第四話 ミケーレ
「ミケーレ!」
いつもよりは多少弾んだ声でその名を呼び、マリアは応接室の扉を開けた。
ミケーレが来た時はいつも僧房近くの、この小さな部屋が宛がわれている。彼が来訪しても、数多ある豪華な応接室に通されることはなかった。
客人扱いをされていなかった――と言って良い。
教会内に於いて、ミケーレは決して好意を持たれているわけではなく、それどころか、この教会の多くの……いや、殆んどの人が、ミケーレの訪問を快く思っていなかった。
先ほどのオルシーニ枢機卿などは、稀有な存在である。ミケーレを認めているのは、彼を含めた異端審問会に属する数人の枢機卿くらいなものだった。
神を崇拝し、神の前の平等を謳う教会の建前上、おくびにも出さないが、『来るな』とさえ思われていた。どちらかと言えば、忌み嫌われていたのである。
それもこれも、彼の素性がそうさせていたのだが……。
もっとも、彼はそんなことは一切意に介さず、ただ
「ミケーレ?」
しかし、室内には誰もおらず、マリアは確認するように、もう一度ゆっくりと室内を見渡した。
やはり誰もいない。彼はすでに帰ったらしい。
落胆の色を隠せないマリアは、四つのソファーの間に置かれているデスク上に、あるものを見つけた。
近くによって見ると、棒状の物と白いバラが一輪。
マリアはバラを手に取ると、顔を寄せた。甘い薫りが鼻腔に満ちた。それから、もう一つの物を取り上げた。
それは日本刀――短刀であった。
「これは……確か日本の?」
黒い革紐を巻きつけて美しく仕上げられた柄を握り、黒い漆塗りの鞘から、反りの少ない片刃の刀身を抜き出した。鍔はなかった。護身用の懐刀のようだ。刃渡りは二十五センチメートルもない。柄と合わせても一尺三寸ちょっと――四十センチメートルぐらいか。
まじまじと短刀を眺め、ほう、とマリアは吐息を漏らした。
波打つ刃紋には、見る人を惹き付ける美しさと力強さがあった。実用的な柄の拵えも含め、飾り気のない質実剛健な造りは、これを選んだミケーレの人柄を窺わせた。
マリアは、鞘に戻した短刀を大事そうに両手で胸に抱えた。
果たして、そこにどんな思いが込められているのか。
それから自室に戻ったマリアは、手早く必要な荷物をトランクに纏め、資料が届くまで三時間ほどの仮眠を取ることにした。
オルシーニ卿の使いの者が部屋へと近付く前に、その足音でマリアは目を覚ました。彼に気付いたのは、マリアの僧房の五つも向こうからだった。マリアは起き上がり、使者が辿り着く前に部屋の戸を開けて、彼を待っていた。
資料を手渡した使者は、
明け方――。
用意された資料を一読して、全てを頭に叩き込んだマリアは、黒い外套とトランク一つを手にヴァチカンを発った。
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