元和偃武 ~関ヶ原合戦から、大坂夏の陣まで~

赤鷽

関ヶ原合戦

第一話 呼び水

 

 慶長五年六月十六日、徳川家康は手勢を連れて大坂を発った。

 上洛命令に従わず、領国の会津で軍備を整えている五大老の一人、上杉景勝うえすぎかげかつを、主君・豊臣秀頼に対する謀叛の企てあり――として征伐するための出陣である。


正純まさずみ

「はっ!」


 家康は馬に乗って伏見に向かっていた道中、随行していた本多ほんだ正純に声を掛けた。正純は、古くからの謀臣・本多正信まさのぶの嫡男で、この頃は腹心の一人として家康の傍に仕えていた。


「伏見(城)に使いを出せ。夕刻には着くから、酒宴の用意をせよ――とな」

「はっ!」


 正純は言われた通りに使いに言付けた。母衣ほろ衆の一人が伏見城目指し、馬で駈けて行く。その姿を、家康は目を細めて見送った。

 馬上で揺れる家康は細身で細面。よく言われる『狸親爺』の恰幅のいい姿ではない。どちらかと言えば、『三方ヶ原の戦い』で甲斐の国の武田信玄たけだしんげんに敗れた後に、「慢心せぬように」と描かせた、苦虫を噛み潰したような顔をした肖像画のであった。

 もっとも、この絵は家康の子息で、後の徳川御三家の尾張家初代・徳川義直公が後代になって描かせたものとも伝わっており、由来は諸説あって定かではない。

 それはともかくとして――。


 同日、家康は伏見城に入った。明日には発つということで皆を集め、


「留守を任せる城代を、彦右衛門ひこえもん(鳥居元忠とりいもとただ)にする」


との発表があった。

 鳥居元忠は、家康が今川家に人質として預けられていた頃よりの家臣であり、実直な人柄の忠臣だった。この人選は至極当然で、決定に異を唱える者はいなかった。

 城に残る者、家康に付き従って会津へ向かう者。皆をねぎらおうとすぐに酒宴となった。


 宴もたけなわになった頃合いに、家康は元忠のみを連れ、酒宴をそっと抜け出した。二人だけで酒を酌み交わそうというのだ。


「彦右衛門、そちとは長い付き合いであるな」

「お傍にお仕えしたのが天文二十年からでございますから、もう五十年になりまする」

「そうか、もうそんなになるか」

「はい。光陰矢の如し。早いものでございますな」

「それならば、そちのかしらに白いものが混じっておっても不思議ではないの」

「何の。殿もでございますぞ」

「そうか、儂の頭も白いか」

「白うございます」


 家康は頭に手をやり、二人して笑った。家康に元忠、二人のびんには半ばくらい白髪が混じっている。もう、そんな歳だった。


なごう生きたの」

「長う生きました」

「うむ……」

「ですから、それがしのことはどうか、お気になさらずに」

「うむ?」

「殿が会津へ赴けば、ここが好機とばかりに、この伏見城は石田三成の標的となりましょう」

「うむ」

「されど、城兵すべてが討ち死にしようと、ここを石田方に渡すものではございませぬ」

「彦右衛門」

「その代わり……」

「何じゃ?」

「必ずや、天下をお取りくださいませ」

「うむ」

「それと……」

「何じゃ。まだ、あるのか?」

「某のことではありませぬ。某とともに討ち死ぬ者どものことでござる」

「おお、それならば安心せい。その者たちの家人には不自由させぬ」

「それを聞いて、安心いたしました」


 元忠はにっこりと笑い、盃を掲げた。家康も盃を掲げた。

 二人はそれからは何も話さぬまま、ただ酒を酌み交わした。話さずとも分かり合った二人だからである。



 

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