十鍋目。過去と迷い

 気づけば、ソファの上で横になっていた。

 温かなオレンジ色のランプが横に添えられている。ティーカップも絨毯も、微かに見える天井の造りも、明らかに我が家ではない。


「ようやく、目を醒ましたのですね」

「……あなたは」


 朦朧とした意識のまま、上半身を起こす。

 目の前にはつややかな髪の女性が半腰になっていた。


「ボクはエシャロッテ。さきほどは、良い闘いをありがとう」

「……っ!」


 私はすぐさま飛び上がって、両手を構えた。しかし相手はあくまでのほほんとした表情で、まったくと言っていいほど敵意が感じられなかった。

 一旦構えを下ろしす。


「……どこが『良い闘い』なのですか。コテンパンにやっておいて」

「ふふっ。いいえ、アンズちゃんは善戦したと思いますよ。普通の冒険者だと、私の粘液を手に浴びるだけで気絶するでしょうから」


 あの剣、毒がついていたんだね。

 なるほど、戦いを公平に進めるために剣を渡したわけじゃないのね。


「まあ、しっかりしたフォームが見たかったからというのもありますよ。お話には聞いていましたが、めったに会えませんでしたから」

「……」

「もう、落ち着きましたか?」


 覗き込むようにして尋ねられ、私は顔をそらす他なかった。


「……はい、おかげさまで。それで、ラーユとモモは?」

「それなら安心してください。多分今元気に遊んでいますよ」


 よかった。


「アンズちゃん。一つ、訊いてもいいですか」


 小さく首を縦に動かした。

 意地っ張りな私を、どうか許してほしい。


「アンズちゃんはどうして、ナビゲーターになろうと思ったのでしょうか。教えてくださいな」


 なんだか教師に諭されている気分で、どことなくむず痒い。

 私は初心にかえるようにして、目をつむった。そのまま、遠い過去に戻るような感覚で。


「……私、ゾンビになる前、病弱だったんですよ」


 もう、何年前の話なのかな。覚えていない。

 ただはっきりとわかることは、生きているときからずっと病を転々として受け取り、色んな人に迷惑をかけ回っていたこと。

 不思議なくらいに病弱で、そのくせ性格もよくなくて。何かがあったらすぐにむすっとして、暗くて病人臭い部屋に閉じこもっていた。

 気づけば熱が上がって、息も荒くなっていって。

 意識もぼんやりとしてきて。

 呼んでも返事がない。一日、二日。胃酸の臭いだけが口の中を這いまわり、鼻先には蠅が止まって。


 ――ああ、私、家ごと捨てられたんだな。


 そう気づいた頃にはすでに重篤状態で、私はそのまま息を引き取った。

 そしてなぜかその一週間後、私は目を醒ましてしまった。醜くただれた顔、骨が露出した腕。その時の私はもう、私ではなかった。


「……でも、両親を嫌う気にはなれなかったんです。一生私の面倒を見れるほど、お金に余裕はありませんでしたから。それよりも弟二人連れて、家を放り去ったほうがマシと思ったのでしょうね」


 だから、家族の思い出なんてない。

 けれどキッチンに出てみると、妙にテカっているものがあった。鍋だった。もしかしたら私の生まれたばかりの頃に、パーティーで使っていたものなのかもしれない。

 わからないけれどなぜか握るとしっくりきて、私はしばらくの間鍋を振り回して遊んでいた。


「それで、ある日家の中に冒険者が突入してきて、私を捕まえたのです。最初は怖かったのですが、あとからわかったんです。……私がいたその街に、もうすぐ天災がやってくるって」


 自分も生き残れるかもわからないようなことに、依頼なしで突っ込む冒険者なんてほとんどいない。それなのに彼らは、一軒一軒家を回って呼びかけと救出を行っていたのだ。


 ほんの数時間後、天に轟く音とともに私が住んでいたその街は溶岩に埋もれた。

 どれほどの死者が出たかはわからない。

 ただわかるのは、もし彼らが居なかったら、もっと犠牲者が増えていたこと。


「あの中で、私を抱えて森を突き抜けた人がいたんですよ。……その人が、ナビゲーターだったんです。もし、私もこんな風に颯爽とみんなを導けたらなって。そう思うと勇気が沸いてきて。だから、それからはナビゲーターを目指すようになったんです」


「……懐かしい話ですね」

「え?」


 何が懐かしいのか聞こうと思ったところで、ドアがノックされた。

 部屋に入ってくるのは、一人の天使。


「アン姉!」

「……ラーユ?ラーユなの?」


 ドアの前に、白いドレスをまとったラーユが立っていた。白いレースにアクセントの色彩が合わさって、どこか儚げな雰囲気を醸し出していた。

 ワンポイントの三つ編みもいつものラーユじゃないみたい。

 これはこれで可愛い。

 よかった。

 元気そうで。


「あのね、アン姉。モモも着替えたよ!」

 ラーユの首元で何かがシューシュー鳴いていると思えば、モモだった。どうやって装丁したのかはわからないが、モモンガ用の紳士服を纏っていた。

 すごいシューシュー言っている。

 嬉しいのかな。

 でも君、その格好だと飛びにくくない?


「ラーユ、――」


 ちょうど、私が立ち上がってラーユたちを迎えに行こうと思った時のこと。


 手を伸ばした私の視界を、影が横切った。


 すさまじい破砕音とともに、埃が充満した。

 壁に、一本の長剣が立っていた。


 エシャロッテさんが飛ばした?違う気がする。

 ラーユがやったはずはない。


 それなら、いったい誰が――。


「……嘘」


 信じられない光景だった。

 剣は壁に刺さったままうごめき、そして布を巻くようにして徐々に成形していった。

 一重、二重。

 やがて輪郭を成し、現れるのは一人のメイド。


 ――間違いない。

 今朝私に道を教えたメイドだ。

 そうか。私は最初から、エシャロッテさんにはめられていたんだね。


 とはいえその場にいた私がそんなことに頭を使う余裕もなく、石化したように固まっていた。

 メイドは言葉を発することもなく、その場にただ静かに佇んでいた。


「ありがとうございますね、マヨ。もう、下がって大丈夫ですよ」

「失礼いたしますぅ」


「あ、あの……エシャロッテさん?」

「まだ、ラーユちゃんは返しませんよ」

「え」


 エシャロッテさんはロングコートを脱いだ。

 現れるのは素肌。しかしその肌は妖艶というよりはむしろ――。

 ぼこり。ぼこり。ぼこり。


「え、エシャロッテさん?」


「アンズちゃん。勝負をしましょう」


 彼女の身体は絶えず変化し、絶え間なく膨張と成長を繰り返していた。背中には渦巻く殻が生え、全身は粘液に覆われていく。


 ――否、正体を現した、と言うべきか。


「ラーユちゃんたちと、合流してみてください。もしも成功したら、ラーユちゃんをお返しします。もし失敗したら――私がいただきましょう」

「……っ」

「さあ、気持ちを、覚悟を私にぶつけてみてくださいな」


「アンズ様ぁ」

 横から声がした。

 先程の、剣に変身できるメイドさんだった。

「……エシャロッテ様は、屈指の強さを持つ『ナビゲーター』でございますぅ。その強さの最も根本的な理由はその剣術……ではありません」


 天井は揺れ、石灰を振り落とした。

 支柱は折れ、砕石となって地に降った。


「エシャロッテ様の一番の強みは――圧倒的な、サイズ感ですよ。……さあ、アンズ様も頑張ってくださいな。せっかくの、『晴れ舞台』ですからねぇ?」


 帯を巻き戻すように、再び剣となったメイドさん。

 軽やかに、私の掌中に収まった。「ファイト!」と応援してくれているのが熱となって伝わってくる。


 次の瞬間。


 部屋を。

 屋敷を。

 曇天を。


 ……私の視界を。



 ――雄大な蝸牛カタツムリだけが、支配した。



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