プロローグ

第1話

父方のばあちゃんが死んだのは、俺が小学校に上がって少し経った頃の事だった。


 ものすごく優しくて、誰に対しても面倒見のいい人だった。ばあちゃんが怒ったところなんて一度も見た事がない。きっと、人望も厚かったんだろう。俺の実家の一番奥に位置しているばあちゃんの部屋の和室には、いつも誰かしらが尋ねてきて何か真剣な相談話をしたり、「本当にありがとうございました」と言いながら、深々と頭を下げていたりした。


「いいのよ、いいのよ。あなた達・・・・が幸せでいてくれたら、我が家はそれに越した事はないわ」


 これが、そういう人達・・・・・・に対するばあちゃんの口癖。シワだらけの頬をさらにクシャクシャにして微笑む顔は本当に嬉しそうで、何度か和室の襖越しに覗いていた子供の俺も嬉しくなったのを覚えている。


 そんなばあちゃんが、だんだん床に伏せる事が多くなってきて、俺はものすごく心配した。「優太のランドセル姿を見るのが楽しみだねえ」といつも言ってくれていたから、ランドセルを背負ったところを見せれば元気になってくれるんじゃないかと単純にそう思った俺は、すぐさま行動に移した。


 わざわざ全部の教科書やノートをランドセルに詰め込み、ずっしりと重くなったそれを背負って和室に入った。当時六歳の小さな体には相当な負担だったと思うが、それでも俺は引きつりそうになる顔に何とか笑みを浮かべて、布団の中にいるばあちゃんに話しかけた。


「ばあちゃん、ほら見て。俺、こんなに力持ちだよ」


 大した自慢にもならない事を口走りながら、胸を張る俺。そのせいで重みのあるランドセルに引っ張られるようにして、ずでんと尻もちをついた。途端に、布団の方からくすくすくすっと静かな笑い声が聞こえてきた。


「優太は名前の通り、本当に優しい子だねえ」


 そう言いながら、ばあちゃんは顔と同じくらいシワだらけになった右腕を布団の中から、俺の方に向かって腕を伸ばしてくる。ばあちゃんが遠くに行ってしまいそうな気がした俺は、急いでランドセルを背中から下ろすと、そのままがっしりとばあちゃんの右手を握った。


「ばあちゃん、早く元気になってね。もきっとそう思ってるよ」

「そうだねえ……。もっともっと、の役に立ちたいねえ……」


 つぶやくようにそう言ったばあちゃんは、とても寂しそうに両目を細めた。まるで、あの人達・・・・の事が何よりの心残りだと言わんばかりに。


「ごめんね、優太」


 ばあちゃんが、俺をじっと見つめながらそう言った。


「あんたには、この先きっと苦労かけちまうよ」

「そんなの平気だよ。俺、ばあちゃんの事が大好きだから! だから心配しないでいいよ!」


 ばあちゃんのその言葉の意味をろくに知ろうともしないでそう言い切った俺は、ばあちゃんはすぐに元気になると信じて疑っていなかった。それくらい、本当にばあちゃんが好きだったんだ。ばあちゃんの右手の甲にある風車みたいな形の痣、それと全く同じものが俺の右手の甲にあるのも好きだった。


 それから三日後だった。ばあちゃんが静かに息を引き取ったのは。

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