第九話 深夜の布陣
石田方の動きを察知した家康は出陣を命じ、東軍の諸将は関ケ原に向かった。
先頭を行くのは、先陣を賜った福島正則。これを頭に、黒田長政や細川忠興、池田輝政らの軍勢が続いた。小雨が降る中、しかも深夜に行軍するのである。けして速い移動とは言えなかった。気の利いた者は、地理に無案内なことを補おうと、地の者を雇い、案内役とした。
「殿ーっ!」
そんな中、福島隊の先頭にいた者が、隊列の中ほどにいた正則の元へ、馬を走らせてきた。
「何事か!?」
「はっ! 先頭にいましたところ、さらに前に荷車が見えまする。何処かの小荷駄隊かと思われます!」
「何ぃ?」
話を聞いた正則は先頭に駆け付け、件の小荷駄隊を確認した。
「あれか?」
「はっ」
「我らより前に、軍勢はおらぬはず。ならば、あれは敵軍。構わぬ、捕縛せい!」
「はっ‼」
「刃向かう者は斬れ! されど、小荷駄隊ならば、運び手は駆り出された農民。逃げる者は見逃してよい」
「ははっ!」
正則の命を受けた五十騎ほどが駆け出し、小荷駄隊は散り散りになり、数多の荷車だけが残された。
悠々と正則は追い付き、蹴散らされた旗を見て、言った。
「宇喜多の小荷駄隊だったか。これほど近かったとはの。褒美じゃ。その方らに、この荷はくれてやる」
「はっ。有り難き幸せにござりまする」
「うむ。ただし、この戦が終わったら、じゃ。それでよいな?」
「はっ」
「よし。行軍を続けよ」
この件は、東軍の先鋒と西軍の小荷駄隊が接触するほどに、両軍の距離が近かった事例であった。
再び、福島隊は行軍を開始した。
それでも、何だかんだと両軍は軍を進め、西軍の主力は関ヶ原の西北側、小関村あたりに陣取り、北国街道と中山道を扼する形で布陣した。東軍の西進を阻止するためである。
北国街道北側の天満山の麓に石田三成、北国街道と中山道が交差する位置に小西行長、宇喜多秀家、島津義弘らが、中山道の南の松尾山中腹に小早川秀秋、その麓に大谷吉継が、戸田勝成、平塚為広、赤座直保、小川祐忠、朽木元綱、脇坂安治らを率いて陣取った。
対する東軍は先鋒の福島正則隊を先頭に、それらの西軍の包囲網に侵入するように布陣し、その後方の桃配山に徳川家康の本陣が置かれた。もっとも、桃配山の南の南宮山には毛利秀元、吉川広家や安国寺恵瓊らの毛利勢が陣取っており、彼らに対する抑えに池田輝政の四千五百、浅野幸長の六千、山内一豊の二千らを配している。
両軍ともに未明までには布陣を終えた。
しかし、慶長五年九月十五日は、太陽暦でいえば十月二十一日。秋も深まりつつある頃で、関ケ原は美濃(岐阜県)の山野にある盆地である。前夜からの雨で霧が発生しており、見晴らしは悪かった。
戦の機運が高まる中、両軍は動くに動けぬ状況で、霧が晴れるのを、今か今かと待っていた。
そんな中、霧に紛れて、最前線に布陣した福島正則隊の後方に、僅か二十騎と三十人ほどの 一隊が近付きつつあった。
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