◇◇村上健司◇◇ 根源
「副社長宛に郵便です。本人以外開封厳禁になっているので、そのままお渡ししますね」
浅見さんが他社からの郵便物とは別に、俺に開封していない封筒を差し出してきた。封筒の下の方に印字された社名は品川アカデミーだ。
「ありがとう」
浅見さんは副社長室から出ていった。
俺は引き出しからハサミを出して開封する。
品川にしてみれば、月城からの近況報告が曖昧になった。おそらく彼女のマンションにも足を運び、引っ越してしまっている事も確認したんだろう。もしかしたら、燃えたと嘘をついていた月城の実家にも行ったかもしれない。品川にとって月城は大事な駒だ。その駒が、今は糸の切れた凧状態になっている。
この日がそう遠くないうちにくることは予想していた。案の定、面会の申し入れだった。ただ予想していた展開よりも事は簡単に済まないのかもしれない。どうしても、我が社を傘下に取り込みたいらしい。
メールで品川と連絡を取り合い、Canalsまで来てもらうことになった。
昼休み、浅見さんが席を立ったタイミングでさりげなく後を追った。月城はまだパソコンに向かっている。
昼飯を食いに行くんだろう。廊下に出たところで浅見さんを呼び止めた。
「浅見さん。悪い、昼休みに」
「なんでしょう?」
俺の方に向き直ってくれる。
「あのさ、応接をとってほしいんだよ。四十二階の」
「四十二階?」
めったに使わないから訝しがるのもわかる。
「そう」
「承知しました。何月何日ですか。相手方は?」
俺はさっき決めた日時と品川アカデミーの名前を口にした。
「じゃ、よろしくね。あとこれは内密にしてほしい」
「了解です」
浅見さんが会釈して遠ざかったところで、のろのろと方向転換した。軽く髪の毛をかきながら、あの部屋だけは役員が自分で取れるようにしよう、と決める。相手方までが極秘事項の時にしか使わないんだから。
「副社長」
「えっ!」
目の前に月城がいて仰天する。席にいることを確認して浅見さんを追ったのに、これだからガラス張りは……。
「叔父が来るんですね?」
「聞いてたんだ? いや、大丈夫だから。月城は何も心配しないで」
「わたしを抜かして叔父と話をしようとしてたんですね?」
その通りだ。目が泳ぎ、ガラス越しに、昼で人の少なくなったオフィスが視界に入る。
「わたし抜きで話をしたって、どうせ叔父のことだから、興信所でもなんでも使って居所を突き止めると思いますよ? それに実家のこともある。わたしが根源なのに、わたしなしで話を進めようとするのは無理です」
「まあ、そうかもしれない……けど……」
できるだけ接触してほしくない。
「一緒に戦わせてください。っていうかCanalsに迷惑をかけてるのはわたしの方なんですから」
「別にこんな買収話はいくらでも切り抜けてきたよ。月城の叔父さんだけじゃない。じゃあ、一緒に応接に入るか?」
「はい」
「だけど約束だぞ? 絶対に向こうの策略にハマらない事。月城の弱みをついてくるに決まってる。弱みを熟知してる相手だ」
「約束します」
「ほんとだぞ? じゃないと許可できない。Canalsに不都合な事でプレッシャーかけられて、〝月城が戻るなら〟とかの条件を出されてもその場でうなずかない、って約束してくれないと連れていけない」
「わかりました」
「送られてきた書類に書いてあったことだけ共有しておく。向こうはバックに東欧塾をつけた」
月城が息を呑む。
驚くよな。東欧塾は進学塾の大手だ。どうして品川アカデミーごときと提携が成立するのかわからず、そこが不気味だ。なんのカードを切ってくる?
品川が我が社の四十二階応接にやってきている。息子だという俺と同年代のえらく綺麗な男を連れている。
こっちは月城と二人だ。合計四人。普段はこの応接専用の給湯室からコーヒーを運んでくるが、こいつにはそんなもの必要ない。
「こちらはうちの専務、ひとり息子です」
「初めまして。品川洋太と申します」
品川洋太は立ち上がり、俺に両手で名刺を差し出してきた。俺もそうする。名刺交換だ。
「わたしの姪、月城一颯の婚約者ですよ」
横から品川が口を出す。
こいつが……月城の婚約者。
「それは今回の件に関係がないでしょう」
俺はできるだけ感情を出さずに一蹴する。品川と息子の洋太は面白くなさそうに月城に視線を流す。
「品川さん。買収の件は何度もお断りしました。今回、東欧塾さんと事業提携なさったそうですが、それもうちには関係のない話です。うちは品川さんのところや東欧塾さんと違い、生徒と、講師をしてくれる学生を直接結びつける形態をとっています。そうすることで、教室や専任講師といった経費をかけず、大きな元手がなくとも経営が成り立っています。塾としての形態が違うんです。もとは大学生が始めたベンチャーですから」
「それがまあねえ……。みんなが欲しがる会社になっとるわけですよ。大手幼稚園との語学教育の提携や、海外の学生との連携なんかも。他にも何を考えているやら」
「とにかく、現在うちは企業統合や提携の話は必要じゃないんですよ」
薄気味悪い笑いを口の端に浮かべた品川に対し、前置きはこのあたりにする。
「ここにいる我が社の社員、月城一颯に嘘の情報を流し、洗脳まがいのことをしてきた罪は重い。刑法に違反しますよ。これ以上、Canalsと彼女に関わるなら、こちらにも考えがある」
そこで品川の薄笑いが止まった。
「何を言っているのかわかりませんね。こちらこそ姪に何を吹き込んだのか」
そこで品川は月城の方に視線を向けた。
「一颯、連絡がつきにくくなり、家も引っ越してるからびっくりするじゃないか」
月城は伏目がちではあるが、迷いなく一気に言葉を継いだ。
「叔父さん、うちの副社長は、わたしの両親を無免許運転で奪った人物とは別人でした」
月城の言葉にしばらく品川は黙った。
やつは、俺と月城がそこまでの事実確認に至ったとは思っていなかったようだ。月城の卒アルを調べた訳でもないだろうから、事故で月城から両親を奪った男と同姓同名の人間が、同級生、しかも同じクラスにいたことは知らないのだろう。今も俺と月城の昔からのつながりには気づいていないに違いない。
「それは本当なのか? いや……。それは申し訳ないことをしたな。同姓同名なんてそうあるものじゃない。歳も近い。てっきり……。いや、本当に失礼した。副社長は一颯からそれを聞いてお怒りってわけですね。実は私も怒っていましたよ。兄を事故に遭わせた人物かと……」
嘘つけ。あくまでシラをきるつもりらしい。
「こざかしくて卑怯だな。そこまで言うなら出るところに出るからな」
「いいのか、一颯。それでも。ここまでお前と妹を育てたのは誰だ? 一度は二葉をアメリカの施設まで連れて行った。またあの施設でのプログラムを希望してるんじゃないのか? 一度なのに二葉は好転した」
そこで、品川は鞄から何か、ファイルに入った用紙を出した。
俺はそれに手を伸ばす。
「なんだ、これは? えっ……」
婚約の誓約書だった。
「これ……」
反射的に月城の方を見ると青ざめた表情で俯くばかりだ。
「見ての通り、洋太との結婚を約束した証書ですよ。司法書士に間に入ってもらい、きちんとした形にして残した」
「弱みにつけ込んで、こんなことしやがって」
「洋太と一颯は小さい頃から仲がよくてねえ」
そこで洋太と呼ばれた、今まで何も喋っていない綺麗な男を睨むように見つめてしまう。こいつはなんなのだ? 月城との結婚は親の意思?
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