第21話 悪夢と懺悔③
意識を失っていた
更に最も深刻な問題は自分が天井から縄で吊るされていることだった。首にかかる重みを必死に足で支え、つま先を伸ばすとかろうじて下に置いてあった椅子に触れられる状態だった。
目の前には鉄バットを握りしめた
ゴンッ!!と鈍い音と共に激しい痛みが走り、神楽は意識を手放しそうになる。しかし、どうにか踏みとどまり、苦痛に喘ぐ中で輝夜の冷たい声が響いた。
「騒ぐんじゃねぇよ。 お前、状況わかってる?」
輝夜は鉄バットを肩に乗せながら、神楽を睨みつける。
「私がその椅子ずらせば、アンタは宙ぶらりんになって死ぬよ」
彼女の声は冷酷そのもので感情が抜け落ちているかのようだった。
「てか、なんでここまでして生きてんのか不思議なくらいだよ」
輝夜の言葉は神楽の心に鋭く突き刺さった。彼女の視線にはかつて姉弟の絆があった頃の輝きは一切見られず、代わりに絶望と孤独が支配していた。
すると輝夜は神楽へと近付くと背伸びして神楽の口に付いたガムテープを勢い良く剥がす。その勢いで神楽は吐血し、荒い吐息が漏れる。
「オ"ネ"カ"イ"……ネ"ェ"ち"ゃ"ん"……! 戻ってき"て"よ"!」
潰れた声で神楽は輝夜へと抗議するも彼女の瞳は依然として光を灯さず、怨念が瞳の奥で渦巻いていた。
「喚けよ、喚いたら大人が助けに来てくれるかもしれないのになんでアンタは助けを求めないの?」
その言葉はどこか虚ろで、神楽を傷つけながらも自分自身を責めているようにも聞こえた。しかし、神楽は涙と血にまみれながらも震える声で訴え続けた。
「だって……パパが悲し"む"か"ら"……ママが、泣い"ち"ゃ"う"か"ら"!」
吐血しながら精一杯の力で紡がれる神楽の言葉。その必死さがかすかに輝夜の心に響いたのかもしれない。彼女の動きが、一瞬だけ止まった。
その瞬間、輝夜の脳裏にかつての記憶が蘇ったのだ。
「おめでとうございます、元気な男の子です!」
病院の明るい光の中、医師の声が響く。
「よく頑張ったな、宮ちゃん!! 感動したぜ俺!!」
隣で
まだ小さかった輝夜は母の腕の中にいる赤ん坊をじっと見つめていた。
「私の弟?」
輝夜が宮野に尋ねると、母は優しく微笑んで答えた。
「そうよ、名前は神楽っていうの。 人生を通じて色んな経験を楽しんで、みんなに尊敬される人になるようにってつけたのよ」
その名前の由来を聞いた輝夜は力強く頷いた。
「じゃあ私が神楽を守る。 絶対に悲しませないようにする!」
記憶は輝夜にかつての自分を取り戻そうとしていた証のようだった。しかし、今の彼女はその約束とは真逆の行動を取っていたことに気付く。
輝夜は握り締めていた鉄バットを力無く床へと落とした。音が響くと同時に彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃに歪み、震える足で神楽にゆっくりと近付いていった。
椅子に手を掛けた彼女がゆっくりと顔を上げる。その表情は神楽の記憶の中にある、かつての優しい姉の笑顔そのものだった。
「姉ち"ゃ"ん"……」
神楽も涙をボロボロと流しながら変わらぬ笑顔に心を救われるような気がした。しかし、次の瞬間だった――。
輝夜は震える声で、静かに……深く言葉を紡いだ。
「ゴメンね神楽……約束の守れない、ダメなお姉ちゃんで……」
その言葉が神楽の心に突き刺さると同時に輝夜は椅子に手を掛けたまま、力強く椅子をずらしたのだ。
椅子が倒れた瞬間、神楽の首に巻き付いていた縄がギチチチチッ!と音を鳴らしながら彼の首を完全に締め上げる。
「がっ……ッ!」
息が詰まり、神楽の視界が急速に暗転していく。縄が食い込む痛みと共に泡を吐きながら神楽の体は宙ぶらりんになり、力が抜けていった。
目の前が真っ暗になり、全てが遠のいていく中で彼は最後に輝夜の微笑みを思い浮かべていた。その微笑みは光を失った部屋の中で唯一の温かさだった。
神楽はぼんやりとした視界の中で床に倒れている。荒い呼吸と鈍い痛みを覚えながら彼は何とか起き上がろうとした。肩から滲み出る血が冷たく肌を伝うが、それ以上に胸の中の不安と恐怖が全身を支配していた。
縄が千切れたのだろう神楽はそれだけを理解しながら歪んだ視界の中で部屋を見渡した。そして、壁際に寄り掛かる輝夜の姿を見つけた。
「姉ち"ゃ"ん"……大丈……夫?」
彼は折れた片足を引きずり、腕力だけで地を這うように彼女へと近付いていった。彼女の顔は前髪で覆われており、その表情を伺うことはできなかった。震える手で彼女の前髪をそっと横に払おうとしたその瞬間――。
ズルリ……。
輝夜の頭が不自然に傾き、次の瞬間にはボトッ……という鈍い音と共に床へ転がり落ちた。
「え……?」
信じられない光景が目の前に広がる中、神楽の心臓は恐怖で高鳴っていく。震える視線を輝夜の手元へ移すと彼女の指はカッターを握り締めていた。そして、視線を再び上げると首から上が無い彼女の身体がそこにあった。
血は既に乾き、固まっている。その異様な静けさが恐怖を更に増幅させていた。神楽の胸は締め付けられるように苦しくなり、視線は自然と転がった輝夜の生首へと向けられる。
そこにあったのは――深淵だった。
輝夜の目玉がある筈の場所は黒い空洞となり、口元はかすかに微笑んでいるようだった。しかし、その口の隙間から見える筈の歯は全て無く、歯茎には抜かれた痕跡だけが残っていた。
「……ハッ……ハッ!!」
声にならない叫びが神楽の中に込み上げる。その瞬間、彼は気付いた。輝夜は彼に与えた苦しみを自らにも味わわせる為にこんな形で最期を迎えたのだと――。
親戚達が扉を開けた時、そこに広がる惨状に誰もが凍りついた。一部の者は恐怖で腰を抜かし、ほとんどの者は絶叫しながら神楽を引きずるように部屋から連れ出した。
だが、そこから先の記憶は途切れている。
神楽は暗いモニターに映る自分の顔を見つめながら、歯ぎしりをした。虚ろな目の中に映るのは今もなお消えることの無い深い傷跡。彼の胸に渦巻く感情は後悔、恐怖、そして――後悔だった。
エマは神楽の暗い表情をじっと見つめながらどんな言葉をかければ良いのか分からず、視線を落としたままだった。部屋には重苦しい沈黙が漂っている。
その時、不意に後ろの扉がギィ……と音を立てながらゆっくりと開いた。そこから現れたのは丸眼鏡をかけ、作業着を身に纏った背筋の伸びた老人だった。その存在感に部屋の空気が一瞬で変わる。
「あ、爺ちゃん」
実験用の白衣を着た紫色の眼鏡をかけた女性が振り向きながら小さく呟いた。彼女は淡い色の髪を一つ結びにまとめており、どこか落ち着いた雰囲気を纏っている。その言葉にエマと神楽も驚きつつ後ろを振り返った。
老人の目が神楽に向けられるとその表情が一変した。丸眼鏡の奥の目が潤み、小さな声で呟いた。
「お前……喜晴の息子か?」
その言葉に神楽は一瞬言葉を失い、次に慎重に問い返した。
「貴方は……?」
神楽の疑問に老人は柔らかな微笑みを浮かべ、ゆっくりと丸眼鏡を指で押し上げた。
「君のお父さん、喜晴の武器制作を務めた者じゃよ」
その言葉にはどこか懐かしさと重みが込められていた。神楽は自分の胸の中で小さな記憶の断片が蘇るような感覚を覚えながら老人をじっと見つめた。エマと白衣の女性も息を飲んだように二人のやり取りを見守る。
爺さんはふと、ゆっくりと神楽の方へ歩み寄ると神楽の頬を伝う涙を指でそっと拭った。左手の温かさに神楽の体が微かに震える。
「お前が此処に来るのをなんとなく待っておったんじゃ。 本当に……喜晴にそっくりじゃな」
そう言って爺さんは優しく微笑む。その言葉に神楽は何かを返そうとしたが喉が詰まって声にならない。ただ、目を伏せて唇を噛みしめた。
すると二人の静かなやり取りを見守っていたエマが口を開いた。
「ねぇ、おじさん。 私達、此処にある兵器が欲しくて来たんだけど……ある?」
その直球の質問に爺さんは振り向くとしばらく悩むような表情を浮かべながらエマを見つめた。そして、深い溜め息をつきながら首を横に振った。
「ダメじゃ、渡せぬ」
「どうして?」
エマが不満そうに問い返すと爺さんは静かに目を閉じ、一瞬の沈黙を挟んでから言葉を紡いだ。
「お前達は……見たんじゃろ? 世界戦争の映像を。 なら、わかるはずじゃ……あの忌まわしい時代がどれだけ多くの人を壊したか……ワシは、もうそんなことに手を貸したくないんじゃ……」
爺さんの言葉には深い後悔と決意が滲んでいた。そのまま彼はエマの横を通り過ぎ、部屋の奥にある大きなモニターの前で立ち止まった。そして、今まで布で覆っていた右腕をそっと見せる。
「コレを見ろ」
爺さんの右腕は頑丈な義手になっていた。その義手は機械的な光沢を放ちながらも傷だらけで見てるだけで心が痛んだのだ。その姿に神楽は息を呑み、エマも一瞬だけ言葉を失った。
そして白衣の女性も視線をそらし、目を伏せたまま黙り込んでしまった。
爺さんは義手を静かに見つめながら苦しそうに続けた。
「この腕も……戦争が奪ったんじゃ。 お前達のような……若い
その言葉に部屋全体が静まり返る。爺さんの声にはただの反対では無く、深い哀しみと痛みが込められていたのだ。
「大丈夫です」
「神楽……?」
神楽は自分の胸に手を当て上がら爺さんに決意の眼差しを向ける。だが、その瞳からは涙が数滴頬を伝って流れ落ちる。そんな姿を見た爺さんの顔は少しずつ変わっていく。
「俺には大切な友達がいるんです。 そいつはいつも無茶をして、自分を大切にしない大馬鹿でして……だから、アイツの背負ってる思いを少しだけでも一緒に背負って生きてきたいと思ったんです!!」
そして神楽は爺さんに再び頭を深く下げる。
「だから、だから俺に兵器を譲ってください!!」
「……」
ふと爺さんの目には神楽と重なって喜晴の姿が目に映ったのだ。それに涙が零れ落ちそうになったのを我慢し、神楽に指を差して低い声で言った。
「お前が進むのは死の崖っぷちをじゃぞ。 それでも良いのか?」
「……俺は、もう同じ過ちは繰り返さないタイプなんです」
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