フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記~ エピソード集
レスト
「ハッピーキッチンの日々」
「こらあ! 手際が甘い!」
朝っぱらから厨房に、オーナーシェフであるディアの怒号が飛んだ。
彼のお叱りを一身に受けているのはユウ。母親譲りの罪な美貌を誇る、いたいけな「少女」である。
肉体年齢は十六歳のまま止まっている。実年齢の方はそろそろ十八が近づこうかというところだった。
普段は肩の辺りまで自然に流している黒髪をうなじの上のところでまとめ上げ、帽子の中にすっぽりと収めていた。
フライパンを持つ細腕がまだ少々頼りない。そんな彼女は、やや不満気に頬を膨らませた。
「あのー。前から疑問に思ってたんですけど。なんで私、料理までやらされてるんでしょうか」
元々はウェイトレスとしてのみ働くはずだったのに。
ユウは突如猛烈な勢いで始まってしまった謎の料理修行に首を傾げていた。
「ぬゎにい? そんなこともわかっていなかったのか!」
再び熱のこもったやかましい怒声が降りかかる。
女だからということで手だけは一切出されていないのだが、もし彼女の正体を知った日には、これに拳骨もおまけで付いてくることだろう。
ちょうど兄弟子がよくそうされているように。
「お前は言っていたじゃないか! 世界を救えるだけの力が欲しいと!」
「確かに言いましたけど……」
それはウィルがまた何か仕掛けてくるかもしれないからっていうのをそのまま言っただけで、しかもただの独り言だったわけで……。
運悪く聞き咎められてしまったのが、住み込みでお世話になってるこのディアさんじゃなければと、ユウは迂闊な自分を呪わずにはいられなかった。
おかげでこの上なく妙なことになってしまった。
「それとこれと、何の関係が?」
「大ありだ! 君の心意気、俺はしかと聞き届けたぞ!」
「はい」
まともな話になるのは諦めたのか、ユウが死んだ魚のような表情で頷く。
「ユウ! 人間にとって絶対に必要なものは何だ? 言ってみろ!」
「ええと……」
きっと期待している答えは一つだろうとは思いながら、真面目に考えてみると色々あるような気がして、彼女はつい考え込んでしまう。妙なところで生真面目なのが、ユウの悪い癖だった。
もごもごしていると、ディアがとうとうイライラして声を張り上げた。
「遅い! どんな者にとっても生きていく上で必要なもの! すなわち、食だ! 人は皆、食に飢えている!」
そして彼は爽やかな白い歯をきらりと見せ付けつつ、人差し指を高らかに突き上げた。
「つまり! 料理こそが世界を救うんだ!」
「なぜその結論に」
「美味いもの食えばみんながハッピー! 作る喜び食べるみんなの笑顔が素敵!」
彼は自身の誇るレストラン『ハッピーキッチン』の訓を垂れた。
ユウも聞かされたのは、もう何度目になるかわからない。
「なるほど」
勢いに押されて、ユウは妙に納得しかけてしまっていた。
悪意のない押しに流されやすいところも、彼女の致命的な弱点である。
まあいいか。料理は着実に上手くなっていってるし。
悪いことじゃないと、彼女はつい屈してしまうのだった。
***
「ジャッークッ!」
やがて開店間際になったところで、ディアはジャックという名を大声で呼んだ。
「あーい」
客席の方から、呑気な男の返事がくる。
じきに若い茶髪の彼が厨房に姿を現した。
「大してでかい店でもないんですから、そんな馬鹿でかい声で呼ばなくてもちゃんと来ますって。オーナー」
「む。そんなことでは気合が足りんぞ。気合が」
腕組みをしたままつっ立っているディアが、顔をしかめる。
「ジャック~」
「よおユウ。朝からこってり絞られてるな」
「えへへ」
ユウは彼にまいったのポーズで笑顔を向ける。
ジャックはディアの一番弟子で、ユウにとっては兄弟子に当たる人物だ。
彼は年の近い「妹」弟子をたっぷり可愛がってくれた。なのでユウは彼にすっかり懐いていた。
これも正体を知ったらどんな反応をするかわからないが。まあそのときはそのときだろうと、ユウは存外気楽に構えている。
ジャックは、彼女の肩を優しくトンと叩いて言った。
「ぼちぼち開店だ。こっちはおれに任せて、表に行ってくれ」
「はーい」
言われるがまま、ユウはまず着替えるために更衣室に向かった。
その部屋は、唯一女性である彼女一人のためにわざわざ物置きを空けて用意されたものだった。
開店前と閉店後は料理の修行。そして開店中は本来の仕事。すなわち、ウェイトレスのお仕事だ。
彼女は看板娘として、元々味のおかげで人気店だった客足のさらなる向上に立派な貢献を果たしている。
看板娘。数年前は男だったはずなのに、どこで道を踏み違えてしまったのだろうかとユウは思わないでもなかった。
が、これ以上言うと同調している「私」に申し訳ないので、もう考えないことにしている。
着替え終わって、ユウは鏡とにらめっこしながらばっちり決まっているか最終チェックをする。
白のフリフリエプロンの下に着込んだ黒のブラウスのコントラストが映えるデザインである。
エプロンの下からは開いた胸元が覗いており、下は白のオーバーニ―ソックスで太ももがしっかりと露出していた。
微妙に露出が多いのが中々に扇情的に思えて、最初は戸惑ったが(この点、地味にディアさんの趣味を感じないでもない)、慣れてしまえばどうということもない。
開店の時間だ。ほぼ同時に常連男性客の一人が入ってくる。
ユウは外向きのにこやかな笑顔を作った。
「いらっしゃいませ。一名様ですね」
「ユウちゃん。今日もかわいいねえ」
「ふふ。ありがとうございます。いつもの席へご案内いたしますね」
最初こそ大変だったが、板についてしまえば客の相手も手慣れたものだった。
***
徐々に客も増えて忙しくなってきた。ユウは右へ左へとあくせくし、時たま絶妙なバランス感覚で曲芸のような食器運びを見せては客を喜ばせた。
厨房の方は、ディアとジャックが洪水のように忙しなく動き回っている。
ランチタイムを過ぎると、ようやく一息吐ける時間帯となった。
そのタイミングを狙ったように、一人の来客があった。
「いらっしゃいませ。ってなんだ、レンクスか」
レンクス・スタンフィールド。
ユウの親友であり、彼女を見守る立場の人物でもある。
「いつも思うんだけどよ。一応お客様にその態度はないんじゃねえの?」
「だってレンクスだし」
「ああそうだな。俺が俺で悪かったよ……」
「そんなに気を落とすことでもないでしょ。こっちへどうぞ」
彼には貴重な高級食材をタダで取ってきてもらう代わりに、レストランでタダ飯が食えるという契約を交わしていた。
すると彼は、毎日やって来るようになった。それも必ずユウが練習で作るまだ店には出せないレベルの料理だけを食べにくる。
律儀に目一杯お腹を空かせて。一日一回。それ以外何も喉を通していないのではないかと思われる節があった。愛情も度が過ぎると変態である。
いつもの席に座らせたところで、ユウはレンクスに囁いた。
「リインバードの卵が切れそうなの。取ってきてくれない?」
「えー。あれ、ちょっとめんどいんだよな~」
「ねえ。おねがい」
腕に纏わりついて上目遣いでお願いすると、レンクスはころっと落ちた。
「よっしゃ! ばっちり任せとけ!」
意気込む彼の後ろで「相変わらずちょろいね」と、ユウは隠れて舌を出している。
「お前のためなら、何千個でも何万個でも取ってきてやるぜ!」
「それは絶滅するからやめて」
実際にやりかねない力があるので、やらないとは思うがユウは一応釘を刺しておいた。
***
後日。久しぶりに二日連続で店がお休みとなった。
こんなチャンスは滅多にないと、ジャックとユウは協力して、ディアの味の秘密に迫るべく料理修行に励むことになった。彼は昔気質の人間で、盗んで覚えろというタイプだった。
修行となれば当然たくさん料理を作ることになるのだが、捨てるのは勿体ない気がした。
客に食べさせるわけにもいかないので、どうしたものかとユウは考えていた。
レンクス、来てくれないかなあ。
と彼女が思った瞬間、一陣の突風が吹き荒れて――。
「なんだか呼ばれたような気がしたぜ!」
「うわ。ほんとに来た」
ユウはかなり引いてしまった。別に念話とか何も使った覚えはないのに。
もしかしてこいつは、自分の思ったこととか言うことなら何でも聞くのではないだろうか。
そんな下らない考えが彼女の脳裏を過ぎって、何となく。
「おて」
「ほい」
レンクスはさっと右手を出した。
「おまわり」
「へい」
レンクスはやたらダサいかっこつけポーズを決めながら、くるりと一回転した。
しかもウインク付きで。
「ちんちん」
レンクスは股間に手をかけ――ユウに風魔法で吹っ飛ばされた。
「ノリで出そうとするな」
「人を乗せるな」
互いに笑い合う。
「これからジャックと料理修行するの。せっかくだからたくさん食べてってよ。どうせまたお腹すかせてるんでしょ」
「おお! そりゃ願ってもないことだぜ! けどよ……お前、本格的にかぶれてきてないか」
彼の言葉の後半を、ユウは聞かなかったことにした。
厨房に入ると、既にジャックは待っていた。
エプロンに身を固め、激しく闘志を漲らせている。
これから戦場に行く。そんな男の顔だ。
「これから二日間、よろしく頼むな」
「うん。こちらこそ」
ユウとジャックが挑むのは、ハッピーキッチン伝説のディナーメニュー、ディアスペシャルAだ。
ディア本人以外には決して作れないと言われた、不可能の味に挑むのだ。
二時間後、まずは一セット目が出来上がった。味見してみて、二人そろって首を横に振る。
「ダメだ。全然違う」
「うーん。何がいけないんだろうね」
いきなり上手くいくわけもないのだが、あまりにもさっぱりな手応えに溜め息を吐いたユウは、失敗作を客席のレンクスの元へ持っていく。
レンクスは、滅多にお目にかからない豪華な料理に興奮していた。
「うおー! すっげえ美味そうじゃないか!」
「これからまだまだ出てくるからね」
「任せろ! これならいくらでも食えそうだぜ!」
だがレンクスは知らない。これからが本当の地獄の始まりなのだと。
4セット目。
「違う。ディアさんの味は、こんなもんじゃねえ!」
ジャックは壁に拳を叩き付けた。己の未熟さ加減を噛み締めていた。
何が足りない。何が違うのか。彼は苦悩する。
そんな彼にユウは同情していた。なんとか力になってあげたいと思う。
「私が思うにはね――」
ユウには、本物のディアスペシャルAの味が『心の世界』にはっきりと記憶されていた。
それを元に推測を立てていく。絶対記憶能力の果てしない無駄遣いだった。
「こっちのスープは、もう少し塩味を強くした方が良いと思う。それからブガンは、お湯から揚げるタイミングをあと30秒ほど早くしてみたらどうかな」
「なるほどな。一理ある。早速やってみよう」
二人の戦いは続く。
一夜が明け。出来上がったディナーは、9セット目を数えていた。
「お待ちどうさま」
「お、おお。まだ来るのか……」
この頃には、レンクスもすっかり元気がなくなっていた。
彼を突き動かしているのは、ユウが作ったものだから。この一点のみである。
「うん。まだまだね」
ユウはにっこりと笑いかける。目にはすっかり隈ができていた。
ユウとジャックの悪戦苦闘は、果てしなく続いた。血と汗の滲む試行錯誤。
包丁捌き、火加減、調理法、タイミング。
すべてに工夫を凝らし続け。時には運にも恵まれて、一歩ずつ着実に目標へ近づいていった。
そして――。
「もう、お腹……いっぱいだ。ハッピー、だぜ……」
限界を超えた死闘だった。
徹夜と食い過ぎのせいで、ついにレンクスは力尽きた。
その顔は、何かを成し遂げた男の安らかな笑顔だった。
厨房では、ジャックが喜びに打ち震えていた。
「こ、これだ……この味だ……」
「やったんだね……。私たち、ついにやったんだね!」
ユウも一緒になって感動している。
そこには、完璧なディアスペシャルAがあった。
店で客に出しても誰も違いに気付かないだろう。会心の出来だった。
ついに壁を乗り越えたのだ。伝説に打ち勝った。
「ユウ!」
「ジャック!」
ユウとジャックは、感極まって強く抱き締め合っていた。
二日二晩極限まで苦楽を共にして培った友情は、何者にも代えがたい。
料理はハッピーだ。
作る喜びを、ユウは今強く噛み締めていた。
「ふっ。あいつら、また一歩階段を上ったようだな。だが、料理マスターへの道はまだまだ遠く険しい。最後まで付いて来られるかな」
陰からこっそり二人の成長を見つめて、ディアが嬉しそうに目を細めた。
ディアスペシャルBを伝授するときがやって来たようだ。
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