第一章

第1話

その朝も目が覚める直前まで、僕は夢を見ていた。


 大して意味を成さないぼんやりとした内容の夢なら、大方の人がそうなるように僕もそれをすっきり忘れ去る事ができるだろう。だが、僕は忘れる事ができない。むしろ、忘れてはいけないとさえ思っている。


 この夢を見るのは、もう何度目になるのだろう。それはもはや計り知る事すらできないが、その懐かしい風景は僕の心を切なく締め付け、果てがないと思えるほどの悲しみを与えるものだった。


 夢の中の僕は、五歳くらいの子供だ。太陽が強く照り付ける暑い夏の日、家族四人で家から少し離れた海へと赴いたところから、僕の悲しい夢が始まる。


 訪れた海は空の色とそこに浮かぶ入道雲の姿をていねいに映し出し、きらきらとまぶしく輝いている。絶えず揺れ続ける波間に入り込んだ光の粒が、まるで宝箱の中に散りばめられた宝石のようだった。


 子供の僕はそんな海で遊べる事が単純に嬉しくて、海パン姿でとにかくはしゃぎ回った。その様子を、今現在の僕がすぐ側でじっと見守っている。そんな夢だ。


 波打ち際に届く小さな波の先端を何度も足で蹴飛ばす子供の僕は、本当に楽しそうに笑っていた。


 それを見つめる度に、この夢の世界が現実で、本来僕が存在していなければならない「あちら側」が夢ならばどんなにいいだろうと、僕はいつも必死に思っている。


 静かに繰り返される潮騒の音が、こんなにもリアルに耳へと届くのに。子供の頃の僕は、こんなにも幸せそうに笑っているのに。


 もしもこの願いが叶うなら、僕はこれから先の人生、どんなに悲しみや切なさでつらくなろうとも決して構わない。それだけの覚悟ができているにも関わらず、僕の夢は僕の意志を無視して、どんどん展開を進めていく。期限付きの世界の構築が決して滞る事のないように……。


 波を蹴飛ばし続けるのに疲れたのか、子供の僕はふうっと一つ息を吐き出してから、ゆっくりと後方を振り返った。


 僕も彼につられて振り返ると、同じように海水浴にやってきた他の家族連れの中に混じって、僕の両親が並んで砂浜に腰を下ろしているのが見えた。


 無邪気に遊んでいた彼の姿がよほどおもしろかったのか、二人して小さくクスクスと笑っている。そんな二人の元へ戻りたくなった子供の僕は、両手を大きく振りながらその場から走り出した。

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