第117話
「今日はありがとう、兄さん。ごはん、本当においしかった」
テイクアウトしたいくつかのメニューを詰め込んだビニール袋を大事そうに抱えながら、智広は満面の笑みを浮かべた。先ほど平らげた分を計算しても、五万円にも届かない。大した売り上げにならなかったし、通りすがりに会計表を覗き込んできた紫雨からは鼻で笑われてしまった。なのに、少しも悪い気がしなかったから不思議だ。
「あんなショボいメシなんかで満足すんな、お坊ちゃんが。もっとうまいもん毎日食ってんだろ」
「それは否定できないなぁ、トメさんの料理は全部世界一だし。いつかさ、兄さんと毎日トメさんの料理が食べられたらいいんだけど」
拓海の言葉をさらりとかわしつつ、自分のささやかな夢を智広は思い描いた。いつかの朝、寝ぼけ眼でダイニングまでやってきた智広を、松永とトメが出迎える。そしてテーブルを挟んだ目の前に拓海がいて、「おはよう」と優しく挨拶してくれる瞬間を。
そんな事は露ほども知らない拓海は、『Full Moon』の入り口ドアの前まで智広と松永を送り出し、「じゃあな」とひと声放つ。
「今度こそ当分顔を出すなよ。おとなしく仕事に没頭してろ」
「ええっ!? それはないでしょ、兄さん」
「やかましい。いい加減自分の立場って奴を自覚しろ、佐嶋グループのトップがホストクラブに入れ込んでるなんてガセネタを雑誌に載せられてえのか」
「ある意味ガセではないでしょ、僕はどのお客さんよりも兄さんに入れ込んでるよ」
「皮肉るとはいい度胸だな」
「兄さんの弟だからね、僕は。はい、これ」
ビニール袋を一度松永に持たせると、智広は来店してきた時からずっと大事そうに寄り添わせていたA4判大の封筒を差し出す。嫌な予感がして受け取るのを渋っていた拓海だったが、智広の腕が胸元にまで伸びてきてぐいぐいと押しつけてくるものだから、最終的には受け取らざるを得なかった。
「少し手直ししてきたから」
中身が何かも言わないまま、智広が胸を張った。
「それなら兄さんどころか、誰も文句はないと思うし」
「ん? おい、まさかこれ……」
「兄さん。ここに来るのがダメなら、お休みの日はいい?」
そう言って、智広はにこりと笑う。また嫌な予感がした。
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