最愛の人

第44話

1月6日 19時 雫丘出版 晴海編集部。

「やっと終わった!」

 堂城は、両手を前で組みそのまま上に伸ばす。

 そして、左右に交互に、数回伸ばし終わると、パソコンの電源を切り、デスク周りを少しだけ片付けると、うしろの棚に、掛けている紺色のコートを手に取り羽織り、隣に置いていた黒のビジネスバックに手を伸ばす。

 その時、うしろから、誰から声を自分に掛けてきた。

「ああぁの…」

「!」

 晴海部署には、自分以外に誰も残っていない。

 自分以外は、みな定時である17時に上がっている。

 堂城は、小鳥遊志桜里(たかなししおり)晴海編集長に、明日までに、提出しなければならない書類の作成があった為、ひとり残って書類を作成していた。

 だから、いまこの時間に、自分に声を掛けてくる人間は誰もいないはず。

 でも、確かに、後ろから自分を呼ぶ声が聴こえてくる。

「……堂城副編集長」

「ん?」

 堂城副編集長?

 晴海の人間は、自分の事を堂城副編集長とはあまり言わない。

 勿論、来客や電話などがあった時は、役職で呼ばれるが、それ以外は、皆と同じ様に普通に呼んで欲しいとお願いしているので、皆自分の好きなように呼んでくれる。

 その中でも一番多いのは、堂城さん。

 理由は、殆んどが自分よりも年下だからだ。

 だから…この声は、晴海の人間ではない。

「…もしかして音無か?」

 俺は、自分のうしろに音無かと尋ねた。

 勿論確信がある訳ではない。

 でも…俺のその問いかけに、相手は、小さいな声で「はい」と返事を返してきた。

「…堂城副編集長、お話があります」

 俺は、ゆっくりうしろを振り返る。

 そして、彼の瞳をじっと見つめる。

 音無も、同じ様に堂城を見つめ返す。

 そして、ゆっくり口を開く。

「…俺、滝川春と結婚しようと思います」

「…そっか? 水川編集長には、もう報告したのか?」

「…まだです。水川編集長には、明日の朝、春と一緒に報告に行くつもりです」

「…そっか。でも、滝川が結婚か? まさか、あいつに、先を越されるとはなぁ…」

 俺は、音無の結婚の報告に、悔しそうな顔で言葉を返した。

「…堂城副編集長。自分は、このまま滝川と結婚してもいいのでしょうか?」

「えっ! 結婚するんだろう? だから、自分に報告にきたんだろう?」

 音無からの予想もしなかった言葉に、俺は、彼の顔をじっと見る。

「はい。でも、あいつ…滝川は、本当に俺の事が好きなのか…このまま自分と一緒になってもいいのか正直解らないんです。もしかしたら、あいつは、無理して自分と一緒になろうとしてるんじゃあないかと?」

「…」

 音無は、滝川の鳴海坂昴への恋心に気が付いているんじゃあないのか?

 だからこそ、その傷が、癒えないあろう滝川が、無理して自分と一緒になって、その傷を忘れようとしている。

 それなら、自分は、滝川と一緒にならない方がいい。

 音無は、きっとそう思ったに違いない。

 でも、それは…お前の勘違いだ。

「音無!」

「はい!」

 突然の自分から大きな声での名前呼びに、音無はピーンと背筋を伸ばす。

「お前は、滝川が好きなんだろう!」

「好きです!」

 堂城からの質問に音無は、一瞬も迷うことなく好きですと大きな声で返事を返した。

「だったこんな所で、俺なんかに愚痴ってないで、今すぐ滝川の所に行け!」

「はい!」

 深々と頭を下げ、数秒頭を下げたのち、部屋から出て行った。

 堂城は、音無が完全に居なくなったことを確認すると…誰も居ない晴海の部署の天井に向かって…

『結婚おめでとう! 滝川…そして、梨々花。お前は…』

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