第21話 きっかけ(ネロ視点)
「――怒らないんですか?」
会話のない食事に耐え切れなくなったネロは、自分からそう切り出した。いつもロディネは話しながら食事をするのに、今日はエルンストの部屋を出た時からずっとしんとしたままだ。定食のメインは甘辛い肉野菜炒めのはずなのに、味が薄く感じる。
「……んー? あ、ごめんな。エルンストが『八つ当たりして自分が殴りかかったからネロを怒らないでほしい』って言ってたから……ただそれも具合が良い悪いも関係なく、訓練生同士のちょっとした喧嘩で能力を使おうとしたのは駄目だから、どう怒ろうかなって考えてた」
ロディネは少し笑ってそうやって全部言った。わざとだ。
「すみません……」
「いーよ、命の危険があるとかだったら話は別だけど、次からは気をつけてな」
ロディネは水差しを取って空になったコップに水を入れ、ネロのコップにも水を足した。喋っていないのに空になったコップを見て、相手も少し緊張してそれを流し込んでいたのかもしれない、なんて思った。
「ところで結局エルンストは何で喧嘩を吹っ掛けてきたんだ?」
「ええと……あの」
どこまで言った方がいいんだろう。差し迫っているならロディネは
公安の人とかが変な事を考えているかもしれないなら、対策をとるために多分全部言った方がいい。だが出来ればロディネの意思を無視して公安の人達が好き勝手に言ってるってことは、ロディネの耳に入れたくないし、気にして欲しくないなと思った。
「その……ええっと……俺も、どれがエルンストの地雷だったのかはよく分かってないんですけど……エルンストは自分が公安に入って特務に入りたいから、俺が公安に入る気がないなら……」
何て言おう何て言おうと、つっかえながらしどろもどろになっていると、ロディネは食事の手を止めて困ったように微笑んでいる。
「……もしかして、俺が原因かな」
「――え」
「気を使わせてごめんな」とロディネはスプーンを置いてくしゃりと顔を歪め、歪めた顔を両手で覆った。
(う……やっぱり変に上手く言おうとせずに素直に言った方がよかったかもしれない)
「――やり口が汚ぇな……また訓練生を使うとか、嘗めてんのか」
ロディネが顔から手を離せば、すっかり微笑みを消えていた。低い声で小さく呟き、赤い夕焼けのような目を細めてどこか遠くを睨んでいる。
ロディネは先生のような立場の割に、言葉使いも普段そんなに丁寧ではないし、妙に負けず嫌いで気も短いなと思う事はある。それでも本気で怒ったりということはあまりなく、基本的にいつも明るくてにこにこしている。塔外訓練で子ども達が囮にされたときは物凄く怒ってそれはそれでびっくりしたが、今のロディネは本当に静かに怒っていた。
そうしてまた静かな食事に戻ってしまい、黙々と食べて食堂から寮に戻る。ネロはその間、結局何も言うことが出来なかった。本当に失敗したと思ったまま、つばめの尾のようなポニーテール揺れるロディネの背中を見ながら歩いていると、ロディネが部屋の少し手前で立ち止まり、振り向いた。
「ところで、もうそろそろ一人寝に戻ってもらおうかと思ってたんだけど、今日はどうする?」
そういえば、ずるずると領域崩壊の後から一緒に寝てもらっていたけど確かにもう大丈夫ではあるんだろう。まだ目は本調子じゃないけれど、それ以外は特に問題もない。だからそろそろ一人で寝るのに戻さなくてはいけないし、ロディネも多分そう思っているが、エルンストとの事があったからどうするかと尋ねてくれているんだろう。
(どうする……どうしよう……)
きゅーんきゅーんきゅーんきゅーん……
「…………一緒に寝てもらっていいですか」
「ふっ……ふふ……っ! ――いいよ、一緒に寝よう」
(もう、ちょっと……犬!! )
大丈夫だと言おうとした途端これだ。
切なさいっぱいにあざとく鳴く犬を見て、ロディネは口元を押さえてぷるぷる震えていた。じゃあ寝る準備してくるなと一旦自分の部屋に入って行く姿はいつも通りに見える。それでもネロは食堂であれ以上聞かれなかったことが少し心に引っかかっていて、単純にいつものロディネみたいに笑ってくれてよかった、とはならなかった。
だからネロは今日だけ、今日だけと自分に言い聞かせながら千切れんばかりに尻尾を振る犬のほっぺたを引っ張ってから、一緒にロディネの隣に潜り込んだ。
(にしても何でネロ図書室にいたんだ? 珍しいよな?)
ベッドに入って導きがてら話をしていたらふと思い出したようにロディネが言う。こっそり行ったはずなのに、何でバレたんだろうか。
(ネロを探してたら、別の子が図書室でエルンストと話してて、一緒にどこか行ったって教えてくれたからさ)
動揺を感じ取ったのか、ロディネがすぐに答えをくれる。だからネロを探しにエルンストの部屋にロディネが来たのかと謎が解けたいいが、どうしよう。何て言おう。
あっちもこっちも中途半端にするのは自分も悩むし、ロディネも気にする。完全に隠しきれるなら誤魔化すのもいいかもしれないが、ネロはそれを誤魔化すように上手に話すことも、完全に隠す事も出来ないと分かっている。ロディネは|導きも含めて俺の様子はよく見てくれている。分かってても問題なければそっとしておいてくれてるだけだ。
ネロはどうしようか少しだけ迷って本当のことを言う事にした。
(……俺、実は今日図書室で、つばめについて調べてたんです。この間俺達を襲ったグリーディオの番人の人、鳥の魂獣だったじゃないですか)
(あー……)
(あの男の人の
(あの
先生の歯切れが珍しく悪い。
(あ、あの……嫌な事だったら本当にごめんなさい)
(いや……あんな思わせぶりに言われたらそりゃ気になるよな。自分から言う事でもないし、色々ありすぎてすっかり頭から抜けてた。……気になってただろ、ごめんな)
あのイキった奴みたいな
(色々ありすぎてどれが原因か、全部が原因か、ちょっとずつ原因かは分からないんだけどな。こいつ、飛ばないんだよ。もう随分前から)
(レオナルド……さん、が何か)
(ん? あっちでもこっちでも何であいつ? まあレオナルドもかなり関わっては来るんだけどなー……)
昔はあのおっさんが言う通りちゃんと飛んでたんだとロディネは言う。
(俺が……何で今回こんなに怒ってるかっていうのな、俺達も同じ目にあったから……なんだ)
(え)
(当時俺の先生だった人が物凄く怒って、でも、俺は無事だったし、能力も上がったから……その時は何で先生がそこまで怒ったのか、本当の意味では分かってなかった。調子に乗ってたかもしれない)
何でもないように明るくも暗くもない、穏やかな口調で他人事のように眠そうに話すロディネに、ネロは衝撃を受けていた。
(それで……そのまま大人になって、公安行って、特務に行って……また囮にされたんだ。それで死にかけて、そのせいで先生が死んで……それからずっとこんな感じ……)
(え……)
(寝る直前にこんな話でごめんな……詳しい話はまた、今度……今日は、色々あったから早く寝な……? 俺も、ねむ……)
爆弾を落として大欠伸したあと、ロディネは本当に眠ってしまった。
(「早く寝な」って……。いや、寝れるわけないよね)
目が覚めてしまったネロは、眠ってしまったロディネに擦り寄る。
ロディネは過去に色々あったということは何となくは分かっていた。
(こんな触りだけでここまで盛り沢山だなんて)
囮にされたって言った。
レオナルドさんも色々関わるって言った。
先生が死んだって言った。
前言ってたノーカン云々ってもしかしたらすごく重いものなのかもしれない。
それでもロディネは公安のしたことに怒ってはいても、公安の仕事は大事で素晴らしいんだって、心から言っている。
気になる。気になるけれど、根掘り葉掘り聞くような事ではない。でも知りたい。
(俺は先生の事、何も知らない)
ロディネがしてくれたように、ネロもロディネの助けになりたい。守りたい。辛い思いはして欲しくない。
ネロはロディネにもっと擦り寄り、ほんの少しだけ抱き締めてみた。とくとくと心臓の音が聴こえる。深く眠ってるみたいで起きる様子はない。
塔の石鹸は優秀で、普通にしていたら人の匂いはほとんど感じないし、特に教務の先生達は気を付けているのか、激しい運動の後ですらほとんど匂いがしない。
けれどこうやってベッドでくっついてると、少しだけ、ほんの少しだけロディネの匂いが分かる。隣を見れば、犬は丸まってロディネのつばめを守るようにお腹で包み込んで眠っている。ネロはそれをぼんやり眺めながら、自分もあんな風に出来たらいいのにと、ロディネの薄い匂いや体温を感じながら、くっついて寝るともなしに眠りに落ちていった。
「――!! 」
翌朝。
ネロは漏らしたような感覚に、明け方目を覚ました。
おねしょか、この年になって嘘だろうとショックを受けながら尻を少し浮かせてシーツを撫でるが、シーツは濡れてはいない。なら濡れた下着だけ変えればいいかなとこそこそと動き始める。
「う……ん? ……ネロどうした。体調でも……」
ごそごそしているとロディネが目を覚ましてしまった。ネロの頭の中はパニックになり、その場で固まってしまう。
「ごめんなさい、おねしょ……した、かも……」
「おねしょ……?」
何とかそう報告すれば、ロディネはネロが寝ていた辺りのシーツを触って、一瞬不思議そうな顔をしたあと、「あぁ……もしかしたら」と呟いた。ネロに分からない何かを察しているロディネはただ黙ってネロの頭を撫で、手を引いてお風呂へ連れていく。
「それは漏らしたわけじゃない。みんな通る道だから、心配するな。下着と拭くものはシャワー浴びてる間に置いておくから」
ん、まさか。
「わあぁぁ先生!!
「もう洗ったって」
その返事にまた混乱したネロは、それが起こったきっかけのことはまだあまり深く考えていなかった、というよりも色んな情報が一気に押し寄せすぎて、そこに結び付いていなかったのだった。
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