ミルクミントの魔法

りつか

1.ほんの少し、よそ行きの彼

 靴を履き替えて昇降口を出ると日はすっかり落ちていた。刺すような夜気に思わず首をすくめて、亜衣香あいかは襟元を押さえる。ブレザーを着ていても朝晩厳しくなってきた。


 ――明日はシャツの上にニットベストも着ようかな。


 そんなことを考えながら正門に近づくと、先を歩く後ろ姿が目に入った。亜衣香の顔がパッと輝く。薄暗くてはっきりしないけど背格好からして男の人。そして直感に従えばあれはよく知ってる背中のはずだ。

 肩にかけた鞄を抱え直した。できるだけ忍び足で背後に駆け寄る。そうして、


「わっ!」


 その背中を少し強めに叩いた。

 叩かれた方は「うわっ!」とり、空足からあしを踏んだ。


「……ああ、亜衣ちゃんか。びっくりした」

「やった、成功成功。絶対、いくくんだと思ったんだ」


 人違いではなかったこと、加えて狙い通りの反応を引き出せたことに亜衣香は小さくガッツポーズをする。

 彼はジャケットを正しながら苦笑を漏らした。いつもよりほんの少しの匂いがする。とはいえさほど珍しい格好というわけでもない。彼が日頃からきっちりした装いを好むことを亜衣香はずっと前から知っている。

 植沢うえざわいく。亜衣香とは年の離れた幼馴染であり、想いを寄せるその人でもある。


「今、帰り? 居残りとか?」


 柔らかな低音が耳に届く。

 自分ひとりに向けられた優しげな眼差しを亜衣香はうっとりと見上げる。彼の目が訝しげに細められたところで我に返り、慌てて首を横に振った。


「委員会があったの。文化委員。卒業生を送る会を企画しなきゃいけなくて」

「卒業……もうそんな時期か。そういうの、文化委員がやるんだね」

「文化祭が終わればあとは仕事がないから」


 肩を竦めてみせると得心のいった顔が帰ってきた。


「じゃあ一緒に帰ろうか。送るよ」

「ほんと!? あ、でも郁くんは電車じゃないの? わたしの家、駅とは反対方向……」

「実習の間は家から通ってるから大丈夫」


 小さな遠慮も郁にかかれば一瞬で吹き飛んでしまう。「行こう」と微笑む彼の周りにはまるでキラキラと星が散っているみたいだ。

 亜衣香はお祈りをするように両手を組むとこくこく頷いた。

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