百億年の病室のベッド

ありもと優

第1話





 1

 わたしは話し言葉ができません。

 人様に、わたしの気持ちを伝えるなんて、百億年早いと考えていました。


 それに、なにを言葉にしてよいのかも分かりませんでした。


 伝えたい気持ちはない。


 そして。


 わたしは捨て子と両親に言われました。


 ショックで、その夜を過ごしました。




 次の日から一切の声を捨てました。



 義理家族は、自然のままに、と言ってわたしを自由にしてくれました。ありがとう。



 わたしには、妹がいました。

 妹は妹じゃない。義理になるんだと思いました。



 喘息持ちの妹は、まだ四歳で小さい子供です。

 わたしは小学高学年だから、妹を守ります。

 義理とか本物の妹とか、関係ない。

 わたしには、大切な妹です。



 ある日、妹が喘息の発作がひどくなり入院しました。お母さんもお父さんも病院です。

 わたしは、お母さんのお姉さんに作ってもらった晩御飯を食べました。

 夜は玄関扉に鍵をかけて、ひとりで布団のなかにもぐりました。


 しーん、とした部屋。


 怖いので、電球を一つ。灯りをともしました。



 「ゆみなちゃん」


わたしは声に出して、妹の名前を呼びました。

 もちろん、返答はありません。



 わたしの、本当のお母さんとお父さんは、どこに住んでいるんだろう。ふと、そう思いました。



 なんとなくでしたが、答えが仏壇にある気がしました。



 布団から出て、仏壇の前に正座をしました。

 数分間、手を合わせました。

 


 そして、仏様のご本尊さまの下にある、ちいさな扉を開けました。



 そこに、通帳が入っていることは知っていましたから、もしかしたら実の両親の手がかりがあるかもしれない、とわたしは感じていたのです。



 扉の中には、通帳が三冊と印鑑が二つあるだけでした。

 

 わたしは、うなだれました。


 

 しかし、もう一度、扉の奥に手を伸ばして、中を確かめました。



 すると、メモ帳が、でてきました。


 わたしは、少し身体が熱くなりました。



 メモ帳は、手のひらサイズの見開き仕様でした。

 そろり、とノートを開きました。



 知らない人の名前。住所。電話番号。



 わたしは、机に戻り、ランドセルのなかから筆箱と自由帳を取り出して、また仏壇の前に急いで座りました。


 鉛筆を握る手に、力が入りました。


 メモを書き写すと、もとあった場所に、メモ帳と通帳、そして印鑑をしまいました。



 自由帳を持つ、わたしの手は、いつまでも震えていました。



 


2

わたしは、わざと話さなかった。

 そのおかげで、クラスに友達は誰もいませんでした。


 みんな、よくしゃべるんだね




 妹のゆみなちゃんは小学生になる頃には健康を取り戻していました。わたしは、毎日、妹の話に頷きました。




 ある日の放課後。

 廊下を掃除するために、窓拭きをしていました。

 突然、同級生の女子に顔を殴られました。

 平手パンチと、グーパンチでした。


 わたしは、その場にうずくまりました。

 すると、女子だけでなく男子も混じって身体を蹴られ続けました。



 わたしは、自由帳をおもいだしました。

 お母さん。

 お父さん。


「おまえら、ふざけんな!」

わたしは立ち上がり、泣きながら自然に声が出て、そう叫んでいました。



 そして、わたしを殴ってきた女子の髪の毛を掴み、その身体を廊下中、引きずり回しました。

 わたしを蹴り飛ばしていた他の生徒は、手を出しませんでした。みんな、逃げていきました。



 わたしは、教室の窓まで、女生徒を引きずりました。彼女は、泣き叫んでいました。



 開け放たれた窓に、女生徒の首を出させました。

 わたしのどこに、そんな力があったのか、いま思いだしても不思議です。


 泣きわめく彼女の上半身を持ち上げようとした時、スカートのおしりが濡れていることに気付きました。


 わたしは、彼女を床に座らせました。



「おまえ、他のやつ絶対にいじめるなよ。もし、誰かをいじめたら、いのちはないとおもえ」



女生徒は泣きじゃくりながら、わたしに必死で謝りました。




 その夜、わたしは家の近くの港に出向きました。

 

 漁師のおじさんが、焚き火をしていました。


 わたしは、おじさん数人に軽く会釈をしてみせました。そして、手に持っていたボロボロの自由帳を、焚き火のなかに放り込みました。





3

わたしは、義理の家族に大切に育てていただきました。妹がだいすきです。元気になった妹は、いまは三児の母となり、ご主人の五人家族で仲良く暮らしています。



 わたしは、というと。

 毎日、病院のトイレ清掃とシーツ替えをして働いています。まわりの先輩たちにかわいがられて同僚とも仲良く仕事をしています。欠点の多いわたしを大事に見守ってもらえることは、本当に有り難いことだと思います。




 時々、思います。

 言葉にできない気持ち。

 声に出せない思い。



 だけど、黙っていたら、弱虫になる時がある。



 大切な自分や、守りたいひとりのために

 言葉を重ねる。声を使う。




 わたしは、病室のベッドシーツを替えながら、そんなことを毎日、考えています。




              <了>






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