第十六話 勝敗決す
「えいっ! えいっ!」
『おおーっ!!』
「えいっ! えいっ!」
『おおーっ!!』
島津隊の撤退により、主だった西軍の武将はいなくなった。太刀を
勝敗が決したと見て、南宮山東麓に陣取っていた長束正家隊、長宗我部隊らも伊勢街道から撤退していった。南宮山の毛利勢は中腹に陣を敷いた吉川広家が道を譲らず、最期まで戦に参加出来ないままに終わり、西軍の敗北となったために何もせぬまま、撤退した。
西軍にとって誤算だったのは、毛利
元康らは西軍の敗北を知るや、東軍を迎え撃つべく、大坂城へと引き返していった。
一方、家臣の進言により、討ち死ぬよりも落ち延びることを選んだ三成は、居城である佐和山城を目指した。しかし、東軍が主な街道を封鎖。検問所を設置し、逃亡した西軍の諸将を捜索していたため、三成は馬で佐和山城を目指すことを諦めて、山中を行くことにした。
家康は三成が本陣を置いていた天満山の西南、藤古川畔に本陣を移して、味方した諸将と引見した。
「皆々方、実に大儀であった」
『ははーっ!!』
家康の労いの言葉に、福島正則を始めとした諸将は頭を垂れた。家康は頷き、諸将に声を掛けた。
「うむ。皆々、苦しからず。
『ははっ』
「皆の働きにより、三成方に付いた大名らは逃げ出した。我らの勝利である」
『おめでとうございまする!』
「小早川殿、脇坂殿、赤座殿、小川殿、朽木殿。貴殿らの働き、誠に天晴れであった。感謝致す」
「かたじけないお言葉、畏れ多いことでございまする」
『畏れ多いことでございまする』
小早川秀秋の後に、四将が続けた。福島正則や細川忠興など前列に座す者たちは一様に振り返って、寝返った彼らを蔑むように見やった。
寝返られた側の戦意喪失や戦略・戦術的なことを鑑みれば、ここぞという時期の寝返りは効果的なはずであり、また、そうするように調略をする――したというのに、いつの世も〝裏切り者〟や〝寝返った者〟は白い眼で見られがちである。
しかし、家康は寛容な好々爺の如き面持ちで頷き、続けて言った。
「さて。三成は落ち延び、恐らくは自らの佐和山城を目指すであろう。そこで貴殿らには、このまま先陣として、佐和山城を攻めて頂きたい」
『はっ』
秀秋たちは殊勝に頭を下げた。寝返った者は、その忠誠心を試されるように、次の戦で先鋒を任されるのが通例であった。この時の彼らも同様であった。出自を嵩に懸かる秀秋も神妙にするしかなかったのである。
その日のうちに秀秋と脇坂らは、三成の佐和山城攻略に出陣した。佐和山城は三成の父の正継、兄の正澄が留守居役であった。
秀秋らが佐和山城を攻め始めたのが十七日。正継、正澄らはよく守ったが、城兵は二千八百余。およそ二万の兵に攻め立てられ、翌十八日、兵数の差そのままに多くの兵が討ち死にし、正継、正澄は自刃して、佐和山城は落ちた。
これで、三成は戻るべき城をも失ったのである。
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