第3話 朝、昼、好意



「……悪夢…みなかった、」



目を開けた弾みで何者かの後を追うように起こした身体は嘘みたいに軽かった。


背後からは朝日が柔らかく差し込み目の前の炬燵テーブルを照らしている。

雨は降っていない。濡れてもいない。代わりに控えめに鳴っているアラームを止めた後のタブレット画面にいつもの文が打ってあった。


“ 今日の朝・昼 おかずは冷蔵庫、米は冷凍庫

米の解凍はそれぞれ500Wで3分10秒

弁当、おかずだけ持って行かないように注意 ”



まったく、気付かなかった。


何なら帰ってきてからあやふやな記憶だ。


腹部を見下ろせば仕事着からうさぎ柄のラブリーパジャマに着替えている。何だ、無事脱げていたのか。


次に目に入ったのは綺麗に畳まれた仕事着。

これは…昨日着ていたもの。


その隣に、恐らく今日着る用の仕事着が支度されている。という事は、やっぱり。


昨日、私が寝落ちた後も“来て”いたのか。


今回は冷蔵冷凍分けたのか…と起き上がり、ぽりぽり太腿を掻きながら先ず冷凍庫を開けると、見易い目の前に転がせば転がって行きそうなほど均等のとれた、胡麻が塗された三角おにぎりがラップに包まれて二つと、保存容器に入れられたお弁当用らしき物が有った。続いて冷蔵庫には焼き海苔、たくあんが添えられた皿、と曲げわっぱの弁当箱が既に風呂敷に包まれて支度されていた。



「ありがたぁ」


こうして限界を迎える頃にやって来ては私の居ぬ間に家中の掃除をし、作り置きまでもの家事を終え快適な寝心地を整え次の日の服やご飯まで支度していく、


誰か。



どこからどこまでが私が帰ってくるまでで


どこからどこまでが私が眠った後やっているのか、それさえ把握できていない。


遭遇した事は 一度もないから。





▽ ▽ ▽





PC画面の右下で12時を超えている事に気付き、キリの良い所でタイピングの指を止める。


デスクの下に置いた鞄から、実は朝から頭の片隅で楽しみにしていた黄色い大波柄の風呂敷を取り出しるんるんなのを隠した平静を装って席を立った。


「ぁ、心未ちゃんもお昼行く?」


不意に声を掛けられ振り返った先の同期の中に“男”が入っているのを見て、反射的に「ごめん」と口が動いて。


やっぱり視線の先の一人、二人が不思議そうな顔をしたのを見て、風呂敷を持った腕の力が抜けた。




最寄りのコンビニに立ち寄り、烏龍茶だけ買って出た所で

向こうから来た人物と目が合う。



「善」


疑問符が付くより早く名前を口にしたその人物は、きょとんとした表情から釣られそうになる柔らかい笑みに変わって、雑音の中確かに「ここみちゃん」と応えて歩み寄る。


「偶然ね。お昼?」


私が両手で抱えていた風呂敷を一瞥し尋ねてきた。

短く頷くと、「アタシも」と出てきたコンビニの隣のカフェを指した。



「何で善が此処に」


「テイクアウトするから一緒に食べない?」


「…いいけど。予定ズレるよ」


いつも何故か忙しそうな善の事だから、この後も予定が詰まっているのだろう。

そう予想して言ったものの、善はさきの柔らかい笑みを崩さないまま視線だけを動かして、


「あ、丁度空いた、日陰。座って待ってて」


テラス席を指す。追って見て、わかった、と進もうとすると、店内に入っていくものと思っていた善は私を追い越し、グレーのシェフパンツのポケットから煙草とライターを取り出して席に置いた。


向かいの席で立ち竦んだ私に気付く善。


「煙草? 吸うの」


「…いや? これは知愛くんの」


「何用?」


今の間は何だと眉を顰める私に見透かしたような声色で、「アタシが居ない間に心未ちゃんに変な虫がつかないように、虫除け用よ」と答えた。



虫除け用?


その為にわざわざ他人の煙草を借りてきたと? 非喫煙者の善が?


益々眉間の皺を深める私に善は微笑んで、買ってくるわね、と店内へ向かって。

私は、重たい椅子を引いた。






————私、は。




善が好きだった。

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