◇◇村上健司◇◇ 根源
それにしても芸能人か何かのようにきれいな顔をしている。歌舞伎の女形を連想させる線の細い中性的なイケメンだ。俺の友達にイケメンなんていくらでもいるけれど、そういう現実に即した奴らとどこか違っている。
夕凪から、月城には婚約者がいて、でも、そいつに対して彼女は一ミリたりとも恋愛感情を持てない、と聞いていた。どんなに不潔っぽくて脂(あぶら)ぎった親父かと思っていたら、こんな……。
「洋太さんは月城がそこまで好きなわけですか? なら月城の望まない事はしないはずだと思いますけど。品川ゼミナールには立派な後継者がいるじゃありませんか」
最初は品川洋太に、次には品川の方を向いて伝えた。
「僕はモデルで……。実際の経営となると、頭のいい一颯ちゃんに頼ってしまう部分もあると、思うんです」
なんだこいつ! やりたいことのために、月城を自分の身代わりにしようと?
おそらくあの家で見つけた月城の成績表とか模擬テストの順位とか、そういうものに目をつけたのだ。
月城は小学校時代、成績が良かった。その上、中学に入ってすぐから目標大学を絞って勉強していたらしい事は、実家で月城の机に貼ってあった紙を見てもわかる。
この、見てくればっかりよくて、経営には疎そうな息子の身代わりか、月城は。
お前に〝モデル〟って将来の希望があるように、月城にだって進みたい道はあったんだよ。塾経営とは別のな。
「モデルだって人気商売でしょ? 婚約者がいちゃまずいんじゃないの? それ以前に、あなたは月城を本当に好きなんですか?」
「僕は一颯ちゃんが好きですよ。とてもね。だから結婚できないって言われたらモデルなんてやめてもいいんです」
今までの態度とは一線を画すようなキッパリとした口調に、驚きを隠せない。
こいつ……っ。
俺よりもずっと容姿端麗な男が、月城の前でこんなことを臆さず口にする。仕事の場だってのに、胃の腑がジリジリする。
「まあまあ若い人たちのことだから……」
俺だってわけぇーよ! たぶんこの色男よりな。奥歯を噛み締めていたらうまく声が出なかった。
「まあ、その話は一旦おいて置くとしまして。今度うちが東欧塾さんと提携したことは書面でお知らせしましたよね? で、どちらかというとうちよりも東欧塾さんの方が、Canalsの買収に積極的でね」
なるほどな。うちを餌にして東欧塾と提携を結んだのか。うちを手土産に、東欧塾と品川ゼミナールは同列の合併に至ると? 合併後も経営側として居座ると? 汚いがやり手といえばやり手なのかもしれない。
ハッキングでうちの情報を漏洩し、IPO前に買い叩く作戦が不発に終われば、品川ゼミナールだけではCanalsを買収するのは資金的に無理だ。買収の資金を出すのは東欧塾ってことか。
こいつマジで許せねえ。
ハッキングを月城にやらせたり、家が燃えたなんて嘘をついて記憶を封印したり、汚すぎる。
俺が憤怒のあまり口を聞けずにいると、品川が媚びるような声で月城に囁きかける。
「一颯。お前に直接会えないからこんな場で言うしかないが……、わたしたちは一颯が戻るなら、Canalsとの合併は諦めてもいいと思ってるんだよ」
「え……」
始終俯いていた月城が思わず顔を上げた。
それは嘘だ。騙されるな。うちを手土産にしない提携なんか、東欧塾にはなんのメリットもない。東欧塾との提携はなくなるぞ。
「村上副社長、方便だとお考えですね? でも違いますよ。一颯が戻ってくるなら本当にCanalsのことはあきらめましょう。東欧塾さんにも、一颯にはCanals以上の価値があるとすぐにわかってもらえるはずです」
なんだとっ?
気づかれないように深呼吸をして怒りを鎮める。俺が勇み立っている場合じゃないのだ。
月城の気持ちが揺れている。
なんだかこの品川って男は気持ちが悪い。目を見ていると人心を操ってくるような……。俺はあまりにも怒りが強く、気持ちは揺れない。でも、人と何かが違うのはわかる。催眠術かなんかの一種なんだろうか。
月城はこの応接に入ってから努めて下を向き、あきらかに品川の視線を避けている。
けれど今、思わず顔を上げた月城のその双眸を、まるで捕まえるかのように、品川は覗き込んでくる。虹彩の輪がはっきりしたグレーの瞳に、慈悲のような胡散臭い笑みを含み、相手の心の奥までするすると入り込もうとする。
「叔父さん、わたし……」
うわずったような声に、正常な状態から外れつつある月城の精神状態が垣間見えた。
「月城っ! 約束だぞ」
俺は隣にいる月城の手首を思わず強く抑えた。月城が我に返ったようにびくりとした。
「副社長、姪に乱暴は困りますよ」
「乱暴なんかじゃないです! 失礼な!」
今度は月城がいきりたつ。
「叔父さん、わたし、今は叔父さんが信じられないんです。ごめんなさい。少し時間をくれませんか?」
そこで品川は立ち上がった。
「いいよ一颯。大切に育てた一颯が、わたしたちを裏切ってCanalsに着くようなことがあるはずもない。でもどこに住んでいるのか、場所だけは教えておいてくれないか? 心配だよ」
「うちの社の借り上げ社宅です。社外秘です」
「村上副社長、後悔しないように。学生時代にお仲間で作った大切な会社でしょう?」
「そちらも奥様の先代から譲られた大切な会社でしょう?」
息子のような年齢の男に同じような口ぶりをされたことに鼻白んだのか、品川はそのまま会釈もせずに出て行った。品川洋太は、月城の方を気遣うような心配するような……縋るような瞳でしばらく見つめた後、出て行った。
一応立ち上がるだけは立ち上がって見送った俺と月城は、気が抜けたように同時にソファに腰を落とす。
事前に少しでも打ち合わせをしておいてよかった。月城はまだ実家で調べる事が多い。だから実家が燃えてはいない事には気づいていないふりをする。叔父の嘘は、俺を無免許運転で事故を起こした犯人だという、それだけに絞った。
本当に裁判になるのかもしれないのだ。カードは今ここで、全部切る必要はない。
「案の定、月城が戻ればうちには手を出さない、と脅しをかけてきた。絶対に戻るなよ。月城」
「わたしのせいでこんな迷惑かけて申し訳なくて。わたし、どうすればいいんでしょう」
「天才的って言ってもいいくらいのプログラミングの才能だぞ。うちに貢献してくれればそれで元なんかいくらでも取れる」
「でも、叔父がまたどんな迷惑をかけてくるかわからない、です。東欧塾までバックにつけて」
「東欧塾にはこっちから対応する。Canalsを買われてたまるか。絶対にな」
「でもこのままじゃ、東欧塾の資金力で本当に買収されてしまうかもしれません」
月城は社内だと敬語だ。当たり前か。
「月城。それでお前が戻れば、あいつの思う壺だぞ? あいつ、月城が戻れば買収は思いとどまると言ってた。けど、東欧塾にしたら、Canalsを手土産に持ってない品川ゼミナールなんて価値なしだ。約束違反で提携は反故だろう。それでもいいと品川は言ったようなもんだ」
「なんか、東欧塾にもわたしの価値がわかるとか、なんとか言ってませんでした?」
「ハッタリだよ。Canalsの買収ができない代わりに、ハッキング能力の高い社員を連れてきました、なんて言われたって相手にしないよ。東欧塾は犯罪に手を染めるつもりなんかないよ」
「そうですよね」
「品川の本性は〝一颯にはCanals以上の価値がある〟って言葉に集約されてる。つまり東欧塾と提携できなくとも月城がいれば、また違法なハッキングでどこかの会社を買い叩く事ができるってことだ。それをやらせるつもりで月城を欲しがってる。それでいいのか? 自分の人生だぞ?」
「信じてほしい……です。ハッキングで他社の情報を漏洩させようとしたのはCanalsが初めて。叔父さんに、わたしの両親の復讐心を利用されたんです。副社長を、事故の犯人だと思ってたから」
「なあ、月城」
そこで俺は月城の方に体の向きを向けた。ソファの上で互いの膝頭がつきそうだ。
「はい」
「あいつ、おかしくないか? なんか催眠術みたいな妙なもんを感じるんだよ。俺は怒り沸騰してる状態だから、逆に冷静に判断できるけど、あいつの月城を見る目、気味が悪い。懐に潜り込んで無理やり肯定の返事を引き出そうとしてるような」
「…………」
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