第5話 誰かの痕(モノ)
どく、ともう何度目か数えきれなくなった嫌な心音が身体の内側で鳴る。
不思議なもので、何度でも慣れない。
何度見ても、慣れない。
「うん?」
食べる手を止めて話を聞いてくれていた善が私の様子を気にしている。だから早く、次の台詞を言わなきゃ、
言わなきゃ
「その、首」
「首?」
何か付いてる?とピンポイントで触れたから、それさえ触れてほしくなくて焦った。もう、鮮やかでもない、確かな赤茶色の、小さく存在感のある痕。
「あー…」
“何か”に気付いたのだろう。珍しく沈黙を作った後、何気なく「噛まれちゃったのね、気付かなかったわ」と何て事ない事みたいに笑った。
昨日は会ってないけど、一昨日は会った。
多分、私が気付かなかった可能性もあるけど、その時にはなかった。
善の笑顔に反して心が波立つ。
痛い。
それでもずっと平静を装ってきた筈だ。筈だとしても、確かに気付かれないくらいには上手にやってきた。
こういう、勘付いてしまうような場面には出会してきた。
なのに “今”、ああ、どうしようと
自分が自分の嫌いな自分に覆われていくのはもう、限界だったからかもしれない。
どうせ私には敵わないのに、他の同性には自分に触れさせる善を見るのが。
「そんな事より、心未ちゃんの話。
男嫌いが仕事の足枷になってるって事?」
「うん」
「それは」
「もう、克服したくて」
言い切った。
私、今、善の綺麗な眼にどう映っているだろう。
もうその痕を見ないでいられているだろうか。
強い女性に見えているだろうか。
それで、こうやってずっと、逢った時からずっと、私を考えてくれる善を解放してあげたい。情けないけどそれしか思い浮かばない。それくらいで、
「本気で言ってる?」
私の、ちっぽけな綺麗事を一蹴する善の眸が貫いた。「うん」と、自信はなくとも確かな決意に頷く。
「父親と会って、せめてお母さんに謝るところでも見れたら克服できると思ってた。というか今も思ってる。でもそれって結局父親を捜す伝手なんか残ってない私にはその機会を待つしかできない。もしかしたらもう二度と、一生会わないかもしれないのに。そもそもあいつが生きてるかどうかもわからないしね」
「ならどうやって克服するの?」
「んー…まずは会社の人? あっ同期の男に自分から声を掛けるところから目標に、頑張って」
「だめ」
えっ。だめ?
「何でだめなの」
「危ない人がいるから」
「ちょっと。私の同期よ? 危なくないよ」
「男は皆危ないの」
そんなこと言ったら克服できないじゃないか。
「じゃー街に繰り出してさりげなく話しかけてみるとか」
「それって、逆ナンするってこと?」
「…逆ナンって何だっけ。ナンパの逆?
いやそういうのじゃなくて、」
想像以上に突っ掛かってくる善。私はもっとこう世間一般で云う普通に、深い関わりとかじゃなく、挨拶されたら何の嫌悪もなく返せて、もっと上達したら自分から挨拶したりして、業務上のやり取りもぎこちなくなくできて…って、そういうのができるようになりたいのだ。
善に心配を掛けない“普通”になりたいんだけど、上手く伝えられてない感じだろうか。
「兎に角アタシの目の届かない所で勝手するのはやめて」
はっきりと言われてしまった。
「目の届かない所でって。私もう、23だよ」
「関係ない。アタシの中では心未ちゃんはずっと——」
「…ずっと、何」
言い掛けて止めた善。
みなまで言わなくても解る。餓鬼だと云いたいんだ。
そりゃそうだ、この歳になっても子どもの頃のトラウマのまま男が嫌いで…怖い、なんて。
「善の目の届く所じゃ、甘えになる」
「甘えて何が悪いの?」
ハ〜〜〜〜!
ああいえばこういう善ママだ。これ、数年越しにデジャヴだ。
数年前、高校生の頃にも見聞を広げたい、女子校に入学したはいいけどあわよくば男嫌いも克服しておきたいとかそんな理由でバイトしたいと善に打診したときもこんな感じだった。
結局その時は善の迫力と恐さに慄きたじろぎ引き下がったが、今回はそうもいかない。
下から睨み上げるように善を見返すも既に据わった眸で見下ろされている。ヤッパリ、コワイ。
これは今私が自分で話してしまったばかりに、同期の男に挑戦しようものならその男が牽制されて余計変な感じになり居辛くなるという未来をも生みそうだし、街に繰り出すのもナズナあたり遣って尾行されかねない。しかし、異性を克服するのに一人相撲じゃ進展が…
アッ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます