第27話 乳をたって骨を断つ その4

「……異議ありって、日暮、往生際が悪いっすよ?」


 ほとほと呆れたと言わんばかりに左近寺が眼鏡を外して目頭を揉んだ。

 みな、彼女が意固地になっていると思った。

 やれやれとため息をつくような空気が流れる。

 しかし、違った。感情論からの否定ではなかった。口を開いた日暮の論ずるところは非常に的を得ており、誰もが失念していたことを正確に射抜く一矢だった。


「あなたたち、忘れているようだけど、接近禁止令を解くと同時に、片瀬さんは援軍をひとり得るのよ? 恋の共同戦線だったかしら。ハチくんは今回のことで大きな恩義を彼女に抱くはず。その恩義に報いるため、精力的に彼女へ協力するでしょうね。そうしたらどうなる? 手塚くんの唯一の友達である彼の支援を受けた片瀬さんはきっと大きくリードするわ。あなたたちはそれでもいいの?」


 みなが一様に息を呑む。そのリスクを見れていなかったことに気づいた。

 ピニャが「あっ」と音を漏らす。何か閃きがあったようだ。彼女は提案する。


「じゃあさ、ハチの協力をみんなが受けられることにすればいいんじゃない? 恋の相談役的な? あたしとだけの協力関係じゃなくて、恋する乙女協会のアドバイザーとして働いてもらう、みたいな感じにすればどう?」


 日暮は腕を組み、二の腕を人差し指で叩く。何やら思考を巡らせる彼女を置いて周囲は動き出す。


「いいんじゃないの、それで。日暮が心配していたことは解決されているし、犬神を共有するならぼくらは平等だし」

「そうだな」

「そうっすね。名案っすよ」

「いえ、ダメよ」


 涼しい顔で多数の意見に真っ向から挑みかかる日暮は語った。


「それは必ずしも平等足りえないわ。そのすべてがハチくんの心のありようによって変化するもの。今回の円卓会議において、最初から最後まで彼のことを庇い立てた片瀬さんと、最初から最後まで彼のことを真っ向から拒絶し続けた私。そのふたりをまったく同じ心情でサポートできるなんて思えない。必ず片瀬さんに傾くはずよ。そして、それはあなた達も同じ。彼の中での好意の度合いによって受けられる恩恵が変化する。どこが平等なのかしら。なにが名案たりえるの? 虫食いだらけの欠陥的な提案だわ」


 まなじりを決して猛禽のように猛々しい瞳が片瀬を見た。


「メリットを得たいならリスクを背負いなさい。最も利益を得るあなたが何かを担保にするというなら、仮初の不平等のもとに成り立つ恋の相談役を受け入れましょう。接近禁止令の取りやめにも賛成するわ。さぁ、どうする? あなた次第よ、片瀬さん」


 リスクといったって何をどうしろと言うんだ。

 心配になりピニャを見たが、彼女は迷いなく晴れやかな顔で気炎を吐く。


「もしハチがヒルーマをまだ好きだった場合、あたしが騙されていて、本来必要だった接近禁止令を無理やりやめにしたって分かったら、あたしは恋する乙女協会を抜けて、悠馬のことも諦める」

「……」

「それくらい、あたしはハチを信じてる。だから、接近禁止令はなし。ハチが悠馬と前みたいに話せるようにして」


 片瀬の言葉が俺の胸を打つ。

 力強く啖呵を切ってみせた彼女に、俺はいったい何を返せるだろうか。


「気持ちの良い言いっぷりっすねぇ。あっしはそういうの好きっすよ」


 左近寺がにこにこと笑顔を見せながらピニャを見る。

 しばらくの沈黙を経た後、円卓の悪魔・日暮奈留が「負けたわ」と首を振った。

 ついに鬼の首が斬られたのだ。


「そこまでのリスクを背負うなら、もはや言うことは何もないわ。否定的意見も何もない。接近禁止令の撤廃も、アドバイザーの設置も、両方賛成させてもらうわ」

「・・・・・・それじゃあこれで、円卓会議終了っすね」


 終幕の音頭をとる左近寺。

 日暮はこれまでの厳冷かつ苛烈な様子をすっかりひそめて、深窓の令嬢のように穏やかな微笑みを湛えて身を引いた。その変わり身に不気味ななにかを感じたが、とにもかくにも、これで議論は終わりらしい。

 聞いているだけでどっと疲れる話し合いだった。


「ピニャ、ありがとな。ぜんぶ、お前のおかげだ」


 肩に手を置き、片瀬に労いの言葉をかける。

 振り向いた彼女は桜色の瞳を細め、照れくさそうにはにかんだ。


「あたしだけの力じゃないけどね。あ、そうだ。そんなに感謝してるなら放課後フラッペ奢って」

「ああ、それくらい何杯でも奢らせてくれ」

「やった。じゃあ学校終わったら近所のスドバ行こっ」

「あっしも頑張ったから奢って欲しいっす」

「わたしも」


 左近寺と金井が会話に入ってきて俺にたかってきた。もちろん奢らせてくれ。彼女達の助力がなけりゃ、俺と片瀬は日暮奈留の猛攻に何一つ太刀打ちできずボコボコにされていたことだろう。なんなら昼間にも奢ってやっていいくらいだ。


「ぼくはいらない。……他に好きな人がいるって話。信じてもいいと思ったけど、まったく未練がないかどうかまで分からないから。確証が持てるまで、おまえとは距離を取らせてもらう」


 手櫛を入れるたびに映える黒髪に混じるライトブルーの眩い光。

 重そうな一重瞼に隠れた瞳で俺を一瞥し、小さな背中が去っていく。

 なんだよ、せっかく奢ってやろうと思ったのに。つれないやつ。

 鳶色の瞳が、興味深そうに俺たちを見ていた。

 目が合ってしまう。メスブタが口を開いた。


「私には奢ってくれないの?」

「え? 本気で言ってる?」

「ふふ、冗談よ。あれだけメタメタに言ったんだから嫌われても仕方ないわ。どうぞ四人で楽しんできて」


 三日月のように弧を描く唇。日暮の笑顔は不気味の谷に存在する機械人形みたいだった。

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