第18話
「やめろ!」
急に発せられたいつになく荒い声に、フィレーヒアはたじろいだ。美貌に戸惑いの色を浮かべた彼の細い体を、ショルカは払いのける。押されてバランスを崩したフィレーヒアが、転がるようにソファから落ちた。
力を入れすぎた。青ざめる王の心配をよそに、彼はすぐに身を起こし立ち上がった。床のガウンを拾うとそれを羽織り、ショルカに背を向ける。そして足早に、ドアの方へ向かっていく。
「待て。頼む、待ってくれ」
王は立ち上がり、華奢な背中を追いかける。フィレーヒアがドアのハンドルに手をかける寸前で追いついて、細い腕を掴んだ。力を込めて、引き寄せる。
彼は抗議するような表情で振り向き、王の顔を見た。二人は、無言でしばらく見つめ合う。
長い沈黙が続き、ショルカは何と言っていいかわからず顔をしかめる。腕を掴む力を少し緩めた瞬間、フィレーヒアの瞳から涙が溢れた。
思わぬ展開に、ショルカは目を丸くする。気が動転し、なだめるべき言葉もまだ見つかっていないというのに、口を開いた。
「・・・愛してる」
それを聞いたフィレーヒアが、濡れた目に驚きの色を浮かべた。口をついて出た言葉に、ショルカ自身でさえびっくりしている。
王はゆっくりと深呼吸し、確かめるように繰り返した。
「愛してる、フィレーヒア」
そうだ。私はこの男を愛している。思わず飛び出た言葉は、ずっと心の奥底に存在していた真の気持ちに他ならなかった。
辿ってきた悲惨な過去への同情や、鮮烈なまでの美貌への称賛ではない。確かに始まりは、そういった感情だったかもしれなかった。でも今は、唯一無二の存在として、この男を愛している。少しずつ豊かになっていく表情が、心をかき乱す。
白皙の魔法使いの瞳から、また一粒涙が落ちる。しかしその表情に、悲しみも怒りも絶望も無い。目の前の王を見据え、その双眸に嬉々とした眩い光をのせた。
ショルカは指を伸ばし、愛しい彼の頬を濡らす涙をぬぐう。
「だから、ちゃんと気持ちを知りたい。語りたくないことまで教えろなんて言わないが、お前の声を聞かせてくれ。何もわからないまま、あんな風に関係を持つのは嫌だ」
「・・・すまなかった」
久しぶりに聞くフィレーヒアの声が、ショルカの心を癒し、潤した。
「ショルカ、私も・・・」
愛している、と続くはずの言葉を、目を閉じて待つ。しかし王の耳に、それはいつまでたっても聞こえてこなかった。
不思議に思い目を開けると、先ほどとは打って変わってひどく不機嫌そうな彼の顔が視界に映る。
今度は何だっていうんだ、一体。ショルカが問いかけるより先に、彼の色素の薄い唇が開かれた。
「・・・忘れるところだった」
「何を?」
「私に愛しているとか言うけれど、アムアともセックスしてるだろ」
「はっ!?」
動揺のあまり、王は素っ頓狂な声を出してしまった。何の話だ、それは。とんだ誤解だ。驚きすぎて、何と言えば良いのかわからない。
「・・・白々しいな」
「いや、していないぞ私は。してない、です」
焦りのあまり意味もなく敬語になるショルカに、フィレーヒアは冷たい視線を向ける。
「本当だ、信じてくれ。アムアのことは大事だが、あくまで側近だし家族のような存在だ」
「へえ」
「なあ、信じてくれよフィレーヒア。愛しているのはお前一人だ。私は生まれてから誰とも、そういうことはしたことないんだ」
―――そういうことはしたことがない。必死に訴えるショルカの話を受け流すように聞いていた彼は、その告白には少しだけ反応を見せた。
「つまり、童貞か。本当かな」
そう言ってからかうような表情をした彼に、ショルカは顔を近づけた。お互いの吐息を感じるほどの距離でじっと見つめる。フィレーヒアが言った。
「・・・試してみたら、わかるのかな」
「ああ、証明しよう」
意気込む口調のショルカに、華のような彼は思わず噴き出した。
王はその可憐な体を抱きしめ、ベッドへ運ぶべく持ち上げる。温かい腕の中で、フィレーヒアは尋ねた。
「キスもしたことないのか?」
「ああ、全部お前が初めてだ」
ショルカは頷き、そう答えた。そしてその精悍な顔にしばし緊張の色を浮かべ、愛する人に口づけた。
「大好きだ、フィレーヒア。後にも先にも、お前一人だ」
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