第63話

彼女の言いたい事が、何となく伝わってきた。小さなイライラが私の中で揺れ始めていた。


 家に帰り着く頃、そのイライラはひどく大きくなっていた。


 怒りに任せて、私は部屋の戸棚の中を乱暴に掻き回し、奥にあった古い墨汁を頭から被った。紙も顔も制服も真っ黒に染まり、目の中にも墨汁が入って痛かったが、父が帰ってくるまで私はその場にへたり込んでいた。


 帰宅した父は墨汁塗れの私を見て、当然の事だが驚いた。しかし、そんな父を見据えながら発した私の言葉は、ひどく無機質で淡々としていた。


「…お父さん。どうして、私はこんなふうに生まれてきたんですか?皆と一緒が良かったのに…」




 無事、第一志望の高校に入学したものの、私は一年の一学期だけしか登校せず、夏休みが明ける頃には退学届を提出してしまっていた。高校に行っても、私を取り巻く環境はあまり変わらなかった。もう、我慢の限界だった。


 高校を中退した私はしばらくの間、何もする事がなかった。家の周囲を散歩したり、そのついでにアルバイトを探してみたりしていたが、一日の大半は家事をして過ごしていた。


 たまに外出先でアンケートをせがまれる事があるが、そんな時、私は職業欄の部分を一番に書く。できるだけ大きな文字で『家事手伝い、またはニート』と書いてやるのだ。それほど、私は自分の将来について何も考えていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る