Ⅲ 前途多難
「私も付いて行くぅううううう!!!」
エフィルミアの剛力で抱き着かれ、ヘレンはまたしても意識が飛びそうになりながら、彼女を宥めた。周囲の兵士達が唖然としている。エルフと言えば魔法偏重主義である――と、思い込んでいた。誰もが幼少期に聞かされていた御伽噺に出てくるエルフは多くが人間の知らない未知の魔法を使う妖精。
儚くも美しい……存在として描かれてきた。
誰も本物のエルフを知らない。本や伝承にしか無いが故にイメージは固定される。エフィルミアはそんなイメージを粉々に打ち砕いた。
逞(たくま)しくも喧(やかま)しい。
「エフィルミアには……皆を護ってもらいたいから」
自分の首に巻き付くように回された腕を優しく叩いてエフィルミアをヘレンは宥めた。今回、キャンサー帝国への潜入の為に選ばれたのは、以前に潜入経験があるジェミニ評議界共和国の騎士セレーネ・ヒュペリオン、アリエス王国の輜重隊(しちょうたい)――行軍の兵站(へいたん)を担う部隊――シモン=ファン・レーヴェン=ペルゼィック。
キャンサー帝国に大部隊が入れるよう、城壁に“仕掛け”を施す役目を担っていた。工兵として優秀な人間は他にもいるが、危険地帯で接近戦もこなせるのは彼をおいて他にはいない。
そしてヘレン・ワーグナー。彼女もこの潜入作戦に参加することになった。眠気が急激に襲ってくる呪い、それを加味してもその強さは群を抜いている。未知の存在に遭遇しても対処できるという期待がデメリットを上回る――そう、イズルが判断した。
ヘレンとしてはその期待に応えたい。必ず二人を守り、生きて戻る。その事だけに集中する。
「チュチーリア殿が『ゴーレムさえいれば遠投投石機(トレビュシェット)部隊程度いくらでも守れる』と言っていたけどね。彼女ばかりに負担を背負わせるのはどうかと思ってさ」
イズルがエフィルミアの肩に手を置いて引き留めようやく、エフィルミアも不承不承ながら引き下がった。対してペルゼィックは二振りの剣を手に意気揚々としていた。
「フハハっ! いいかっ、妹分(ヘレン)に騎士女(セレーネ)! 俺様に続け――って、おい! 無視すんじゃねぇええ!」
ヘレンとセレーネの二人は既に先を行っていた。城壁はアリエス王国とジェミニ評議界共和国の陣地からようやく視認出来る程の距離、遠投投石機の岩石が魔法の助けを得てようやく届くか届かないかの位置にあった。
三人は岩場や崩れた橋の下、木々等の遮蔽になる物の間を縫うようにして走った。魔物との遭遇はなるべく避けたいところだが、城壁の外は不気味な程静かだ。魔物はおろか小動物すら見かけない。
「……皆、怯えてる。私達みたいに隠れて生活しているんだと思う」
異変に見舞われた動物達の危機察知は、人間の比ではない。ありとあらゆる手段を駆使して生き延びようとする。ありとあらゆる手段を使って異変そのものを取り除こうとするのは人間くらいなものではないだろうか。
そんなことをふと思うと、風を切って何かが飛んでいく気配を感じた。城壁の上で岩が派手に弾ける。群青色だった空が急に暗くなる。雲かと錯覚するそれは、矢の“雨”となって城内へ降り注いだ。
空を仰いで、目を凝らすと箒に乗った魔女が視認できた。ヘレン達を援護するつもりなのだろう。セレーネが手で合図を送る。
――これより潜入する。撃ち方止めるように、と。
矢と石の嵐は、夏の通り雨の如く、来た時と同じ位唐突に止んだ。
「いよいよ中に入ります――その前に、ヘレン、大丈夫ですか?」
セレーネが腰の片刃剣(ファルシオン)を手に取りつつ、ヘレンに尋ねた。体力の心配ではないだろう。潜入の途中で急に寝たりしないかと、そう聞いているのだ。
「ん、大丈夫。途中で寝たりとかしないと思う――たぶん」
「あぁん? 多分じゃあ困るんだけどなぁ。俺はおぶらねぇからな! 妹分!」
ペルゼィックが粗暴に念押ししたが、多分眠ったらおぶってくれるだろうという根拠のない自信がヘレンにはあった。
まぁ、寝ないに越したことは無いのだが。
「ヘレンが寝ないうちに済まそう。前回来た時、私とエミリオは一緒に侵入口を作っておいたの。それがここ」
エミリオ、セレーネと同じテンプルナイツの一人で今はキャンサーに単身で潜入し、情報を繋いでくれていた人物だ。
城壁、その根元に当たる場所をセレーネは探る。干し草で隠されたそれは地下道への入口。人一人と装備が通れるくらいの広さだ。ここを通れば国内に入れるという寸法だろう。
「よく二人でこんな通り道作ったな」
「意外といけるものよ? 地面を掘れるものさえあれば。やろうと思えばスプーン一つでもできるわ。さぁ、行きましょう」
ヘレン?と尋ねられる。彼女は長大な城壁を見上げていた。ぼんやりとしていたわけではない。賢い捕食者は高所から見据える。エメリナが上空から攻撃の指示を繰り出しているのを見て、ヘレンは閃いた。
地面をトカゲのように這うより、高所から鷹の如く見据える方が、得られる情報も多いのではと。
「二人はその穴から行って。私は上から行く。なんか見つけたら知らせるから」
言うや否や、大斧(ハルバード)の柄を壁に突き立て、棒高跳びの要領で上へ向かう。流石に一跳びとは行かず、勢いが落ちたところで、大斧の刃の反対側、鍵爪を引っ掛け、柄をしならせて跳ぶ。
頂上に飛び出したところで、ある者と目が合った。銀色の長い髪、灰のような白くも脆そうな肌、真っ赤な靴とドレスの少女――その足元に真っ黒な空間が渦巻き、幾つもの腕が蠢いていた。
魔人(ファントム)、そう判断し、ヘレンは飛び上がった勢いのまま刃を振り降ろした。
赤いドレスの少女はステップを踏んで、その攻撃を躱す。トンとつま先を城壁の上に置くと、真っ黒な腕が肥大化し、ヘレンを押しつぶさんと掌を広げる。前に跳びながら、腕を斬りつけた。
真っ二つに裂けた腕は、城壁から落ちながら崩壊していく。下にいる二人は驚いているだろう。
「いきなりご挨拶な方ね――ヘレン・ワーグナー。しっかりと礼儀を教えて差し上げなければ」
「……魔人への挨拶なんて殺気だけで十分」
ヘレンは右手に大斧(ハルバード)、左手に戦斧(サマリー)を構える。名前等聞くまでもなく、葬るつもりだったが、少女は妖艶に微笑んで、その指を愛おしい人間に向けるように伸ばした。
「あたくし、カーレンー―欲しい物はなんでも手に入れるの。あなたも」
ヘレンの足元の空間が歪む。真っ黒な腕が脚を掴んだ。
「私の収集対象……」
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