第三十二話 大坂城、落城
撤収した豊臣方を追って、徳川方が大坂城に殺到。堀もない本丸だけの裸城では、押し寄せる攻め手を防ぎようもなく、各地で火の手も上がり始めていた。
そんな中、台所頭を勤めていた
「秀頼殿」
疲労困憊した顔で、淀殿は秀頼に声を掛けた。名を呼ばれた秀頼は黙って淀殿を見た。暫し淀殿の顔を見詰めた後、
「母上。お疲れではございませぬか?」
と、母を労った。いつもと変わらず優しい気遣いを見せる我が子に、淀殿は顔を伏せ、ようよう声を振り絞るように言った。
「秀頼殿……。この母を許して
「如何なさいました? 母上」
「この母を許して給れ……」
「母上?」
「この母がいなければ、豊臣家が滅びることはなかったであろう……」
「母上、何を申されます」
「この母が、亡き太閤殿下の威光を笠に着て、『ああだ、こうだ』と言わなんだら、諸大名も豊臣恩顧の者たちも豊臣家を見限らず、徳川殿も秀頼殿だけならば助けて下さったであろうに……」
「そのようなことはございませぬ。母上はただ、この秀頼と豊臣家を護ろうとなされたまでのこと」
「秀頼殿……」
秀頼の言葉に、淀殿は項垂れていた顔を上げた。その淀殿の手を取り、秀頼はいつもと変わらぬ声音で言った。
「秀頼は、母上あっての秀頼にございまする」
「そのように言ってくれるか。されど……」
「
「そのようなことはない。母が……」
秀頼は頭を振り、淀殿の言葉を遮って、
「秀頼の代で豊臣家が滅びるならば、それもまた天命でございましょう」
と、そう言った。もはやこれまで――と秀頼はすでに覚悟を決めていたのである。
「秀頼殿……」
淀殿が声を詰まらせながら秀頼の名を呼んだ時、この糒櫓に向けて一斉に鉄砲が放たれた。ここに潜んでいることが徳川方に知れ、秀忠の命を受けた井伊直孝隊が鉄砲を射掛けたのである。午の刻(午後十二時)頃であった。
秀頼は最後まで付き従ってくれた者たちの顔を見回し、声を掛けた。
「皆の者。これまで、この秀頼に仕えてくれて感謝している。しかしながら、秀頼の力拙く、天命も尽きた。儂はここで腹を切るが、出来得るならば、皆には生き延びて欲しい」
「秀頼様……」
「もはやこれまで。櫓に火を放て」
「ははっ」
「介錯を頼む」
「畏まりました」
「では」
火を点けた糒櫓は燃え上がり、中では秀頼と淀殿を始め、付き従った者たちは皆、自刃した。
父、秀忠の許に帰された千姫は秀忠、家康に、秀頼と淀殿の助命を求めていたが、ついに叶わなかった。
「彦右衛門(鳥居元忠)。そちとの約束、果たすのに十五年も掛かってしもうたわ」
燃え上がる大坂城を見詰め、家康は一人、関ヶ原合戦の前に〝天下を取る〟――と約束した友に、他の誰にも聞こえないような小さな声で語り掛けた。あの時、鬢に半ば白いものが混じっておると笑った二人であったが、今の家康の
こうして――。
太閤秀吉が心血を注いで造り上げ、難攻不落と謳われた大坂城も灰燼に帰したのである。
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