第6話元女騎士、のお友達

 かつてミラミラミ・クローゼットと呼ばれていた一人の男は、たった今帝都のとある路地裏で一個の氷像になった。睫毛一本、皴の一条にいたるまで精確に表現されていて、素人目からしてもその美術的価値は非常に高いと見える。あるいはそれは素人目だからこその判定であり、プロの中には精巧すぎてかえって価値が下がると鑑定する者もいるかもしれない。なにかにつけ、芸術分野はずぶの素人には理解できない事象が多すぎる。


 さて、そんな氷像の製作者であるところのブリザード・フメールさんは、本当にとんでもない魔術の才能を秘めた女性であった。特にこの氷像を製作した際の一瞬の魔力放出量には愕然とした。開いた口がなかなか塞がらなかった。顎が外れてしまったかもしれない。しばらくは飯を食べていけそうもないから、ブリザードさんには責任をとってもらって、しばらくの間ご飯を食べさせてもらいたい。口移しで。まあ、それは冗談としても、彼女の刹那のうちに放った魔力の総量は、冗談みたいに莫大なものだったのである。そのすべてを冷気へ転換し、男の身体、武器、魔力を完全に静止せしめた。驚くべきは、凍っているのは男一人のみだという事である。事実、広場に生えている雑草は、ユラユラと今なお何事も無かったかのように揺れ動いていた。これが、彼女の右手が男の武器に触れた逡巡の顛末である。彼女がそんな使い手だったなんて、普段の生活からは想像することも出来ない。だからって僕の洞察力や推理力、考察力が不足しているという事にはならないけれど。なってたまるものか。


 と、まあ、これによって、一応彼女は魔王認定試験に合格してことになるはずである。黒雲の立ち込めていた空はミラミラミの沈黙と共に霧散し、今では台風一過のように、雲一つないスカイブルーの青空が天蓋を一色に彩る。僕の隣で戦闘の趨勢を見守っていたオーバ刀自も満足そうな笑みを浮かべていた。


「そろそろ頃合いですじゃな」


 そう言って杖でコツン、と地面を叩こうとした——その、瞬間だった。


 四周を高い建物で囲まれた小さな広場——その建物の上から、二十を超える影が飛び出してきたのは。


「お前たち、そこから一歩も動くなッ!!!動いた奴から処刑するッ!!!」


 聞き覚えのある女性の声と共に、建物で四角く区切られた広場の空から、金属光沢をこれでもかというほど湛えた鎧達が、その重量からは想像もつかないほど軽やかに降りてきた。彼ら一人一人、体内魔力を操作する技術が極めて卓越しているという事実が、それだけで強く伝わってくる。


 その中の一人——広場の中央に降り立った、鎧達のリーダーと思しき人物が叫んだ。

 先程と同じく、やはり聞き覚えのある声だった。


「我ら帝国騎士団第六分隊、お前達『エデン派』の逮捕に参上した。素直に神妙にお縄につけええい!!!」


 その声を合図に、鎧を纏った騎士達が一気呵成に紫色の人々を取り押さえてゆく。ローブ達も抵抗しようとするが、それらはむなしく終わり、次々と縄で縛られていく。騎士達と彼らの実力差は歴然だ。親と赤子というか、月鼈雲泥の差というか。僕のような一般人の目でもそれが分かる。


 と、そんな風に戦場のど真ん中で戦闘を観察していた僕の許に、先程声を出していたリーダーのような女性騎士が歩み寄ってくる。

 彼女は僕の眼前で兜を脱ぐ。聞き覚えのある声を出していた彼女は、やはり見覚えのある顔をしていた。


「お、トーマ君じゃん、こんな処で逢うなんて奇跡だね。運命だね。赤い糸で繋がっちゃってるね。やっぱりボクたち結婚しないかい?」

「しませんよ、メロさん」

「かー、やっぱりだめかぁ。トーマ君てばほんとアイツに一途だね。純愛だね。ま、ボクは君のそんなところが好きなんだけれどさぁ」


 メロさん——メロージェ・ボルテックスはケラケラと屈託のない笑顔を見せる。見た目は二十代中盤の町娘といった感じで、実際に彼女は二十代のハーフタイムに差しかかった年齢である。おっと、女性の年齢について深く言及するのは素敵紳士の所作ではなかったので、これ以上の発言は控えさせていただく。もうほとんど言っちゃってしまったかもしれないけれど、ほとんど特定できるまでの情報を開示してしまったかもしれないけれど、そこのあたりは目を瞑ってほしい。たった今僕も口を噤んだのだから。

 しかし、彼女は見た目通りの年齢ではあっても、見た目通りの町娘ではない。彼女は騎士である。どころか帝国騎士団に七つある分隊の一つ、第六分隊の隊長だ。先刻得た知識を代入して考察するに、現役の『七本槍』という事になるらしい。

 そんな結構な大人物であるらしいメロさんは、僕と一瞥した後、キョロキョロと首を振った。


「あれ、トーマ君がいるってことは、ブリもここにいると思ったんだけれど」

メロさんの言う『ブリ』とは、彼女の騎士学校時代の同期で騎士団でも同僚であった現無職の女性であり、僕が一方通行の想いを寄せている白皙の佳人のことであり、つまりブリザード・フメールのことである。ちなみに、ブリザードさん自身はその『ブリ』という呼び名を酷く嫌っている。


「ブリなんていう海鮮臭い呼び方はやめて、殺したくなる」

「どうせ呼ばれるなら『ザード』の方が幾分かマシ。歌上手そうだし」


などと、ブリザードさんはメロさんに『ブリ』と呼ばれる度、そう口にしている。


「あそこにいますよ、ほら、あの氷像のふもと」


 僕はブリザードさんのいる方向を右手で示す。ここで確実に示しておきたいのは、僕は決して人差し指一本のみを、ブリザードさんに向けて指したわけではない、ということだ。そんな紳士倫理に悖るような真似、僕はしない。少なくとも好きな人に対しては。反抗期がそこそこ長かった割に、父上の教えがきちんと身体に染みついているのを、改めて実感した。

 ちなみにブリザードさんは現在、自身の作成した氷像から離れ、先刻の戦闘の最中に譲られた両刃剣を拾いに行こうとしているところだった。メロさんの視界の中で、氷像の陰に隠れていたブリザードさんがタイミングよく顔を出す。僕もそうだけれど、周囲で『エデン派』の人達が逮捕されているのは全く気にしていな様子だった。そういう『自分以外はすべて他人』とでもいうような我が道を行く性格は、彼女の愛すべきポイントであり、それでいて僕が常時悲愴に暮れる一つの根源でもある。

 一度でもいいから、ブリザードさんの人生に影響を与えてみたいな。


「おー、いたいた。相変わらず美人さんだねー、別嬪さんだねー、あいつ。あーあ、あいつがもう少しブサイクで、ボクがもう少し可憐だったら、トーマ君をボクの虜にできたのになぁ」


 まじまじとブリザードさんの方を見ながら、少し憎しみを含んだ口調でメロさんは言った。真逆本気で僕のことを好きなわけでもないだろうに。それにメロさんだって、十分綺麗な女性じゃないか思う。ワンレンボブがよく似合う、柔和な印象のある顔つき。全体的に鋭い印象のあるブリザードさんとは対照的な系統の美人。僕は己の審美眼までは世間と大ズレしていないと自認しているので、おそらくこれが彼女、メロージェ・ボルテックスの容姿に対する一般見解に相違ないであろう。だから、そんな卑屈っぽい態度をしないでほしい。顔立ちが整った人が卑屈になるような事態に陥った時、フツメンの僕達は一体どうすればよいというのだ。首でも吊ればいいのか。


「ま、一度久闊を叙しに行ってこようかな。あ、そういえば、上から落ちてきた時から気になっていたんだけれど、目に留まっていたんだけれど、あの氷の像って一体何なの?」

「あれはミラミラミ・クローゼットとかいう男です。ブリザードさんがさっきまでソイツと戦っていて、最終的に凍らせることで勝利したんです」

「なるほど、そういうことだったのかぁ‥‥‥‥うん、納得した。合点がついた。ええっとつまり、君たちも彼らの悪事を止めるためにアジトであるこの教会に御用改めに来てくれてたってことだったんだね」


 だねって言われても。

 でもまあ、確かに、見るからに怪しげな服装の連中だったし、何か悪いことを計画していたとしても違いない。


 いいえ違います。僕たちはブリザードさんが魔王に就職するための面接に来ただけであって、彼らの悪事については何も知りませんでした。ミラミラミを氷漬けにしたのも、そのために必要な試験の一環だったんです。と、言おうとしたところ、メロさんは言葉をつづけた。


「こいつらは帝国の国教であるリルネオ教の異端派でね。新たに魔王を祭り上げて、その魔王の力でもって帝国を滅ぼそうと暗躍する凶悪な犯罪者集団なんだよ。あ、トーマ君たちは既に知っていたからここに来て、敵の最大戦力であるミラミラミ・クローゼと交戦して打破すると共に、私たち騎士団に居場所を知らせてくれてたわけなんだよね。あんなに分かりやすい黒雲も目印代わりに出してくれちゃって、私たち大助かりだったよ。いやあ、失礼しちゃった。粗相しちゃった。…………ん?何か『少し違うんだけれどなぁ』って顔をしているけれど、どうしたの?もしかしてここに来たのには、何か別の理由があったとかぁ?」

そうなんです!僕達もその異端派の計画に加わってました!

なんて。

素直に告解できるはずもなく、僕は作り笑いを浮かべて、平然と言い放った。


「その通りです。僕達は異端派の計画を止めるため、ここで戦っていたんです」

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2024年10月10日 17:30

元女騎士、現ニート。お世話役の学生と過ごす日常生活 夢形真希 @namayatsu

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