第37話 不器用な愛

 模擬戦の訓練場には、二人の剣の音が響き渡っていた。


 アリシアとアレクセイは、互いに息を詰め、全神経を研ぎ澄ませている。アリシアは素早く軽やかな動きでアレクセイを翻弄し、次々と攻めの剣撃を繰り出す。だが、アレクセイは常に一歩引いたところから相手の動きを見切り、鋭い反撃を狙っていた。


「お見事です、アリシア殿。まるで風のような動きだ!」


 アレクセイが低く囁くと、アリシアの動きはさらに鋭さを増し、戦士としての誇りが燃え上がる。自分と互角に渡り合う相手に、彼女は初めて胸が高鳴るのを感じていた。


(この男……私のフェイクに釣られず、最小限の動きで対応してくる。一番厄介なカウンタータイプだ)


 アリシアは表情に出さぬよう努めつつ、さらに接近戦に挑む。アレクセイも彼女から一瞬たりとも目を離さず、隙を伺っている。


 二人の間に火花が散り、激しい剣技の応酬が続く中、アリシアの足元が不意に捲れた土に滑った。


「っ!」


 その一瞬のバランスの崩れを見逃さず、アレクセイはサイドステップでアリシアの背後に回り込む。だが、剣先を突き出そうとした刹那、アレクセイの胸に鮮烈な記憶が蘇った。


(あの時の……戦場で見た後ろ姿)


 それは、かつて激戦のさなか、彼が初めてアリシアを見た瞬間だった。彼女は負傷した兵士をかばいながら、しんがりを務めて撤退していた。赤い軍服に包まれた剣士の凛とした背中。まっすぐで、美しかった——。


 その姿が逆光に照らされ、神々しく思えたあの瞬間。追撃の命令を受けていたにも関わらず、彼はなぜかその女性剣士の背中を追いかけられず、あえて一歩引いた。


(そうか……あの瞬間から私は、彼女に惹かれていたのか)


 この気づきが心に閃いたその瞬間、アレクセイの判断がわずかに遅れた。


 アリシアが体勢を整え、振り向きざまに剣を突き出す。アレクセイは剣を間に挟んで応戦するが、アリシアの剣先が彼の腕にわずかに触れる。


「ここまでです。アリシア様の勝利を宣言します」


 ルミナスの声が響き、緊張感が解ける。アリシアは剣を下ろし、少し息をつきながらアレクセイを見つめた。


「背後を取ったのに、どうして手を抜いたの?情けをかけたつもり?」


 悔しげなアリシアの声に、アレクセイは少し困ったように微笑んだ。


「……一瞬、動揺したんです。これが戦場なら命を私は落としていた。私の負けですよ」


「動揺?あなたが?」


 アリシアが怪訝そうに問い返すと、アレクセイは静かに彼女を見つめ、少し照れたように微笑んだ。


「アリシア……私はあなたに特別な感情を持ってしまっている。今の一瞬で、それに気がついてしまいました……もう勝てる気がしません」


 その言葉にアリシアは驚いて頬を赤らめ、思わず視線を逸らす。


「な、なにを……そ、そんなこと言われても……!私は着替えてくる!」そう言うと、彼女は早足で訓練場を後にした。


 彼女の背中を見送ったあと、ルミナスがアレクセイに近づき、穏やかながらも鋭い視線を向けた。


「さて、アレクセイ様。お招きしたのは、改めてお聞きしたいことがあったからです。王国にいらした本当の理由を、ぜひお聞かせいただきたいと思いまして」


「……ルミナスさん、前にも言いませんでしたか?私は王国の文化に触れるため……」


 アレクセイが返答するが、ルミナスはゆっくりと首を振り、さらに問いを重ねた。


「ではなぜ、王国中央から身分を隠して、こちらへと旅をされていたのでしょうか?」


 その言葉にアレクセイの表情がわずかに強張る。ルミナスは静かにポケットからヴィネグレットを取り出し、アレクセイに向けて見せた。


「この品を渡した恩人を、覚えていらっしゃいますか?」


 その光景に、アレクセイはハッと目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、穏やかな笑みを浮かべた。


「……なるほど、あの時の貴女が……どうりで聡明なわけですね。もはやこれは……運命の啓示かもしれません」


 アレクセイは一瞬思案し、深く息をついた。


「実は今、帝国と王国の間で、恐ろしいことが起ころうとしています」


 その言葉に、ルミナスは思わず息を飲む。アレクセイは真剣な目つきでルミナスを見据え、重々しい口調で続けた。


「内密の情報ですが……じつは帝国と王国の一部の過激な貴族が手を組み、現王家の政権転覆を計画しているらしいのです。私の訪問は、その動きを探り、できるなら抑止するためのものです」


「……政権転覆の……抑止ですって?」


 ルミナスの声に、アレクセイは静かに頷いた。


「ええ、最近アリシア嬢と帝国貴族の縁談の交渉があったでしょう」


 ルミナスはゆっくりと頷く。


「帝国の過激勢力は、アリシア殿が帝国との縁談を断ることを既に織り込み済みです。つまり——」


「それがきっかけとなり、何らかの争乱、陰謀が動き始めるということですね」


 ルミナスは、アレクセイの言葉を遮るように、彼の続く言葉を噛み締めるようにしながら、ゆっくりと吐き出した。


 アレクセイは一瞬息を飲み、再び彼女に問う。


「……ルミナスさん、貴女、いったい、何者なのですか?……どこまで見通して」


「アレクセイ様……単刀直入に伺います。——アリシア様と成婚なさるつもりはありませんか?」

 

 ルミナスは彼に対して新たな感情を抱いていた。アリシアと向き合った彼の真剣さには一切の曇りがなく純粋だと確信していた。


「え!?唐突になにをおっしゃるのだ」


「貴方が、ラインハルト領へいらした理由は……アリシア様に会いたかったから——ですよね?」


 アレクセイは、全てを見透かすようなルミナスから思わず目を逸らした。


「アリシア様に直接会って、ご自分の本心に気づかれたのではないですか?」


「そんなこと……もし仮に、私がそれを望んだとしても、到底かなう希望ではありませんよ」

 

 「いいえ、貴方が本気でアリシア様との『成婚』を望むなら、私が絶対にかなえてみせます。」


 冷静なアレクセイの顔に明らかな動揺が浮かぶ。そしてその瞬間、扉が開き、アリシアが軍服姿で現れた。


「どうしたの?ずいぶんと真剣な話みたいね」


 アレクセイは驚いたように一瞬目を逸らし、軽く微笑みながら応えた。


「いえ、ただの世間話です。ですが、アリシア様。あなたと剣を交えることができて、私は幸運でした」


 アリシアは不意打ちのような彼の言葉に、一瞬だけ頬を染めるが、すぐに真顔に戻り短く答えた。


「それは……こちらこそ。まあ、ただの茶会としてはかなり物騒だったけれども」


 三人は微笑みを浮かべながら、互いの信頼を深め合った。


 そして、この日のアレクセイの告白が、帝国と王国の未来を変える一歩となることを、彼らは知る由もなかった。

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