第36話 アリシアとアレクセイ

 アリシアは内心の不安を隠しつつ、今日の茶会の準備を進めていた。


 ルミナスセレーナの提案でアレクセイを招待することになったのだが、慣れない社交の場にどうしても緊張がつきまとう。


 彼女を全面的に信頼することを決めているアリシアは、今日も指示通りにきちんとした令嬢らしいドレスを纏っている。

 動きづらく少し息苦しいのだが、「茶会なんだから」と自分に言い聞かせ、アレクセイを待っていた。

 

 まもなくして、アレクセイ・フォン・ルーベンスが姿を現した。


 彼の端正な顔立ちは相変わらずだったが、表情はどこか硬い。


 ルミナスセレーナは彼の冷静さの裏に、彼自身のアリシアに対する意識と緊張を見抜いた。


(思った通りね……アレクセイは社交界の時よりもアリシアを意識している)


「アリシア様、今日はお招きいただき光栄です」


 彼の丁寧な挨拶に、アリシアもつい礼儀正しく返してしまう。


 お互いにぎこちない二人に、バイオレットがそっと微笑みを浮かべ声をかけ、徐々に緊張を解いてくれいる。


(このバイオレットの能力……本当に素晴らしいわ)


 社交界以降、ルミナスセレーナは彼女の優れた政治力とカリスマ性を再認識し、貴族婚活コンシェルジュのサポーターとして最適であることを確信していた。


「どうぞおかけになってください」


 バイオレットに誘われて二人が茶席に座り対面する。


「ありがとうございます」


 アレクセイは席に腰を下ろし、出された紅茶に手を伸ばしたが、アリシアの視線を感じたのか、少しだけ動きがぎこちなくなった。


 その緊張がアリシアにも伝わり、互いに無言のまま紅茶を見つめる形になってしまう。そのまま場が固まってしまいそうだったため、バイオレットが軽く咳払いし、会話を促した。


「あの……アリシア様、紅茶のお味はいかがでしょうか?アレクセイ様もぜひ感想を」


 バイオレットの助け舟に、アリシアもついに声を出す。


「ええと……、あ、うん。悪くないわね。アールグレイよね、これは」

「ええ、なかなか上品な香りですね……アリシア嬢も今日は、いつも以上に……いえ、なんでもありません」


 二人がぎこちなく微笑み合い、ほとんど弾まない会話が続いたその時、突然ルミナスがお互いの戦術論についての話題を振る。茶会の話題としては唐突ではあったが、アリシアもアレクセイも途端に顔が明るくなるのが分かった。


 軍人としてのキャリアが長い二人にとって、戦術の話は自然体で語れる話題だった。国境沿いの領地を治めるアレクセイも、常に戦場と隣り合わせであるため、アリシアとは通じる話も多いのだ。


「アリシア様も戦術について、そこまでの見識をお持ちとは……まさに武人でいらっしゃいますね」


 普通の令嬢に対しては失礼と思えるアレクセイのその言葉に、バイオレットが不安げな表情を浮かべたが、アリシアはというと嬉しそうに頬を染めていた。


「それは……まあ当然ですよ。戦術論は武人としての矜持ですからね」


 さらにアリシアが戦術論について熱心に話すうちに、アレクセイは少し不思議な感情を抱いていた。戦士として誇り高く生きる彼女の姿に惹かれている自分がいることに気づき、胸が高鳴るのを抑えきれない。


(なぜだろう……この高揚感は対抗心なのだろうか?それにしても……どうして彼女の凛々しさがこんなにも心に刺さるんだ)


 彼は自分の感情の正体を測りかねながらも、目の前のアリシアにどこか尊敬にも似た気持ちを抱き始めていることを悟った。


 そしていつしか話題は剣技に移っていた。


「帝国の剣技といえば、王国よりも伝統があって洗練されていると聞きますね」とバイオレットがあえてアレクセイを持ち上げるように尋ねると、アリシアが少し鼻を鳴らして答えた。


「王国の剣技が帝国に劣る?ふん、それは演舞での話。戦場で役に立たない剣技なら、私たちよりも優れているかもね」


 アリシアの発言に、アレクセイの表情が引き締まる。アリシアの凛とした横顔を見て、彼は次第に沸き上がる感情を抑えられなくなった。


「ほう、帝国式の剣技が戦場で役に立たないと?それが本当か、試してみますか?」


 アレクセイの冷静な口調に、アリシアの目が輝く。胸が高鳴り、彼に対する何かしらの気持ちが心を熱くさせた。


「戦術論ではまあ五分といったところですが、剣技ならば……負ける気はしませんね」


 自信に満ちた彼女の言葉に、アレクセイも不敵に笑みを浮かべた。武人としての誇りがあるからこそ、この挑発からは引き下がれない。


「アリシア令嬢が帝国から紅狼レッドウルフと呼ばれているのはご存知ですかな?……剣技が粗暴という意味で」


「粗暴、ですって?私の無駄のない剣技が……帝国の目は節穴ですか?」


「そこまで言いますか、なるほど……では一度手合わせ願いたいですね。その、帝国より優れた剣技とやらを見せていただきましょう」


 茶会がまさかの模擬戦へと発展しつつあることに気づいたバイオレットが呆れ顔でルミナスセレーナの方へ振り返るが、彼女は微笑みながら頷いた。


 「まあ、剣を通して互いを知るのも悪くありませんわね」


 こうして二人は、屋敷の訓練場へと向かうことになった。


 アリシアは訓練用の軍服に着替え、模擬剣を手にして戦士の顔を取り戻す。


 豪華なドレスから戦装束へと変わった彼女の姿に、アレクセイも一瞬目を奪われた。その様子に気がついたアリシアが尋ねる。


「ん?令嬢らしいドレスでなくて残念ですか?」

「いや、あの……そちらの方が私は好きかもしれないです。あ、いやそう言う意味ではなく」


 彼の言葉は冷静だが、瞳には確かにアリシアを特別に見つめる色が宿っていた。


(え、今のはどういう意味なんだ?……この服でそんなことを言われたのは初めてだ)

 アリシアはアレクセイの素直な反応と、自分を見る視線が気になったが、平静を装おい冷静に返す。


「その言葉が……無駄にならないよう全力でお相手しますわ」


 アレクセイ自身も、アリシアを前にしてこれまでとは異なる高揚を感じていた。


(なんでこんなに胸が高鳴るんだ……私は緊張しているのか?試合でこんな感情は初めてだ……)


 ルミナスセレーナが二人の間に立ち、模擬戦のルールを告げた。


「先に一撃を決めた方が勝ちとします。模擬剣ではありますが、気を引き締めてお願いします」


 アリシアが凛と構えると、アレクセイも目を細めて深く息を吸い込んだ。


「お互い、手加減は不要ということでよろしいですね?」

「望むところ。全力でお相手してあげるわ」


 周囲の空気が張り詰め、二人が静かに構えを取り間合いを詰めていく。

 互いの意地がぶつかり合う緊張感が高まり、次の瞬間、模擬戦が始まるその時を迎えた。

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