第3話

コーグ国の城の広間は、先王が愛した絢爛な意匠に溢れている。世界中の宝石や絵画、骨董が、部屋中にきらびやかな輝きを放つ。そのほとんどが、名君と謳われた先王へ国内外から贈られたものだ。先王は、その美しい贈り物を、それを贈った者たちのことを、深く愛していた。

これほどまでに広い部屋があるなんて、あの日城に迎えられるまで想像したこともなかったと、ショルカは思う。ショルカはこの広間が苦手だ。先王のために彩られた、豪華な装飾品に囲まれていると、自分が一層この世界とは場違いな存在に思われた。

広間では、レラ国王のルタが大勢の従者とともに、コーグ国の新王を待っていた。ルタは、ショルカが現れると、その姿を値踏みするように眺める。顔立ちそのものは凡庸な男だが、その爬虫類を思わせる目には、人の心を粟立たせるものがあった。

ルタの後ろに控える従者のうちの一人に、なぜか白いケープを被っているものがいることに、アムアは気づいた。顔どころか全身を覆うほどの大きなケープは、その者の足元以外全てを覆っている。寒冷なレラ国の者は一年中毛皮のブーツを履いているものだが、その一人だけが裸足だ。気になるが、城に入るときに武器は取り上げているはずだし、心配は無いか。年のため、近くにいた近衛兵に気を付けるよう合図した。

「初めまして、ようこそコーグ国へ。お会いできて光栄です」

ショルカは緊張を悟られないようにできるだけ穏やかな笑顔を浮かべ、よく通る声でそう言った。

コーグ国とレラ国は、長年に渡り友好的な関係を築いてきた。寒冷な気候のレラ国で採れる天然の砂糖氷は、温暖なコーグ国に輸入されると飛ぶように売れる。コーグ国の太陽を浴びて育った果実は、レラ国では高級品として愛されている。貿易面では互いに無くてはならぬ存在であり、また互いの国の王も、深い絆で結ばれていた―――先代までは、確かにそのはずだった。

「今日は、王冠をかぶっておられるようですね。どこかで落としては来なかったようだ」

そう告げるルタの声は、明らかに敵意を孕んでいた。表情こそ笑っているが、その瞳の根底に計り知れない黒いものを感じる。これはまずい。アムアは困惑する。

レラ国の王は、ちょうど一年ほど前に代替わりした。アムアは、その時まだ存命だった先王とともに、即位の祝福のためにレラ国へ出向いている。当時のルタの印象は、特に危うさを感じさせるものではなかった。真面目そうな青年王で、ずっと目上のコーグ国王を相手に、こちらが気の毒になるほどの緊張を見せていた。

つい最近レラ国は、海の向こうの小国に攻め入り侵略している。しかし相手はもともとレラ国と海洋資源をめぐって緊張関係のあった国で、気にはなっていたがそれほど深刻には考えていなかった。それは大きな間違いだったかもしれない。ルタの態度が一年足らずで、ここまで好戦的になってしまうとは。

「戴冠式の様子を、よくご存じでいらっしゃいますね」

アムアはショルカの後ろから口を出して、ルタに笑いかけた。ルタはアムアを一瞥し、鼻で笑う。

「敵のことは、よく知っておかないと」

はっきりとは聞き取れないくらいの独り言のような声だったが、ルタは確かにそう言った。このコーグ国を、敵と呼んだ。アムアは青ざめる。ルタはショルカに向き直り、わざとらしく口角を上げて言葉を続ける。

「王冠に拒否されるなんて、王とは呼ばない方がよろしいのかもしれませんね」

「私がコーグ国王ショルカです。遠路はるばる本当にありがとう」

ショルカは間髪入れずにそう言い、威厳のある穏やかな笑みをルタに向けた。嫌味を受けて立ったように思われたが、ああ、これ緊張で相手の声なんて何も聞こえてないやつだな、とアムアは悟る。

しかし内情はどうあれ、その言葉は最高のタイミングで発せられた。有無を言わせぬ美しい笑顔とその受け答えに、ルタの表情が引きつる。

今日のところは、何とかこの場を丸く収めたい。アムアはショルカの横顔を見つめる。この新王は思ってもいないようだが、友好的な隣国であったはずのレラ国は以前とは変わってしまった。早急に議会を開き、対応を考えなければ。

「偉大なレラ国王様は、わが新王のために贈り物を用意してくださったとか!」

アムアは明るい声でそう言った。とりあえず即位のお祝いの品を受け取って、先方の用を済ませてしまおう。慣例通りなら、彼らは長居はしないはずだ。

割って入ったアムアの発言に、ルタは気を取り直したように笑った。

「贈り物、ね。この国にぴったりの品を、お持ちしました。お気に召すとよいが」

意味深な含み笑いを浮かべ、ゆっくりと話すルタ。もったいぶっているが、どうせ何らかの骨董や宝石の類だろう。あるいは、名産の氷砂糖でも大量に持ってきたか。アムアは退屈さすら感じるが、ショルカは期待に目を輝かせる。

「品をお見せする前に、お聞きしたいことがある。魔法使いの伝説をご存じか?」

魔法使いの伝説。無知なショルカも、流石に知っているだろう。海の向こうの大陸から伝わったという、童話とも伝説ともつかない、おとぎ話のようなものだ。


遠い昔、世界には魔法使いと人間が共に暮らしていた。魔法使いは主と認めた人間に出会うと、自らの生涯を主に仕えることに捧げた。そしてその生涯に一度だけ、願い叶えた。魔法使いと言っても、魔法を使えるのはその一度限り。その後は、ただの健気な主従関係が続くだけだ。主が死ぬとき、魔法使いも共に息を引き取ったという。

古代の人間は清らかで、働き者だった。だからどんな願いでも叶えられたけれど、彼らが願うのはほとんど祈りのような、優しいものばかりだった。家族が幸せでいられますように。どうか人生の最後の瞬間まで、満たされていたと思えますように。長い年月を、人々は優しい願いに守られながら生きてきた。子孫の何代にもわたり、生涯を共にした魔法使いと人間も少なくなかったという。

その生活に変化が訪れたのは、人間のなかに欲という感情が現れだした頃だ。それまで皆のものに過ぎなかった土地を、恵みを、自分一人のものにしようとあがく欲深い者達が現れた。そしてそのために、魔法使いを利用しようとした。まるで獣を追い詰めるように、魔法使いを狩る者達が現れる。

しかし無理矢理捕らわれた魔法使い達が、願いを叶えることは決してなかった。そもそも彼らが叶える願いは、自らが主と認めた人間の願いなのだ。何をもって主と認めるのか、人間の中にそれを知る者はおらず、魔法使い達は拷問にかけられても語ることはなかった。

願いが叶えられなければ、魔法使いはただの人間と変わらなかった。多くの魔法使いがただの奴隷として売り買いされた。彼らは、自分自身を魔法で守ることはできない。心無い扱いをされた魔法使いは栄養失調や怪我で弱り、そして死んだ。本来なら主と認めた人間が死ぬまで永遠に続くはずの、数多の命が失われた。心のみに基づいていた美しい主従関係は、この世界から消え去った。

こうして急激に数を失った魔法使いは、遠い昔に全滅した―――子供たちが好むおとぎ話の一つにしては、救いのない話だ。


「海の向こうから伝わったとされるおとぎ話ですよね。結末は悲しいですが、学ぶ教訓は多い気がします」

ショルカに代わり、アムアが答えた。流石にこんなやり取りは、覚えさせた台本の中にない。

「おとぎ話。おとぎ話か。まあ、そう呼ぶのも無理はない」

どこか馬鹿にしたように、ルタが言う。アムアとショルカの顔を交互に見た後、言葉を続けた。

「私も、そう思っていた。欲深い人間への戒めと皮肉を込めた、作り話に過ぎないと。しかし、しかしだ」

ルタの口角が、一層得意げに吊り上がる。

「魔法使いは実在したんだ」



















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