巨大ロボに乗り世界を救え 悪役令嬢の君にしかできない

春風トンブクトゥ

第1話 プロローグ

「ようやくこの場で宣言できる。アリア・サファリナ、お前との婚約を破棄する!」



 国王不在の晩餐会。ガリア王太子は衆目の前で声高にそう宣言した。


 ああやはり、私は思った。


 やはりそうなってしまったか。


 ズズーン……。


 どこか遠くから地鳴りが聞こえる。


 カールした金髪の下の頬を緊張と高揚で赤く染めている王太子の隣では、赤茶色の髪を縦ロールにした女がおべっかを使った顔で彼を見ていた。帝国の正当な継承者であるガリアは私を指さし、つばを飛ばしながら先を続ける。


「俺から隠し通せると思ったか。知っているんだぞ。使用人への苛烈な仕打ち、あげくにに遊びと称して下級貴族を貶め。没落させる非道な所行。また、ここにいるミン嬢を不当に憎み、食事に毒を盛る、階段から突き落とそうと試みるなど、度を超した加害を行ったな」


 前者の二つは正しいが、後者は濡れ衣だ。


 なぜなら彼の横にいて被害者面をしている彼女を私が認識したのは今年に入ってからだからだ。


 私、アリア・サファリナは、ちょうど一年前に前世の記憶を思い出し、伯爵令嬢として自身の置かれている立場の危うさに気づいた。


 この一年間なるべく大人しく、周囲に愛想を振りまいて暮らしてきた。ささやかな居場所でいい。小さな幸せでいい。前世で掴めなかった、私がいても良い場所を作ろうと努力してきた。

 

 しかし、極悪令嬢と陰では呼ばれているその汚名をそそぐことはついに出来なかった。

 

 ズズーン……。

 

 こういうとき何と言うのが正解なのだろう。王太子の歓心を買いたいミンの出任せはとにかく、私自身が行ってきたことは動かしようのない事実だ。


 国王と第二王子を除き国の主立った家々が集まっている晩餐会で、私に助けの手をさしのべてくれる者は誰一人いなかった。例えこの婚約破棄が国王の意に反するものだったとしても、これだけ大勢の前で下された表明が覆されることはないだろう。


 結局私は泣かないように、震えてひざをつかないように我慢して一礼し、勝ち誇った二人に背を向けて歩き出すのが精一杯だった。


 色とりどりのドレスを着た来賓たちの視線を感じながら奥歯を噛みしめ早足で出口を目指す。履き慣れているはずのヒールが足に痛い。


 ズズーン……。


 ガシャンッ!


 グラスが割れる大きな音がした。


 振り返ると、凛々しい制服に身を包んだ騎士団長のすぐ目の前のボーイが、おぼんに入れて運んでいたワイングラスを落としてしまったらしい。


「失礼いたしました」


 ボーイがそう言って絨毯を拭く。


 晴れ舞台を邪魔されたガリアとミンが不服そうな声を出した。


 ミン=クロードナイトは辺境泊の娘だ。同じ伯爵令嬢とは言え、名誉も権力もあちらの方がワンランク上。王位を次ぐ前から上昇志向溢れ、何かと鼻息の荒い王太子にとって、極悪令嬢という傷物の婚約者よりミンのほうがよほど魅力的に映ったのだろう。


 であれば、前世を思い出してから行った一年間の努力に関わらず、この結末は避けられないものだったのかもしれない。


「妙ですね」


 騎士団長がよく通る声を発した。高い身長に茶髪がよく映える。優しそうな見た目であるが、剣技大会で二連覇中の剛の者だ。


「地震にしては、間隔が短すぎる。皆さん、身を低くして異変に備えてくだ──」


 団長の言葉は、山が崩れるような轟音に遮られた。


 おそらく付近の建物が崩壊した音だろう。


「な、なんだあ?」


 第一王子のつぶやきに応えるようにその音は聞こえた。


「ゴアガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 音だけで晩餐会会場のステンドグラスがビリビリと振動し、ついには破裂した。それほどまでに強烈な、咆哮だった。


「ひぃい! に、逃げろ!」


 タキシードを着た恰幅のいい男性がそう言って走り出すと、悲鳴や怒号とともに会場内の客たちが出口に殺到した。ちょうど両開きの扉の前にいた私は、彼らに突き飛ばされるように押し流されていく。


「やめてください、ちょっと、押さないで。あっ!」


 ヒールを踏み外して右足首をひねった私は、石畳の上にへたり込んでしまった。


 次の地響きは、すぐ間近で聞こえた。


 顔を上げると、通りを挟んですぐ目の前の時計塔の尖塔付近に、ゴツゴツした巨大な手が掛かった。岩のように固そうな皮膚とイボが針のように盛り上がっているその手は両生類のもののように見えた。


 ぬめっとした臭気が晩餐会の会場となった大ホールにまで届いたが、その場にいた者は目の前の光景にただただ圧倒され、誰も鼻や口をハンカチでおさえようとしない。


「なんだありゃあ、でかい化け物だ……!」


「王子、出てはいけません。建物の中へ避難してください!」


 どこかで王太子と騎士団長の声が聞こえたが、まるで現実味がない。


 ソレが姿を現した。


 帝都で一番大きな建築物の時計台と同じだけの高さ。頭は前世で見たことあるハンマーヘッドシュモクシャークザメに似て横に広い。身体は熊が立ち上がったような体勢で、手と同様に灰色の皮膚をしている。


 再び恐ろしい咆哮をソレはあげた。


 かつて体験したことがない湿り気を持った音の塊が空気を揺らす様に、身はすくみ、立ち上がることができない。


 そういえば、怪獣が出てくる映画は前世でついぞ見なかったな、気にはなっていたのだけど。


 場違いにもそんな考えが頭をよぎった。


 現実逃避だ。


 極悪令嬢と呼ばれたアリア・サファリナの思考が私を奮い立たせる。


 今すぐ立ち上がり、足を引きずってでもこの巨大な化け物から距離を取らなくては。


 震える膝に手を突き、なんとか立ち上がった。


 そのとき、巨大魔獣が足を踏み出した。激しく身体が揺れ、息が止まる。地面が波打ったかと思った。

広い目抜き通りを魔獣が歩いてくる。手と言い足と言い、ぶつかった建物はもろくも崩れていく。


 魔獣は横に長い目で私を見下ろした。見間違えではない。


 なぜ私を? 


 こんなに人がいるのに。


 そう思って見渡すと、周囲にほとんど人はいなかった。皆、比較的頑丈そうな迎賓館の近くに避難している。


 私は、全くのひとりぼっちで魔獣の前にへたり込んでいた。


 緊張でひどく浅くなっている自分の呼吸が聞こえる。


 助けようとする者は一人もいない。それはそうだろう。つい今さっき王太子から三行半を突きつけられた極悪令嬢の為に命をかけようなんて酔狂な人間は存在しない。


 前世でむなしく死んだ私は、この世界でも居場所を失っていた。


 先ほど会場にいた誰かの、おそらく騎士団長の声が聞こえたが、何を言っているかまでは分からない。


 巨大魔獣は恐ろしい息を口の端から出しながら、品定めするかのように私を見ていた。長い尾が大蛇のようにのたうち、近くの建物を打ち据える。


 どうやら化け物は、私を丸飲みすることに決めたようだ。


 わずかに身を屈めると、巨大な右手を伸ばしてきた。


 灰色の手のひらだけでそこらの民家の屋根ほどの広さはあるだろう。あんなモノにつかまれば、全身の骨がバラバラになってしまう。


 足が痛いだのと言っていられない。誰も助けてくれないなら、自分の手で自分を助けるしかない。


 怪獣に背を向け、唇をかみながら最初の一歩を踏み出す。


 ああでも、ダメだ。背中に当たる風圧が、魔獣の手が迫っているのを告げている。とうてい逃げられない。


 せっかく前世を思い出したのに。せっかく改心したのに。私は、今日ここで死ぬんだ。


 涙が頬を伝う。


 足を引きずるようにしてもう一歩を踏み出す。


 ……妙だった。


 来るべき瞬間がいつまでも来ない。


 つばを飲み込み、手の甲で涙を拭い、ゆっくりと魔獣の方を振り返った。


 巨大なロボットが、私と怪獣の間に立ちはだかっていた。

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