第7話 夜会
夢を見た。
子供の頃のたわいのない夢
私と遊んでくれる友達は少なかったが、それでも両親や姉の気まぐれでごくたまに外で目一杯遊べる日もあった。そんな夜は、お風呂に入るとその楽しさまで洗い流してしまう気がして、入りたくないと駄々をこねて親を困らせたものだ。
天蓋の着いたふかふかのベッドの上で私は目を開けた。
あれは日本人、佐々木千尋の記憶。
アリア・サファリナとしての今生ではそんな風に誰かと遊んだことはない。
今の私の記憶は、人をいじめ、脅し、迫害し、路頭に迷わせた悪事で溢れている。なぜそんなことをしてしまったのだろう。
分からない。
あれだけ心の中に煮えたぎっていた他者を憎む気持ちは、前世を思い出すと同時にどこかへ消えていった。
シルフィが服を着せおえると、恭しく礼をしながら執事長が入ってきた。
「本日の夜なのですが、王家主催の夜会が入っております」
「ずいぶん急じゃない?」
貴族が多く集う夜会は、通常何ヶ月も前、遅くとも一月前には予定を決めて置くものだ。
「はっ。それが、例の巨大魔獣を退治した祝いの場とのことで」
なるほど。
王家に仕えこの国を支える貴族たちを、ひいては国民を安心させるための催しということか。
「お嬢様はお疲れでいらっしゃるし、何よりガリア王太子との婚約……のこともあって人前に出るのは、と旦那様には申し上げたのですが」
「ジャン王子から招待状が来ていたんでしょう」
白髪頭の執事がはっとして顔を上げた。
「ご存じだったのですか?」
今日夜会があること、ジャンから『気安い集まりですので、ぜひアリア様にもご参加いただければ』という手紙が来ていることはシルフィから聞いていた。
「お父様にはアリアは夜会に行く、と伝えてください。婚約を破棄されたことについては、気にしていないと言えばもちろん嘘になるけれど、ここで弱った姿勢を見せれば社交界でマイナスが大きすぎる、と私は判断します」
本当のところは婚約破棄はショックだし、魔獣とロボットのことで心の整理はまだ着いていないし、ベッドに戻って寝ていたい。だが、伯爵家の娘としてそういうわけにもいかない。
「おお、左様でございますか。では、旦那様にそのように伝えて参ります」
「おまえにも苦労を掛けているね。これからもよろしく」
「なんと心優しいお言葉か。まるで十年前に戻ったかのようで、私は、感動しております」
そういうと執事長は嗚咽を漏らし、ぽろぽろと涙をこぼした。
記憶では彼はまだ老人というほどの歳ではなかったはずだ。だが髪はほとんど真っ白になり、顔には深いしわがいくつも刻まれている。家のことで、ずいぶんと苦労をかけてきたのだろう。
「ちょっとそんな、大げさよ」
家人を大事にするというのは、ここ一年私がやっているアリアいい子キャンペーンの一貫だった。ほかにも慈善事業に寄付をしたり、難癖を付けて首にしたメイドにお詫びの手紙と品を贈ったりと様々だ。
もっともそんなとってつけたような活動では、極悪令嬢というまずすぎるレッテルをはがすことはできず、その結果として婚約を破棄されてしまった。
この国の社交界で生きていく上では致命傷になりかねない大きな失点だ。
だが、私はまだ生きている。
執事長と別れ、シルフィとドレスを選びながら考える。
私の目標、自分の居場所を作り、幸せを掴む。そのためには死んでなんていられない。
佐々木千尋という前世を不慮の死で終え、アリア・サファリナという新しい生を得た私は改めてそう思った。
豪奢なシャンデリアには最高級のろうそくが惜しげもなく灯され、ダンスパーティーの会場に光を投げかけている。
青と白の生地を流行の型に繕ったドレスは、自慢の長い金髪と相まってウェーブの骨格に良く似合っていた。
前世で少しだけかじったカラー診断がこんなところで役に立つとは。こういうのも前世チートというのだろうか……。
露骨にならない程度のじろじろとした視線。扇で隠した口でのささやき声。小さな笑い声。
そのすべてに気づかない振りをして夜会の壁際に立っていた。
ふと強い視線を感じて顔を上げると、離れた場所から王太子ガリアがこちらをにらんでいた。彼にしてみればグランドレスという大事なおもちゃを盗った憎い女なのだろう。
その横には派手なドレスのミンが、こちらは対照的に勝ち誇った顔で私を見ていた。分かった分かった。その男はあんたのもんだよ。
誰も彼もが遠巻きに私と距離をとり噂に花を咲かせる夜会の会場において、直線的な二人の感情はむしろほほえましたかった。
「やあ、アリア様。よく来てくださった!」
会場中に響きわたる元気のよい声がした。
「アリア、で結構ですよ。ジャン王子殿下」
礼服に身を包んだ黒髪のハンサムな若者が一直線にこちらに近づいてきた。
「どうぞ僕のこともジャンとお呼びください」
「ええ……」
曖昧に返事をした。脳裏には昨日ひざを付き深々と頭を下げたジャンの姿が思い出される。
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