第17話 メスブタは迷える羊に叡智な本を与えたる その1
手塚への恋ごころに気づいた翌日。
俺の世界は、がらりと彩りを変えていた。
手塚悠馬が輝いて見えるのだ。
教室の窓を憮然と眺め、春の青空を睨みつけるその横顔。
メスブタたちの鳴き声に相槌を打って、わざわざ対応してあげる心優しい姿。
板書を取るときの勤勉な眼差し。
昼飯を食っている時、ふと米粒が頬についた瞬間の子供っぽい様子。
ぽかぽかと気持ちの良い春の陽気に睡魔を覚え、それでも眠るまいと目をしばたかせる姿。
手塚悠馬の一挙手一投足すべてに薔薇の花びらが咲き乱れた。見るものすべてを恐怖のどん底に陥れる悪魔のホラーサイコフェイスも、今の俺には、恋の落とし穴へと獲物を誘なう甘いマスクに見えて仕方がない。
あいつ、あんなにカッコよかったっけ?
もはや見てるだけで幸せになれる心の栄養素だ。
実際に手塚の姿を目にすると、やっぱり俺は彼のことが好きなんだと自覚する。
そして、メスブタたちが手塚の周りをうろつくことに今まで以上の強い苛立ちを覚えるようになっていた。
しかるべく手順を踏んで猟友会の会員となり、鉄砲の資格をとって、あの汚らしい猪どもをすべて駆除してしまいたい。片目を銃口に見立て、まばたきを撃鉄とし、何度も何度も害獣たちに発砲してやる。しかし、悲しいかな。俺は改造人間でも超能力者でもないわけで、どれだけお目目をパチパチしようとも世界に干渉する物理法則を生み出すことなど到底できないのだ。
「はぁ……どうしたもんかなぁ……」
困った。本当に困った。
思わずため息が漏れてしまう。
接近禁止令の撤廃方法が思いつかないから頭を悩ませているわけじゃない。もちろん、それも気掛かりではあるのだが、俺は昨日から自覚したこの恋ごころとの付き合い方に脳みそを高速回転させているのだ。
男と女の恋愛は、ドラマや映画、漫画やラノベ、小説やアニメでいくらでも目にする。広く一般的だからこそ男女間の恋愛をテーマにした創作物は多い。ゆえに、それらは人生の予習として役に立つのだ。意識をせずとも目にすることが多い情報であるがゆえに、知らず知らず人生の手本となっている。俺が昼間瞳子を好きになった際、校舎の屋上に彼女を呼び出して告白したのもある文芸作品を踏襲したものだ。図らずしもインプットされていた恋愛のイロハに従って無意識的に行動の選択を行ったに過ぎない。そこにオリジナリティはない。トラディショナルな恋愛通念に迎合しただけだ。
しかし、これから俺が情熱を注ぎ込む青春に教本はない。
男と男の恋愛。
俺はどうすれば、手塚と手を繋いで爽やかな川辺を春の日差しに包まれながら散策できるようになるんだ? あいつの優しい笑顔を一身に受けることができるんだ? 顎をくいっとされて「好きだ」って真面目な顔で言ってもらえるんだ?
分からん。だめだ、そんな未来に辿り着く想像さえできない。
オバえもんに相談するか?
いや、やめておこう。ご年配の方には少々ヘビーな話題かもしれない。ビックリして心臓止まっちゃったら夢枕に立たれて一生恨み言を唱えられることになっちまう。昨今の社会情勢を鑑みるに、様々な考え方に理解を広げていこうという動きはあるが、それでもやはりアブノーマルな恋愛である。カミングアウトは慎重を期す必要があるだろう。
だとするならば、やはり本だろう。
読書は好きだ。
様々な世界に触れられる。
とうてい現実に起こり得ない事柄でも、追体験しているようなリアルさで味わうことができる。
小説にせよ、漫画にせよ、物語の根幹を担うのは作者の知識と生きざまだ。文庫本一冊の文字数は10万字ほどだと一般的に言われるけれど、その10万字に作者のあらゆるものが凝縮され詰め込まれている。漫画だってそうだ。描く線の一本一本、コマ割り、演出、構図にキャラ。あらゆる技術、途方もない努力。そのすべてが積み重なってひとつの作品を産む。いうなれば、本とは作り手の叡智の結晶なのである。そして、情熱の集合体なのだ。
ゆえに読書とは、血肉を得ることだと俺は思う。
作者の世界に共感し、吸収し、楽しむことで心に栄養が行き渡り、今までの自分よりちょっとだけ幸せになれる。うまい料理もあればまずい料理もあるけれど、そのすべてが質感のある経験となって確かな自己を築き上げる一助となっていく。
だから俺は読書が好きだ。
昨日よりもより良い自分になれた気がするから。
色んなことを知れるから。
そして何よりも、楽しいから。
手塚との恋愛を知るにあたり、攻めるべきジャンルはボーイズラブだろう。
未到の地である。
その沼に足を踏み入れたが最後、探索者は腐葉土の中に埋もれて発酵し、腐り果てると噂に聞く。
生唾を飲む。
俺は無事、健全な精神性を保ちながら帰ってくることができるだろうか。果ては、手塚なんてどうでもいい、男なら誰でもいい、はやくケツを出せと喚き立てる陰獣に成り果ててしまわないだろうか。そら恐ろしい。俺は現状、手塚が好きなのであって、男が好きなわけじゃない。だが、この一歩が、そんなピュアな恋ごころに革命のファンファーレを鳴り響かせてしまわないか気が気でない。けれど、背に腹は変えられない。俺にはいま、知恵が必要なんだ。
終業のチャイムが鳴る。
俺は決意を固め、帰りに書店へ寄ることにした。
「ゆーまっ、帰りにアサイー食べに行こっ!」
「すまん、今日もひとりで帰りたい」
「えー、いい店見つけたのになー」
「悪いな、片瀬」
「ま、しょうがないか! もし食べたくなったら声かけてね! 連れてってあげるから!」
「ああ、ありがとう」
ふと目をやった先で片瀬比奈こと乳メスブタが手塚を帰路に誘うがすげなく断られている。なにが
ショッピングモールの本屋でメスブタに出くわすとも知らず。
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