アヴィリオン

夏桜恵一

第1話 厄介犬

 世界にはまだ、未知の問題が多すぎる。人間の寿命では解明することはとても不可能だろう。なら、どうするべきか……


 夕方の光が差し込むリビング。夏桜恵一なざくら けいいちはソファに座り、テレビをぼんやりと眺めていた。隣では鳴間紗彩なりま さあやが雑誌をパラパラとめくりながらくつろいでいる。近くのテーブルでは西園寺神楽さいおんじ かぐらがノートPCを広げて武器の新しい設計図を描いていた。


「今日も良き一日だったなぁ~」


 恵一が伸びをしながら言うと、神楽が目を上げることなく呟いた。


「世界の何処かでは戦争が起こっているけどな。今の幸せは奇跡みたいなもんさ」

「神楽、そんなこと言わないでよ!」


 紗彩が顔をしかめて抗議するが、神楽は肩をすくめるだけだった。すると突然、空気が変わった。室内の温度が一気に下がり、何かが近づいて来る感覚が全員を包み込む。


「…なんだろ?」


 紗彩が不安げに声を漏らすと、恵一も不穏な気配に気づき、ソファから立ち上がった。


「男の勘がうずいてる……」


 恵一が警戒の眼差しを窓に向けた瞬間、部屋の中央に青紫色の光が渦を巻くように現れた。光はだんだんと形を変えていき小柄な少女の姿へと変わっていく。


「ようやく見つけたわよ、”夏桜恵一”!」


 現れたのは青紫色のロングヘアを持つ、まるで小学生のような外見の少女だった。だが、その無邪気な表情とは裏腹に彼女の放つオーラは尋常ではなかった。


「誰…?」

「え、けいちゃん…犯罪だよ?」

「いや、誘拐してねぇし。明らかに人間じゃないだろ」


 恵一が驚きながらも構えると、少女はニヤリと笑う。


「私は天界の創造主、”エマ”よ!偉大なる神様の降臨に頭を下げなさい!!」


 エマは胸を張りながら誇らしげに言うが、その見た目に圧倒される者は誰もいなかった。


「すごいコスプレだね。お家帰んないと親が心配するよ」


 紗彩がぽつりと呟くと、エマは怒ったように足を踏み鳴らした。


「子供扱いしないでよ!力を見せれば分かるわよね?」


 そう言ってエマは指を鳴らした瞬間、部屋全体が一瞬で闇に包まれた。次の瞬間、彼らは見たこともない場所に立っていた。


「ゑ……?」


 驚きながら辺りを見渡す恵一たち。そこは漆黒の世界、異形の影が遠くにうごめく不気味な空間だった。


「これは、貴方たちがまだ知らない世界。【ネット伝承・感染】【六逢瀬雨戦争ろくおうせうせんそう】そして、現実世界に影響を与えている【歪曲ディストーション】の数々」


 エマが静かに説明する。彼女の無邪気な態度が一変し、神としての威厳が漂っていた。


「感染?」


 神楽が眉をひそめながら聞く。


「ネット?というものに都市伝説という話しが増えていて、怪異を視認できる人間が増えているの。天界でも下界でも異常なことが起きているわ。死神たちも活発化し、異形が人間世界を歩き回っている。そして、何より恐ろしいのが……」


 エマが言葉を止め、静かに恵一を見つめた。


「貴方たちがこれから、その異形たちと向き合わなくてはいけないってことよ」


 恵一は一瞬、言葉を失った。だが、次の瞬間にはふざけた笑みを浮かべて肩をすくめた。


「マジかよ…まぁ、そうゆうのはちょっと信用してるけどな」

「それなら話しが早い」


 エマが微笑むと、再び青紫色の光が彼らを包み、元のリビングへと戻ってきた。エマは近くの椅子に腰掛けると真剣な顔つきで口を開いた。


「じゃあ今度はなぜ私が貴方たちのところに来たか、教えてあげるわ」


 恵一がソファにどっかりと腰を下ろし、興味深そうにエマを見つめる。


「で、なんで俺に目をつけた理由ってのが気になるな」

「うん、そこが重要なポイント。実は、貴方たちには特別な”力”が眠っているの」


 エマがそう言うと、恵一は顔をしかめた。


「特別な力…?俺に?」

「そうよ。貴方たちの中には、神に並ぶ才能を持ってるわ。異形たちも特別な素材を狙っている。貴方たちだけじゃなくて他の人間の力も利用しようとしているのよ」

「俺たちも狙われてるってことか…」


 恵一が眉をひそめ、視線を落とす。現実感のない話だがエマの真剣な口調は嘘をついているようには見えない。


「だけど、それだけじゃないわ。下界では異形や怪異が暴れ始め、死神たちも人間を襲っている。都市伝説が現実化して、次々と犠牲者が出てるのよ。そして、天界でも異常事態が起きているわ」

「天界があるのか?」


 神楽がエマへと問いかける。


「勿論。だけど、今では天界のバランスがおかしくなっているの。このままだと天界と下界、両方に支障がでるわ」

「そんな…」


 紗彩が不安そうに呟く。


「そこで、貴方たちにお願いがあるの。異形や怪異を封じる手助けをしてほしいのよ。貴方たちは特別な存在だから、それができる!」


 エマは真剣な眼差しで恵一たちに訴えかける。


「俺たちが…?」


 神楽は少し戸惑いながらも、恵一と紗彩の方を見た。二人の表情は困惑しつつも何かを決心したように見える。


「分かった。俺たちで力になれるなら、やってみるさ。…でも、具体的に何をすればいいんだ?」


 恵一が肩をすくめながら言うと、エマはにっこりと微笑んだ。


「協力してくれて嬉しいわ。まずは、異変の源を突き止める必要があるの。今はまだ手がかりが少ないけど、異形や死神の動きを追っていけば見えてくるはず」


 エマが説明している最中、突然、彼女の表情が一変した。


「……!!マズイわ!」

「どうした?」


 恵一が戸惑った顔でエマに尋ねる。


「東京の方で異変が起きているわ。何か強力な存在が動き出した…」


 エマが目を閉じ、集中して何かを感じ取っている。


「恵一、神楽、紗彩!急いで東京の街へ向かうわよ。何が起きているか確認する必要がある!」


 エマの言葉に、恵一たちは即座に行動を開始した。


「…なんだか、忙しくなりそうだな」


 恵一が苦笑いを浮かべながらジャケットを羽織ると、神楽がすでに立ち上がり、武器の準備を始めていた。


「ふざけてる暇はないぞ、恵一。準備しろ」

「はいはい、分かってるって」


 恵一たちは急いで東京の街に向かう為に玄関を飛び出すと異常な光景が目に飛び込んできた。


 空は真っ黒な虚空のように雲一つもない空だった。街の明かりはすっかり消え去り建物は崩れ落ち、車はひっくり返って炎を上げている。焦げた匂いが鼻をつき、胸の中に不安が広がっていく。


「これ、何が起きているんだ…?」


 恵一が呟くと、神楽が鋭い目で周囲を警戒する。


「だいぶ深刻な事態だな」


 その言葉を聞いた瞬間、目の前で黒い死神のような影が現れた。人間の姿に似ているが顔は不気味に歪んでおり、手には大きな鎌を持っている。


「魂ノ欠片を天に捧げる生贄ヲ…」


 一般人を襲う死神たちが目に入った。恐怖におののく人々が逃げ惑い、助けを求める声があちこちから聞こえてくる。


「くそっ、見ていられない!」


 恵一が駆け出そうとした瞬間、エマの声が響いた。


「待って、恵一!無闇に突っ込むのは危険よ!」

「でも、あの人たちが危ねぇだろ!!」


 恵一が周囲を見渡すと恐怖に怯える人々が目に入った。彼らの命を救いたいという衝動が彼の心を焦らせる。


 エマは一瞬、恵一の目を真剣に見つめた。


「だからこそ、まずは状況を把握する必要があるの。私は貴方たちに力を授けるために来た。私の指示を聞いて!」

「…わかった」


 そしてエマが冷静に指示を出した。


「恵一、貴方は私と来て。神楽、紗彩、二人は別の方向をお願い」


 神楽はすぐに頷き、銃を持ちながら紗彩に向かって手を振った。


「了解。紗彩、準備はいいか?」

「もちろん!」


 紗彩は自信満々に頷き、拳を握りしめた。恵一は少し心配しながら紗彩たちの背中を見ながらエマの後をついて行った。


「エマ、俺たちはどっちに向かうんだ?」

「東京駅よ。あそこに異変の中心がある可能性が高い。何かが地下から湧き上がってきているのを感じるの」


 エマの言葉には冷静さがあったが、恵一の胸には不安が広がっていく。それでも紗彩や神楽の顔を思い浮かべて自分の中の迷いを捨てた。


 二人は廃墟と化した通りを抜けて東京駅の近くに辿り着いた。目の前には崩れた建物と無残に破壊された車が並び、何かが這い回った痕跡が散乱していた。


「う、血肉の臭い…」


 恵一は周囲を警戒しながら呟く。エマも同じく鋭い視線を投げかけていたが、突然その目が大きく見開かれた。


「…来るわ、気をつけて!」


 恵一が驚いて振り返ると闇の中から異様な気配が感じ取れた。次の瞬間、暗がりの中から不気味な影が姿を現した。邪悪で歪んだ犬のような姿。鋭い爪と牙を持ち、その目は狂気に満ちている。だが、その姿はどこか不安定で視線を捉えきれない異様な存在だった。


「あれは何だ……」


 恵一の頬から冷汗が流れ、その生物から発せられる凄まじい気配に一瞬身がすくむ。エマも驚いた様子で、怪物を凝視していた。


「…あれは、恐らく"ティンダロスの猟犬りょうけん"。螺旋状の塔が並んだ謎の都市・ティンダロスに住む不死生物よ」

「ティンダロスの…猟犬?どっかで聞いたことあるぞ…」


 恵一は記憶の中からその名を思い出そうとしたが確信が持てなかった。


「恵一!私たちには時間がないわ!!とりあえず私の加護を!!」


 そう言ってエマは恵一へと手のひらを見せた。その小さな手に恵一は心を決め手を差し伸べたその瞬間だった。ティンダロスの猟犬は空気が揺らがない程の驚異的な速度で距離を詰め、恵一がその異常な動きを認識した時にはすでに猟犬の牙が体に突き刺さっていた。


「恵一!!」


 エマの叫びもむなしく、ティンダロスの猟犬が巨大な牙を突き立て恵一の四肢を容赦なく嚙み千切った。血しぶきが宙を舞い、痛みも感じぬまま恵一の意識は遠のいていく。あまりにも突然の出来事に彼の思考は追いつかなかった。


「ア”ァ”…!」


 彼の視界が暗くなり、全身が力を失っていく。身体の感覚が次第に消え、心の中に広がっていくのは深い絶望と奈落のような闇だった。そして意識そのものが暗い深淵に落ちていく。


俺、死ぬのか…?


 恵一の意識が暗闇の中へと沈んでいく中で、ふと彼の脳裏に過去の記憶が走馬灯のように蘇った。


 いつだったかな…あの大地震の日、小学生だった俺は両親との連絡が途絶えて途方に暮れてた。家が崩れ、住む場所を失ってたけど隣人の夫婦が俺を里親として引き取ってくれた。


 温かい家で毎日笑える日々だった……でも、心の中には常に両親への思いが数えきれない程残ってた。


 そして俺は大学生になり紗彩と神楽の二人と一緒にシェアハウスを建てたな。それからは毎日のように些細ささいなことで言い合いをして時には笑い合ったり。喧嘩し合ってたその一瞬一秒が今じゃもう手に入らない……


 静かに胸の奥に広がる孤独。恵一の中に様々な思い出が次々と流れていった。


 一方でティンダロスの猟犬は依然として目の前に立ちはだかり、恵一の体からは血が流れ続けていた。


「これ以上の出血は危ない!!」


 エマは神聖な杖を手に取り、強い決意の表情を浮かべてティンダロスの猟犬に向かって構えた。杖からは神聖な光が放たれて空間を切り裂くように光が直進する。


 しかし――…


 ティンダロスの猟犬は灰のようにボロボロに崩れるとそのまま姿を消してしまい、その場に残されたのは静寂だけだった。


「恵一!!」


 エマはすぐに駆け寄り、地に伏した彼の体に目を向けた。その瞬間、恵一の体中に朱色のあざのような紋章が浮かび上がると根を張るように広がっていく。


「コレは…!?」


 エマが驚きの表情を浮かべる中、痣は徐々に消え始めて恵一の呼吸が穏やかに戻っていった。すると、彼の瞳がゆっくりと開かれる。


「あれ、俺は一体…?」


 恵一はかすかに呟きながら、自分の体を見下ろした。傷口はまだ完全に癒えていなかったが、確かに彼は生きていた。


 エマは恵一が無事に目を覚ましたことに一安心し、彼を神楽と紗彩がいる場所へ連れて戻ろうと決めた。


「良かった…とりあえず、神楽と紗彩のところに戻ろう」


 エマが恵一に支えを差し伸べようとしたその瞬間、恵一の心臓に電撃のようなものが走ると再び朱色の痣が彼の体全体に広がり始めた。


「…んだよコレっ!!?」


 恵一が驚きと焦りの表情を見せるが痣はどんどん広がっていき、恵一の体から異様な変化が始まった。彼の脚や手からは鋭く光る銀色の鉤爪が伸び、鱗のような硬い銀色の鎧が体の四肢を覆い始めた。


「ぐ、ガァ…!」

「なんで……」


 エマの目の前で恵一の顔も徐々に変わり、狼のような仮面が彼の頭をバキバキと音を立てて包み込んだ。その姿はティンダロスの猟犬に覆われたようだった。


「ちょっと!?しっかりして!!」


 エマが必死に呼びかけるが恵一の意識はもはや遠く、制御できない力が体を支配していた。そして、ギザギザの八重歯が生えた口からは、耳が千切れる程の叫びが放たれ、周囲の空気を揺るがせる凄まじい衝撃が広がった。


「グググ…ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!」


 その叫びは彼の内なる苦しみを表しているかのように響き渡り、エマは咄嗟に杖を変貌した恵一へと向けたのだった。
















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