第7話 今朝まで他人だった二人

 薄明かりの中で、T君にハグされる綾乃。

 

(一樹はこんな景色をどういう気分で見ていたんだろう)


 因果応報というわけではないが、まるで亮介が一樹にしたこと――夫の目の前で人妻を抱く――を見せられているような構図だ。考えてみれば、食事を終えて寝取られの相談というところからそれは始まっていたわけだ。


「キス、していいですか』


「……うん」


 優しい声で綾乃が返事をする。


 今朝まで他人だった二人が、唇を合わせている。それは普通にあり得る話だ。しかし、夫が目の前で何もせずその二人を観ているというのは常識的にはあり得ない。さらには、夫がそれを熱望している張本人だというわけだから倒錯とうさくにも程があるというものである。


(キスもつらいけど、それ以上に綾乃の反応を見た時のダメージはすごかったよ)


 いつか一樹がそう言っていた。亮介は今まさにその言葉の重みを感じている。綾乃の左手がT君の二の腕をさすり始める。。その感情を理解させられて、亮介は悶絶し始めていた。


「ちょっといいですか?」


 突然、T君がキスをやめて亮介に声をかける。


「え、どうしました?」


「あの、見られているのって、ちょっとダメかもしれません……」


 経験したことのないことに決定的に欠けていること、それは、ことである。アホのように単純な論理だ。その逆を言えば、やってみて初めてわかるのだ。


「そ、そうか、なるほど。じゃ、どうしようかな。とはいえ部屋の外だと……綾乃を残していくのもちょっとアレだし……」


 

 沈黙――。


 

「あ、じゃ、俺はバスルームに入っているってのはどうですか? ドア閉めますから会話もあまり聞こえないと思います」


「そうね。亮介が近くにいるならあたしは安心かな」


 綾乃は賛成。あとはT君の判断が全てだ。亮介は祈るような気持ちでT君を見つめた。


(頼む、せめて声だけでも聞ける状態なら――)

 


 

「はい……やってみます。ダメそうだったらまた相談させてください」


 安堵のあまり、思わず深く息を吸う亮介だった。

 


 ◆



 肩から爪先のストッキングまでダークネイビーで統一されたランジェリーに身をつづんだ綾乃。その妖艶さはカジュアルな雰囲気の夕食時とは全く別人のようだった。


「すごく大人っぽいですね……。ガーターベルトとか、生まれて初めて見ました」


「あたしも最初は恥ずかしかったの。でも、今は結構気に入っているの」


「うん、かわいいです。亮介さん羨ましいな……」


「そう?」


「羨ましいです。こんな綺麗な人がこんな下着で、しかも奥さんだなんて」


「ありがとう」


 ちょっと変則的だが、二人きりになれたT君は少しずつリラックスしてくる。


「クンニしても……いいですか?」


「舐めてくれるの? うん、いいよ」


 綾乃は、舌の温度や柔らかさにもこんなに違いがあるのかと少し驚くのだった。一樹や亮介に比べるとゆっくりしたT君の舌遣いを堪能していた。



 ◆



(ぁああああ……ん)



 ユニットバスを少し豪華にしたようなバスルーム。湯を半分張った浴槽で息を殺している亮介の耳に、綾乃の嬌声きょうせいがやっと聞こえた。(今、何されているんだろう……)と思いながら神経をより一層尖らせる。


(あん……ぁああ)


(……もちイイっ! あああ)


 恐らく前戯でたっぷり可愛がってもらっている様子の綾乃。

 しばらくすると綾乃の高い声はあまり聞こえなくなる。

 フェラチオ中だろうか――。


 浴槽の中で体操座りしている亮介は、この狭い空間に幽閉ゆうへいされたことでかえって興奮度が高まっていることを自覚した。この壁の向こうに二人がいて、セックスを楽しんでいる。それは紛れも無い事実だ。ただ、どんなプレイでどんな表情をしているかは当事者二人にしかわからない。


 亮介に見せたことのない顔をした綾乃がいるのかもしれないし、与えられたことのない快感でとりこになっている綾乃がいるのかもしれない。そうしたことを確かめられないことのもどかしさ。しかしそれこそが寝取られ夫をこんなにも興奮させるのであり、貸し出しプレイの本質ということだろう。

 

「うう……綾乃……」

 

 ぬるくなっていくお湯とは反比例し、亮介の脳内は沸騰しそうにたぎっているのだった。追い打ちをかけるように、空気をくような綾乃の声が届いた。


「ぁ、ああ! ああ! ああ! ああ! ああ! あ、すごいすごい、すごい、アアアアア!!」 

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