第63話

分かりやすい嘘だと思った。携帯電話くらい、田舎者の僕だって持っている。健司が僕に番号を教えたくないのだという事は何となく気配で感じていたが、どうしてそんな真似をするのだろうと深くは考えなかった。


 健司は露骨に僕の顔を見ようとしていなかったのに、僕はそれにすら気付かずに、さらに言った。


「あのさ。俺、この前チリに会ったんだ」

「え…」

「びっくりした。チリの奴、母親になってたよ」

「……」


 健司は黙っていたが、その目は大きく見開いていた。彼の息遣いが深く大きくなっていく。ただ驚いているのだろうと、僕は勝手に解釈していた。


「佐伯…」


 若干小さい声で、健司が言った。


「チリ、何か言ってなかったか?」

「葵ちゃんだってさ」

「え…」

「女の子でさ、目元がチリによく似てた」

「父親の事は?」

「シングルマザーでやっていくそうだ。全く、本当にチリらしい」


 僕は無神経にべらべらと語った。健司はずっと押し黙って聞き続けた後、僕を置いてゆっくりと車を発進させていった。

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