第一章 さよなら

第1話

「…小泉八雲が書いた『むじな』ってタイトルの話を知ってるか?」


 出会ってしばらく経った頃、俺は一度お前にそう聞いた事があったよな。


 あの時、お前ったら思いっきり分かりやすく首をかしげて「何それ?」なんて答えてた。


 俺が心底あきれて「マジか?」って言ってやったら、とたんにお前の声が機嫌を悪くしたのを知らせた。


「だって私、楽譜と歌詞以外は全然読まないもの」


 それもどうかと思うけどな。音符とかはともかく、歌詞も物語も同じ日本語じゃねえか。


 仕方がないから、お前にも分かりやすいように「のっぺらぼうの話だよ」って言い直してやったら、ひと呼吸置いて、お前は「ああ!」とまた分かりやすい反応をした。


「それなら、よく知ってる。でも、それがどうかしたの?」


 また、お前が首をかしげる。そりゃそうだろう、お前は何にも知らないんだから。


 あの時の緊張感は、今でも忘れていない。すっげえ心臓がバクバク動いていたし、どっちかといえば、お前にだけは知られたくない。知られるのが怖いって気持ちの方が大きかったかもしれない。


 それでも、これでもかってくらい勇気をふりしぼって俺は言った。「俺、それだから」って。


「…ん?」


 首をかしげたまま、お前は不思議そうな声をあげたっけ。


 だから、俺はこう言ったんだ。


「俺は、のっぺらぼうの国の王子様なんだよ」


 この時の俺は、きっと世界で一番のビビりだったに違いない。お前の反応が本当に怖くて仕方なかった。


 だからかな。その後に聞こえてきたお前の声が、どんなに俺にとって嬉しかったかしれない。


「そうなんだ。じゃあ、私は歌の国のお姫様になるね」


 くすくすという笑い声も聞こえてきて、お前のいる方に顔を向ければ、お前はさらにこう言ってくれた。


「そしたら、俊一しゅんいち君はいつでも私を見つけてくれるでしょ?」


 お前、あの時確かにそう言ってくれたじゃん。


 それなのに、何で今いないんだよ…。

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