第一章

第1話

「……留学する事に決めたから」


 午前中の講義が終わった後の昼休み。直樹なおきを大学構内にある学生用食堂に呼び出し、二人そろって一番人気の醤油ラーメンをさあ食べようかというタイミングで、私は意を決してそう切り出した。


 正直、かなり緊張していた。朝からずっとこの言葉を口にする事ばかり考えていたせいで、特に四コマ目の内容なんてほとんど頭に入っていない。ノートも取らなかったから、後で誰かに貸してもらわないと。沢渡さわたり教授の講義はとてもおもしろいから、本当なら一瞬だって聞き逃したくないのに。


 それでも敢えてこんな手に出たのは、もうはっきりとしておきたかったから。今、直樹の口から、私の聞きたい言葉を言ってほしかったからだ。


 昼時にふさわしく、他の学生達で隙間なく埋め尽くされた食堂の中はどこもかしこもわいわいとざわめいている。そんな所を選んだのも、いつも直樹と一緒に使っているここでなら少しは話しやすいだろうと思ったし、このざわめき具合が私の速くなった心臓の音もかき消してくれるんじゃないかと期待したから。でも、そんな私の淡くて浅はかなそれは、次の直樹のひと言であっけなく散らされた。


「そう。で、いつから?」


 背中に大きなリュックサックを背負ったままだった直樹は、私の言葉を聞くとラーメンの丼からぱっと顔を上げて、両目を大きく見開いてくれた。でもその次の瞬間には、もういつもの仏頂面に戻ってそんな事を言ってきたんだから、これで呆気に取られるなと言う方が無理な話というものだ。


「え……?」

「それって、先月から募集が始まってた語学留学の話だろ? 希望人数が多くて倍率高いって噂は聞いてたけど、葵生あおい受かってたんだ。よかったな」


 そう言うと、直樹はいただきますと両手を合わせてから、箸を取って醤油ラーメンを啜り始める。うん、やっぱり最初の一口は麺をチャーシューに挟み込むようにして食べるんだ。初めて一緒に食事をした時から全く変わっていないその食べ方に、私は彼らしいなと思いつつもひどく寂しくなった。


「……それだけ?」


 まだ箸を持つ事もできない私の手が、机の上で小刻みに震える。どうしてだろう。どうして直樹は、いつだってこんなふうなんだろう。


 私の逸らされる事のないまっすぐな視線に気が付いたのか、醤油ラーメンを何口か啜った後で直樹は再びこっちに顔を向けてくる。でも、淡々と「早く食べないと伸びるぞ?」なんて言うものだから、余計に食欲がなくなった。丼から漂ってくる醤油の香ばしい匂いにも興味がなくなった私は、からからに渇いた唇をゆっくりと動かした。

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