第10話 裏切りリリス。

 いくつかの魔獣討伐クエストをこなしたあと、俺はランクを一つ上げ、Eランクの魔獣討伐クエストを受注していた。

 今回のクエストはブルース草原を抜けて南東に向かい、ミヨルゾ山脈の麓にあるひとつの洞窟内での魔獣討伐クエストだった。洞窟内で大量のゴブリンが繁殖し、このままでは彼らが群れを形成しオーヴェルニュの街に餌探しにやってくる、という懸念が持たれていた。そのための、今回の討伐クエストである。


 洞窟内に入って十分ほど一本道を進んだ時のことだ。


 「ひ、ひい! 」


 という甲高い女性の悲鳴が洞窟内にこだまし、その悲鳴とともに、奥の暗闇からひとりの女性が這い出て来た。


 「大丈夫ですか!? どうされました!? 」

 と、慌てて彼女に駆け寄ると、

 「お、奥にゴブリン・シャーマンがいて、そいつが……高度な魔術を操っていて……! 」

 と、女性は恐怖に顔を引き攣らせ、震える指で洞窟の奥の暗闇を指差した。


 「ゴブリン・シャーマンか……」

 と、思わず俺は、そう呻く。

 ゴブリン・シャーマンはゴブリンの群れにごく稀に紛れ込む特殊個体の一種で、魔力や身体能力自体はさほど高くはないのだが、配下であるゴブリンに複雑な命令を指示するのと、敵を惑わす高度な魔術を唱えることで知られていた。

 堅牢な冒険者であれば適正な対策を立てることで対処は難しくないはずなのだが……、

 

 「奥にまだ、あなたの仲間はいますか!? 」

 そう問うと、彼女は曖昧な表情を浮かべて、なにも答えない。

 「?? あの、俺の声が、聞こえていますか? 」

 そう問い直すが、やはりなにも答えない。

 なぜなにも答えないのだろうと訝しんでいると、徐々にこの女性の顔に見覚えがあったことに、気がつく。

 「もしかしてあんた、“銀狼の牙”に所属している、リリス・ナイトシェイドか……? 」

 俺がそう問うと、この若い女性はどことなく気まずそうにふいっと顔を逸らした。そして、なにも答えはしない。


 リリス・ナイトシェイド。

 “銀狼の牙”に所属する彼女はDランク冒険者で、とあるパーティーのリーダーを担っている。

 アニーにも匹敵するほどの整った容姿をしている彼女ではあるが、この世界で彼女が名を知られているのは、その容姿故ではない。

 “裏切りリリス”。

 それが彼女の悪名だった。

 これまで裏切った仲間は数知れない。大型の魔獣の前で仲間を置き去りにし、ある失敗を仲間に被せたこともある。

 それでも彼女が“銀狼の牙”をクビにならずに済んだのは、彼女がこの団体の党首であるヴィクター・ナイトシェイドの娘であったからだ。それらの悪名はこの世界の冒険者全体に広がり、彼女のことを「悪魔の女」と呼称する者までいる。

 だが、……俺がこの女のことを憎んでいるのは、これらの悪評の為ではなかった。


 「……リリス。お前が俺にしたことを、覚えているか? 」

 彼女は背けた顔のまま、低い声で言った。

 「……なんのこと? 」

 そのしらばっくれた返答に、一瞬、眩暈がするほどの、怒りが湧く。

 「お前、自分がしたことを、なかったことにするつもりか……! 」


 あれは俺がまだ橋の隅で“物乞い”をしていたときのことだった。

 冒険者であるリリスは突然俺の前に現れ、銀貨一枚を俺の膝の前に放り投げた。

 「頑張って! 応援しているわ! 」と、いかにも楽し気な笑みを浮かべて。

 ……だが、その銀貨を受け取ったあと、なにか自分の身体に異変が起こっていることに、俺は気が付く。

 喉の辺りがいがいがとし、眩暈がし、少しずつ嘔吐感が募った。

 リリスの放った銀貨に少量の毒が塗られていたことに気づいたのは、冒険者たちの嫌がらせに詳しいツルゲーネがその硬貨をつぶさに調べ上げたときのことだ。

 リリスがなぜそんなことをしたかは、今になれば良くわかる。

 この性悪女は、ただただ面白半分に俺を痛めつけたのだ。


 「本当に憶えていないのか? お前は毒を塗った銀貨を物乞いである俺に渡したんだ。おかげで、二週間も寝床から立ち上がることが出来なかった……! 」

 そう言うと、リリスは洞窟の床に尻もちをついたまま、思わず吹き出して言った。

 「……あら、そうなの? 全然覚えていないわ。それ、本当に私かしら……? 」

 「貴様……! 」

 彼女の反省のない言葉に腹が立ったが、俺はふと、ある異変に気付く。

 床に尻もちをついた彼女の足元から、大量の血が流れ出ていたのだ。

 「お前、足を怪我しているのか? 」

 彼女は顔を背けたまま、なにも答えない。

 「もしかして、歩けないのか? 」

 この問いに対しても、やはり、何も答えようとしない。


 リリスの足の怪我に目を向けると、流れ出ている血の根元に、深い傷があるのが見える。

 その傷は足の骨にまで達し、なかの肉は無残にも激しく損傷していた。


 “このまま放置すれば、こいつはここでゴブリンに殺されるんじゃないか”。


 そんな残酷な思惑が浮かんだのは、そのときのことだった。


 「……私を放っていくつもり? 」

 と、俺の思惑を察したように、リリスが不敵な笑みを浮かべて言う。

 だが、強がる彼女の態度とは裏腹に、その額には夥しい汗の雫が浮かんでいる。


 「……見捨てたりはしないさ。お前とは違うんだ」

 そう言うと、俺は屈みこんで彼女の足に上級快復魔術を掛けた。

 「“ハイヒール”」

 みるみるうちにリリスの足の怪我がもとの形へと再生されていく。

 「どうして物乞いのあんたが“ハイヒール”を扱えるの……!? 」

 と、リリスは驚愕の表情をその顔に浮かべている。

 「お前には関係ないだろう」と、俺はその質問には答えずに、問うた。「それより、奥にまだお前の仲間がいるのか? いるのなら、助けにいかなくちゃ」

 この質問に対しリリスはしばらく沈黙を続けたが、やがてこう零した。

 「……フン、いたとして、それがなんだって言うのよ。お父様に頼んで私の護衛をやらせたのに、ちっとも役に立たないんだから。あんなやつら、死んで当然なのよ……! 」

 性悪女はどこまで行っても性悪で、その性根が直ることはないのだろう。カッとした怒りが俺のなかに湧き、

 「クソ女め……! お前こそ、ここでくたばれ……! 」

 そう吐き捨て、俺は洞窟の奥へと歩を進めた。


 





 

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