第十五話 強行突破
島津がじっとしている間に、周りはすべて、東軍が取り囲むような有様となっていた。
島津隊を率いる島津義弘が、鳥居元忠との
とは言え、西軍に属した以上、一度も戦わずして逃げれば、卑怯者の
とどのつまり、島津隊は逃げ遅れたのである。東軍に囲まれつつある状況に、然しもの豪胆でなる甥の豊久も、義弘に問うた。
「伯父上、周りはすでに崩れておりまする。我らはいかがいたします?」
「ううむ……」
「このままでは、敵方に押し潰されてしまいまするぞ」
「分かっておる! いっそ……、徳川殿の陣に討ち入り、果てようか」
「なりませぬ! 伯父上は島津になくてはならぬお人。討ち死ぬなど、以ての外」
何をなすにも機を逸した。せめて、最期は武士らしく討ち死ぬ――。
その義弘の覚悟を、豊久はならぬと言う。
「なれば、何とする? 戦わずに死ねば、後の世の笑い者となろう」
「いかがでございましょう。敵中を強行突破されては?」
「何と!?」
「敵に背を見せては、軟弱者と罵られまする。また、敵方も、落ちるならば西の大坂へ一目散に逃げるものと考えましょう。西へ向かう中山道、北国街道はすでに抑えられておりまする」
「うむ」
「さればこそでござる。敵方もまさか、徳川本陣に迫り来るとは思いますまい。そこで島津の意地を見せた後、伊勢街道を下って大坂へと向かうのでございまする」
「相分かった。これ、冑を」
「はっ」
小姓の差し出す冑を被り、緒を締めた。前後左右に動かして、座り具合を確かめ、近習が引き出した馬に跨った。豊久も隣で馬に乗った。
「これより徳川本陣を強襲する。各自、生きて帰れよ」
「ははっ‼」
方針の決まった島津の動きは速く、徳川本陣を目指して、一丸となって駆け出した。
「うん? 向こうて来るのは、どこのどいつじゃ?」
勝敗の帰趨が付いた今頃になって動き出した軍勢を見て、家康が正純に問うた。
「あの指し物の紋は、島津でございます」
「島津か。今更、何じゃ」
家康は不満げな顔で呟いた。義弘め、じっとしておれば、見逃してやってもよいものを――。
そう考えていたのに、これでは迎え討たねばなるまい。
「迎え討て。儂に歯向かう――というのじゃ。討ち果たせぃ!」
「ははっ!」
家康の下知に、旗本衆の騎馬が怒涛の如くに駆け出した。島津勢千五百の数倍の騎馬が迫る。
しかし、島津の軍勢は徳川本陣の手前で急停止して、義弘、豊久を始め、千五百余の兵が雄叫びを上げて威嚇をしたかと思うと、そのまま転進。徳川本隊を掠め、伊勢街道方面に進路を取った。
「うん?」
「島津隊が撤退していきますっ!」
「見れば分かる! 追えっ! 義弘め、無事に逃げ切れると思うなよ」
徳川方の勝ちが決した今となっては、島津の小勢など放っておいても構わないところではあったが、それでも立場からして、手向かう相手を何もせずに見逃すわけにはいかなかった。
徳川直臣として、井伊直政隊が追撃を開始。井伊隊は怒涛となって疾駆した。
「追えいっ!! 大殿の
井伊隊が動いたことで、傍観を決め込もうとしていた諸将の隊も追撃せざるを得なくなった。直政の狙い通りである。
逃げる島津、追う井伊。やがて直政率いる井伊隊は、逃げる島津隊の
その時、島津隊の
「放てっ!!」
と、豊久の号令一下、迫る井伊隊に向けて鉄砲を撃ち掛けた。島津隊は小型の火縄銃を末端の足軽にも行き渡らせるほど保有しており、この戦にも多数揃えていたのである。このうちの一発が、先頭で馬を駆っていた直政の太股に当たり、直政は落馬こそ免れたものの、追撃を断念。ついに義弘は撤退に成功した。
しかし、島津側の損失も大きく、義弘を逃すために後曲に残り殿を務めた甥の豊久を始め、多くの家臣を失うことになった。義弘が脱出した頃には、付き従うものは僅か百人にも満たなかったのである。
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