれだけつるんでいたというに僕は上野が学んでいた内容を何も知らない。歯痒い。

 道の脇に鳥居があった。たしか神明しんめい鳥居というやつだ。後藤先生から学んだ事柄は多い。巨木を組み上げただけのシンプルな構造物の奥を覗き見やると、石の階段が上へと伸びていた。生い茂る樹々のトンネルを登ってみる。百段以上はあるかもしれない。けれど葉の陰の下、爽やかな風が体をくすぐり吹き抜け、先ほどまでの汗はさらりと蒸発していった。たしか道の中央は歩かないようにするのだっけか。神を建前に定めた単なるマナーなのだと先生は言っていた。それでも僕は右に寄って登った。いつからこんな信心深くなったろう。郷に入っては郷に従え。そうしてみたく思ったのだ。

 頂上にはボロボロの建屋がひとつあるだけだった。手水舎ちょうずやに水も無い。振り返ると街が一望できた。大学が見える。商店街が見える。河川港の跡が見える。川の水は加工に失敗した自撮り写真のごとく光が抜かれ白く見えた。とりあえずまた明日だ。また明日調べてみよう。僕も被害に遭うところだったというなら悪夢が何かの示唆だったのかもしれない。どうせ超自然的なものに巻き込まれているのだ。おかしかろうと何でも辿ってみようじゃないか。

 僕はペットボトルの水で手を清めた。作法も何もあったものじゃない。そのまま拝殿に向かい柏手かしわでを鳴らす。風に混じってカレーの匂いが香った気がした。ぐぐぅと腹が情けない音を立てた。

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