限りなき閑話~カクヨム甲子園2024を振り返って~

藤堂こゆ

はじめに

序:温さと熱さ、そして温かさ。

 六月にカクヨムに入り、しばらくせずにカクヨム甲子園の存在を知った。

 はじめは参加する気はなかった。面白そうではあったがネット上で年齢がバレるのは嫌だと思ったし、受験生だし、ぽっと出の私は右も左もわからなかったからだ。


 だが今思えば当時自分で思っていたよりもずっと、私はカクヨム甲子園に惹かれていたらしい。

 カクヨムを開く度に目に入る「カクヨム甲子園」の文字がやがて当然のように私の頭の中の一角を占領するようになった。


 それでも決心がつかず迷っていたときに、創作合宿の存在を知った。

 お題を与えられ一週間で書いて投稿する――力試しとして魅力的だ。

 あくまでもとして。


 それが私がカクヨム甲子園に出場した理由である。


 その頃、私の世界は閉ざされていたのだ。

 だが実に生温なまぬるい意識であった。と、ほかの高校生のみなさんと交流するうちに思うようになった。


 何ヵ月も前から作品を用意してきた人。

 毎年出場し続けている人。

「作家志望」という意志をしっかりと主張している人。


 本気で、全てを賭けている高校生たち。


 そこに私のような生半可な心で参加している人は見えない。


 半ば遊びのような温い気持ちで出場を決めた私が、彼らと同じ土俵に立っていいのだろうか。立てるのだろうか。

 ライバルたち――ライバルと呼ぶことさえおこがましく思える――の作品を、プロフィールを、近況ノートを、その熱意を、見る度に思ったものだ。


 ……とはいってももちろん四六時中マイナスに悩んでいた訳ではない。

 プラスのことがたくさんあった。


 一万字ほどの『カクタとヨミヤの物語―ボクが書く理由―』を一週間で書き上げたときの達成感は半端なかったし、『海に寄せる詩』を書くのは素晴らしく楽しかった。『雨を降らす傘』のネタに頭をひねるのも良い経験だった。

『各駅停車みらい行き』、この作品は図らずも私の人生の岐路になった。


 それから、同じ高校生作家たちとの触れ合い。これが私に大きな衝撃と刺激を与えた。

 自信を無くしただけでおしまい、ではなかったのだ。


 私は徐々に彼らに感化され、熱を帯びていき、ついに合宿という枠を、そしてマイナスの領域を飛び出した。

 そうして書いたのが『各駅停車みらい行き』だった。


 これこそは紛うことなき私の作品だった。

 たとえ一週間で書き上げたものだとしてもそんなことは関係ない。同じ一週間でも『カクタとヨミヤ』や『雨を降らす傘』とは密度が段違いに違っていた。


 私はプロフィールに「作家志望の18歳」と書いてみた。

 その言葉はなんだか少しくすぐったくて、でもそれはしかつけないのような気がして。


 ふと見渡せば年齢を明かしている人はたくさんいた。

 私はカクヨムがそういう場所なのだと知った。


 開かれた場所なのだと。


 人の手の温かさが感じられる場所なのだと。


――カクヨム甲子園に参加してよかった。

 今、心の底からそう思う。

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