雨井の日記
雨井湖音
Aちゃんのお誕生日で思い出すこと
先日、小学校からの幼なじみであるAちゃんが誕生日を迎えた。
Aちゃんは友達が少ない私にとって、貴重な「誕生日おめでとう!」と言える距離感の相手である。誕生日プレゼントもきちんと渡した。他人にプレゼントを渡して、「ありがとう〜!」と言われることの尊さにホクホクとしていたら、すぐにAちゃんが「これは私から」と勤務先のパン屋さんで作っているラスクの詰め合わせをくれて、あまりの手厚さにのけぞったのを覚えている。なんて律儀な人なんだ。
Aちゃんと出会ったのは小学校一年生のときで、そのとき彼女はまだ私と同じ教室で学習をしていた。
Aちゃんが特別支援学級に行ったのは、たしか三年生になってからだったと思う。子供の私から見ても、Aちゃんが通常学級にいるのはかなり厳しいものがあった。それはAちゃんの責任ではない。何もかも自分たちとは違うことをするAちゃんを、周りの子が受け入れられなかったのだ。
さて。
そんなAちゃんのことを、私はかなり頼りにしていた。
小学校時代の私は箸が転がっても萎縮するような性格で、にぎやかな教室に放り込まれるにはあまりにも集団に馴染む才能が無さすぎた。
気の強い男子には背中を蹴られ、しっかり者の女子の言いなりとしてヘコヘコと追従し、自分以外の誰かが怒られている横で心臓をバクバクと跳ねさせている。登校拒否をしてみたはいいけど、どうして登校したくないのかという理由を大人に説明するのにもモジモジしてしまって、結局は「〇〇ちゃんが……早く歩くから……」という謎の理由を吐き捨てて登校拒否すら諦めてしまった。頑張らないためのガッツもない。筋トレする筋力がない!と言う大人に親近感が湧く。
そんな私にとって、Aちゃんはあまりにも優しい友達すぎた。
絶対に私のことを蹴らない。命令しない。Aちゃんを怒る先生もいない。
おまけに、こんな私のことをめちゃくちゃに好いてくれて、「湖音ちゃん、大好き!」と世界で一番慕ってくれる。
小学校時代、私はずっとAちゃんと一緒にいた。
中学校になって私は受験のある中高一貫校を選び、地元の中学校に進学したAちゃんとは別れてしまったけれど、Aちゃんは私にとって「ちょっと特別な私の友達」だった。六年生になったときには特別支援学級というものが何であるかを理解もしていて、Aちゃんに一番好かれているということに優越感を抱いてすらいた。
だから私は、中学校になってから作文にAちゃんとのことを書いたのだ。
私の小学校時代、Aちゃんへの当たりはものすごく強かった。
だからこそ私は「障害がある人とも分け隔てなく接するべきだ」という作文を書いて、その作文をどこかのコンクールに出すために先生が添削をしてくれることになった。
私が作文に書いたエピソードの中で、縄跳び大会にまつわるものがある。
私の小学校では、縄跳び大会なるイベントが毎年行われていた。そのイベントが近くなると、児童はみんな休み時間になると校庭に出て縄跳びを練習する。二重跳びだの三重跳びだの、運動神経が悪すぎる私は全くできなかったけど、私はAちゃんと30回以上も二人跳びをして先生たちに「仲がいい二人だからできることだね!」と褒められたことがあった。
なので私は、作文の中に『私とAちゃんが二人跳びをたくさんできたのは、私たちが仲のいい友達だったからだと思います』と書いたのだ。
果たして、その箇所は先生によってこんなふうに直された。
『私とAちゃんが二人跳びをたくさんできたのは、私がAちゃんのことを障害がある人だと思っていなかったからだと思います』
……何これ!?!!?!?
添削を見た中学生の私は、本当にびっくり仰天だった。
障害がある人だと思って……なかった、けど……それだけで30回以上は二人跳びできなくないか!?!!?!?
私たちが30回以上の二人跳びを成功させたのは、毎日二人で縄跳びを練習したからに他ならない。
仲良かったから、毎日練習したのだ。
そもそも私は、二重跳びどころが逆上がりも後転もできないぐらいの運動音痴だ。
Aちゃんだって、運動会の練習でソーラン節を一回踊らされただけで疲れて座り込むような子だった。
障害があるという認識の有無、マジで関係ない。
お互いにメンタルの持ちようで運動ができるようになるほど、自分の体の動かし方に長けているわけじゃないわけです。
や、やだーーー!!!
これ、直したくないンゴねえ!!!!!!
……と思った私は、中学生になってもコミュニケーションが苦手で大人が怖い『なんか小さくてかわいげもない生き物』だったので、もちろん「や、やだーーー!!!」なんて言えるわけもなく先生の指摘通りに訂正した。
何とな〜〜〜く、「先生に褒められた、へへ」で終わっていた思い出に傷がついたような気持ちを持ちながら。
***
さて話は変わるが、私は大学時代に特別支援教育を勉強できるゼミにいた。
そのゼミに集まったメンツは、勉強への姿勢もメンタルの状態も家庭環境も信条もてんでバラバラで、私たちは卒業するまで一度も『ゼミ仲間で一致団結した』という経験がなかったけれども、そんなバラバラの私たちにもわりとみんなが「分かる〜!」と共感しやすいあるあるがあったのである。
そのあるあるとは、『大学受験のシーズンに「この大学に行って特別支援教育を勉強したい」と言ったとき、大人から「えらいね」と言われがち』ということだ。
ある日、研究室で不意に一人の女の子がこのあるあるを披露したところ、周りにいた女子たちからの「めっちゃある!」と熱っぽい同意が集まった。
その研究室にいた女の子たちは、みんな総じて可愛くておしゃれで頭が良くて、そしてめちゃくちゃに気が強かったので、その場の全員で「何もえらくないよね!?」「分かる! えらくはないだろ、別に!」と各位の脳内にいる大人たちに不遜にも憤っていたのであるが、私もその「えらいね」には覚えがあった。
Aちゃんと一緒にいる私も、「えらいね」の対象だった。
もちろん私だって、えらいことをしていた自覚がゼロだったとは言わない。
私がいなかったらひとりぼっちになってしまうAちゃんと一緒にいてあげるのは、えらいことだよなという自負もあった。
でも子供時代の私は、残酷なぐらいAちゃんと対等でもあった。
一時期、Aちゃんが毎日のように私の家に遊びに来ることがあって、何度「今日は私、用事があるの。家には来ないで」と言っても聞いてくれなかったAちゃんにある日いよいよ激怒したことがある。
泣いて怒ってAちゃんを追い返した私に、父親が責めるような調子で「そんな態度を取って。Aちゃんが悪いのか?」と言ってきて、私は泣きながら(Aちゃんが悪いだろ、どう考えても!!!!)と内心でキレていた。
体育の時間にAちゃんが「無理、疲れた、やりたくない」と言うのを聞いて急にイラッとして、「みんなやってるのに、わがまま言わないでよ!」と怒ったこともある。
Aちゃんから大量の手紙を送られて、返信をするのが面倒でそれを無視したこともある。
サッカーのミニゲームをAちゃんと一緒にサボって、先生に怒られて(だってAちゃんと一緒にいるのに、サッカーなんてできるわけないじゃん)とムッとしたこともある。
嫌なガキ〜〜〜!!!と思われても仕方のないことをごまんとしてきたわけであるが、それでも私は、「でもまぁAちゃんだから仕方ないよね」と大人な態度でスルーすることができなかった昔の私を認めてやりたくなってしまう。
本当に、あのときは、自分とAちゃんが対等だと思っていた。
私が対等に接することができる友達は、Aちゃんだけだった。
そんな私は、大学時代のゼミで「えらくはないだろ、別に」と憤る友達の声を聞いて、無性に苦しくなっていた。
そのとき、Aちゃんとはすでに音信不通になっていた。
***
大学生になってすぐの頃、Aちゃんから大量のメールが毎日のように届くようになった。
私がそれらのメールに返信をしなくなってからは、すでに私が住んでいない実家に直接手紙が届けられることもあった。私はそれでも返事をしなかった。
ちょっと普通じゃないほど大量の連絡が、怖くなっていたのである。
Aちゃんがちょっと普通じゃないのは、今に始まったことじゃない。
それでも大学時代の私はそれを受け流すことができなくて、私はお返事をしなくて、やがてAちゃんは「もうメールしない」というメッセージを最後に私の世界から消えてしまった。
時間が経つにつれて、私はそのことをすごく後悔することになる。
なぜなら大人になった私は、Aちゃんと対等ではなくなってしまったからだ。
ハンディキャップのある友達を、突き放してしまった。
私はすっかりAちゃんのことを「障害のある子」だと見なして、他の友達に同じことをされたらしなかったであろう後悔をし始めていたのである。
私は寛大になった。
大量のメールを送ってきたAちゃんを許そうとしていた。
でも、かつてAちゃんと遊んでいた頃の幼い私に対して「えらいね」と言いそうな大人にもなっていた。
私が死ぬ前に何かに後悔するとしたら、きっとAちゃんと二度と会えなくなったことだ。
就職してからいよいよ私はそこまで考えるようになり、どうやったらAちゃんに会えるだろうということを色々と思案するようになった。
Aちゃんは地元で就職している。実は就職先がパン屋であることも分かっている。
だとしたら、そのパン屋に行って「Aちゃんという人はいますか?」といえば、再会できるのか……?
実行したら私はすっかり「ヤバい人」になってしまっていただろう案だが、当時の私は大真面目だった。
そんな私は、ある日Aちゃんから約十年ぶりの連絡をもらう。
『湖音ちゃんなんてきらいだよ』
これがAちゃんから久しぶりに届いたメッセージだった。
メールではなく、電話番号から送るSMSによって届いていた。
それを受け取ったのは夜勤の最中で、正直電話なんてしちゃいけないタイミングだったけど、私はすぐさま職場の外に出てその電話番号に電話をかけた。
Aちゃんはすぐに出てくれて、私はきっと自分は死ぬまで言えないんだろうなと諦めていた言葉を口にした。
「お手紙に返信しなくてごめん」
そう言うと、電話越しのAちゃんは笑った。
『いいんだよ〜!』
きらいだよ、というメッセージを送った人とは思えないほど朗らかな声だ。
しかし、その直後。
「Aちゃん、また遊ぼう」
そう言うと、電話越しのAちゃんは嗚咽をあげて泣き出した。
***
あのときなんで急にメッセージくれたの?と尋ねても、Aちゃんは私が納得できる答えを言ってはくれない。
返ってくる言葉があるとすれば「したかったから」ぐらいで、あんなに気まずい別れ方をした友達に普通「したかったから」という理由でメッセージを送るか?と私は呆れてしまう。しかも「久しぶり」とかじゃない。「きらいだよ」である。
Aちゃんが普通とは違うことをしてくれる子だったからこそ、私は救われた。
なんだかんだ、私はこうやってAちゃんにずっと「やれやれ、湖音ちゃんは」的なノリで面倒を見てもらっている。
Aちゃんは相変わらず、私にメールをたくさんよこす。
しかし「次は〇〇日に電話しよう」と約束すると、その日まで待ってくれるようになっていた。
現金の使い方は分からないけど、喫茶店のメニューを見て「これ頼んだら、お金足りなくなる?」と私に確認するぐらい物価の相場というものを理解していた。
それでも大人になってしまった私は、しょっちゅうAちゃんを助ける人の役をやりたがってしまう。
Aちゃんのことを助けようとして、しかし、そのたびに「あっ、違う。そういう相手じゃないじゃん、Aちゃんは」と再認識するようなことをAちゃんから仕掛けられる。
たとえば遊びに行くために私が自家用車にAちゃんを乗せたとき、Aちゃんに散らかった車内を見て「ちょっと〜、片付けなよ」とダッシュボードの整理をされたこととか。
以前に一度だけ口にした勤務先の名前を、数ヶ月経っても「湖音ちゃん、〇〇っていう会社で働いてるんだもんね」と覚えていてくれたこととか。
遊びに行くとき、お昼ご飯を食べる場所を決めてくれることとか。
普通じゃない経緯を辿って、私たちはあまりに普通の地元の友達になった。
さて。
最後に、Aちゃんと遊んでいる中でちょっとびっくりしたことを書いておこうと思う。
ある日、二人でカラオケに行ったとき、Aちゃんはいきなり外国の歌詞の歌を選曲した。
それは映画「天使にラブソングを2」で登場したことでも有名な賛美歌『オーハッピーデイ』である。
なぜ賛美歌……? さっきまでキューティーハニーとか歌ってたじゃん、Aちゃん……。
呆然とする私に対して、Aちゃんはしれっと言ってきた。
「これ、5年生のときの学芸会で歌ったじゃん」
……た、たしかに!?!!?
とっくの昔に忘れていた記憶が蘇った。
小学校時代の記憶なんて全部消えていたものと思っていたのに、私は一気にその年の学芸会の演目を思い出したのである。
二人でめちゃくちゃ久しぶりに『オーハッピーデイ』を歌ってから、Aちゃんは私が全く覚えていない当時のクラスメイトの名前を言い始めた。
名前を言われても、薄情な私は彼らの顔を思い出せない。それでも私は、この曲を学芸会で歌おうと言ったのが、当時まだ若かった音楽の先生であることを覚えている。
その先生はミュージカルが大好きで、学芸会や合唱コンクールなどで色々なミュージカルの歌を教えてくれたのである。
あの先生は、自分の教え子がアラサーになってからもカラオケで『オーハッピーデイ』を歌っていると知ったら、どう思うだろうか。
その先生は私の小学校時代にしては珍しく、授業中にある男子児童が急にクラスメイトに怒鳴り始めても、その子を叱らない人だった。
怒鳴った子ではなく、その子が怒鳴るまで煽ったクラスメイトがいることを見抜いて、彼が暴れてしまうのには理由があるということを何度も何度もクラスメイトたちに説明していた。
君たちが理解するのが重要なんだ、と幼い私たちに示してくれた。
先生が担当する教室の中には、ダンボールで仕切られた小さなエリアが設けられていた。
それはクールダウンのスペースだった。
同窓会なんて一度も行ったことはないけれど、もし今後なんらかの奇跡があってその先生と会うことがあったら、Aちゃんとカラオケで『オーハッピーデイ』を歌ったことを話してみたいと思う。
先生のミュージカル音楽の布教、成功してましたよ。と伝えてみたい。
改めてAちゃん、お誕生日おめでとう。
お互い、素敵な大人になりましょう。
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