第4話 聖女アニー。
「この宿に泊まるのは、今日で最後にしてもらえる? 」
街の最南に位置するこの安宿の女主人にそう言われたのが、翌週のことだ。
「最後、ですか」
「ええ、最後」
「あの、ちなみに、なぜですか」
その太った女主人は、眉間に深い皺を寄せて俺を見据える。
「あなた、第四階級でしょう? ほかの冒険者から聞きましたよ。まったく、そんな身なりして、私を騙そうとして……! 」
パルサーに貰った高級な装備品を身に着けていたから、俺が第四階級の人間だとはすぐにバレなかったのだ。
だが、そのせいで、彼女は俺に”騙された“と、感じたようだ。
「……騙そうとしたわけではありません。聞かれれば答えるつもりでした。……ですが、すいません、今日の夜からは別のところへ泊ります。今まで、ありがとうございました」
この異世界に蔓延っている強靭なまでの差別意識、それに対する怒り、憤懣、そういったものをぐっと堪え、俺は深々と頭を下げる。それから、出来るだけ丁寧な仕草を心掛け、宿を出てゆく。
これでまた、新しい宿を一から探さなくてはならない。
昼過ぎになり、アニーが俺の元を尋ねてやってきてくれた。
「涼さん、ここに居たのですね、宿泊している宿を尋ねて行ったのですが、見つからなくて……」
よほど探し回ったのか、修道服に身を包んだ彼女の額に、汗の雫が光っている。
「実は、追い出されてしまって……」
と、その恥しさから、俺は笑いながらそう打ち明ける。
「追い出された!? なぜですか!? 」
「第四階級だとバレてしまったからですよ。誰かほかの冒険者が告げ口したようです」
「そんなこと……! 」
と、優しい彼女は、俺の為に絶句してくれている。
「そんなこと、と言うかもしれませんが、“そんなことだらけ”なのですよ、この世界は……。アハハ、まったく、なにをするにも差別があって、上手く行きませんね」
彼女は俺の言葉にじっと耳を傾けてくれ、それから、
「……忘れましょう! 」
と、突然、そんな思いがけない笑みを見せて、言った。
「……そんないやなことは、すっぱり忘れてしまいましょう! この先に私が懇意にしているスイーツ屋さんがあるのです。これから、一緒にそこへ行きませんか? 美味しいものを食べて、忘れてしまおうじゃありませんか」
スイーツか。
この世界で甘いものを食べたのなんて、いつぶりのことだろう。
「……行きたいのはやまやまですが」
と、つい、卑屈な言葉が俺の口をついて出てくる。
「アニーさんは俺と一緒に居て平気なのですか? 俺が第四階級という噂はこの街中に広まっています。本来、街を大っぴらに歩くのさえ嫌悪される俺たちです。第一階級のあなたが、俺と一緒に歩いていたらなんて言われるか」
アニーは、その真っ青な瞳を俺に近づけて言った。
「涼さんは、私と一緒にいるのが、いやなのですか? 」
「え、俺は、別に……! 」
「いやかどうか、聞いているのです」
「え、あ、……いやでは、ありません」
「では、嬉しいですか? 」
もうひとつ、ぐいと身体を近づけて、アニーがそう尋ねる。
「……嬉しいです」
彼女の熱意に根負けして、俺はそう口にする。
その瞬間、アニーの顔がさっと花開いたように見えた。
抑えようとしているようには見えるが、俺の顔のまえで、明らかに嬉し気にその瞳を輝かせた。
「私も涼さんと過ごせて、とっても嬉しいです……! 」
初めて会ったときから感じていたことだが、彼女はよほど真っ直ぐな人間なのではないか。
彼女が真正面からぶつけてくる言葉には嘘という濁りが、全くと言って良いほど、見られない。
彼女は俺の手を優しく握り締めながら、こう続けたのだった。
「私たちはこの世界を変えようとする同士ではありませんか。そんな私たちが、なぜ階級差を気にしなくてはならないのですか? まず手始めに、私たちのあいだにある差別意識を取り払うことから始めませんか。私と、あなたのあいだに、どんな階級差もありません。良いですか? これは私と涼さんのあいだの、大切な約束です」
こんなことを真っ直ぐに言ってくれる人は、この世界にひとりもいなかった。
あまりにも真っ直ぐな言葉と、良く見れば明らかに美しいその大きな瞳を前に、俺は思わず赤面し、視線を落としてしまう。
「わかりました……。アニーさんが良ければ、そうしましょう。でも、すぐには難しいかもしれません」
ごにょごにょとどもりながら俺がそう言うと、
「では、そういうことで、これからもよろしくお願いします、涼さん……! 」
と、彼女はその芯の強い真っ直ぐな笑みを俺に向けた。
アニーさんの馴染の店であるというスイーツ屋を出ると、俺たちは街道を西に向かって下り、陽の暮れ始めた川沿いを歩き出した。
差別さえなければこの街は感動的なまでに美しく、きらきらと輝いて見える。
「涼さん! あっちへ行ってみましょう! 川沿いに屋台が出ていますから! 」
「アニーさん、走ると危ないですよ! 気を付けて! 」
川沿いを進むと屋台の立ち並ぶ、この街名物の“立ち食い通り”がある。
「ここのお団子がとっても美味しいんです、ぜひ涼さんも食べてください! きっと後悔させませんから」
さっき食べたケーキはどこへ行ったのか、屋台で甘い団子をふたつ注文しながら、アニーがそう笑う。
串に刺さったその団子をふたりで頬張りながら、俺たちはさらに川沿いを下ってゆく。
「……まだ、母が生きていたとき、この道を良くふたりで通りました」
と、アニーが自分の身の上を話し出したのが、そのときのことだ。
「お母さんは、すでに亡くなっているのですか? 」
言葉もなく、アニーが頷く。
「私の母は、もともとは第四階級の出身でした。正確に言うと、彼女の職は“娼婦”だったのです」
「娼婦……」
「そう。涼さんには打ち明けますが、私は娼婦の娘なんです」
なんて答えて良いかわからず、俺は黙ったまま、ただ歩いている。
「母が貴族になったのは、ある有力貴族に見初められてからです。それから、自身の出自を隠して、母は貴族社会に溶け込もうとしました。……でも、駄目だった。どこかから噂が漏れ、彼女は差別の対象となった」
彼女はすうっと息を吸い、それを吐いた。
「幼い頃から私が見て来たのは、貴族たちに迫害される母の姿です。母はその差別に必死に抗っていました。私の前では強い女性を演じ、なににも屈しないよう振る舞っていました。……でも、人々の差別の刃は確実に彼女を蝕んで行きました。ある晩、とても雨の強かった日です、母はひとり城から出て行くと……」
「まさか……」と、思わず俺はそう唸る。
アニーは首を振って言った。
「遺体として見つかったのが、翌朝の早朝、川辺でのことでした。医者の診断では、”身投げ“。恐らく、自分で身を投げたのだろう、ということでした」
アニーは唇を噛みしめ、いかにも苦しそうに言葉を紡いだ。
「私がはっきりと差別を憎むようになったのは、それからのことです」
出会った当初、世間知らずの若い女性に見えた彼女に、そんな暗い過去があったとは。
この世界はつくづく差別に満ちており、この瞬間も、絶えず誰かが迫害の憂き目に合っている。
「でも、あなたは、アニーさんは差別には合わなかったのですか? 」
「……娼婦の娘、という理由で、ですか? 」
そうだ。だが、なかなか面と向かって、「そうだ」とは、言えない。
黙っていると、アニーが察してこう言葉を繋いだ。
「私自身は差別は受けなかったのです。なぜかわかりますか」
その問いに、俺は首を振って答える。なぜなのか、見当もつかなかった。
「……十四歳のときでした。私は成人の儀の為に教会に赴きました。そこで職業判別の儀を受けました。私が認定された職業は“聖女”。この世界にたった四人しかいない上級職です」
「聖女、アニー……」
思わずそう零した俺の一言に、アニーが頷く。
聖女アニー。誰だって耳にしたことがある。とある有力貴族の四女で、この世界にたった四人しかいない聖女の一人。
彼女は、なによりもその”美しい容姿“で広く知られていた。
大きな真っ青な瞳と、この国の秘宝とまで言われる、豊満な青い髪……。
川沿いに満ちた夕焼けの明かりを背後にして、彼女は初めて俺の前で修道服のフードを脱いだ。
すると、その豊かな青い髪がふわりと彼女の肩を撫で、その美しい容姿が俺の前に姿を現す。
「私の職業が上級職であったから、私は差別を受けなかったのです。でも、母はそうではない。認定された職業が“娼婦”であったから、差別を受けた。……たったそれだけのことなのです。たったそれだけのことで、母はあれほど、ひどい仕打ちを受けたのです。私は、それがなによりも悔しい」
「力を貸してください、涼さん」
と彼女は言葉を継ぎ、俺の手を硬く握り締めた。
「この世界から差別を無くすには、私だけではなく同じ志を持った仲間の力が、どうしても必要なのです。涼さん、あなたのような第四階級の人間が活躍すれば、もしかしたら差別は無くなるかもしれません。どうか、どうか私に、その力を貸してください……! 」
彼女が強い覚悟を持って俺を誘ったのは感じていたが、これほどの熱意を持っているとは知らなかった。
彼女の熱意に押され、俺はなにかに背中を押されるように、こう口にしたのだった。
「俺の方こそお願いします。アニーさん、俺と一緒に、この世界を変えましょう……! 」
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