第十五話 ジル・ド・レエ
騎士が見た目から受ける印象通りの重い声を発した。
「いかにも、俺はジル・ド・レエだ。お初にお目にかかる。裏切りの始祖よ」
「初見なのに、えらい言われようだな。ま、いいや。断っとくが、俺は吸血鬼の悉くを滅ぼそう――なんてつもりはないんだぜ? 人間に対しての天敵――そんな存在だと思ってるよ。俺が狩るのは、調子に乗り過ぎた奴らだけさ。〝出る杭は打たれる〟ってね。何事も、やり過ぎってのはよろしくない。お前さんもそうさ」
「狩れるものなら狩ってみろ。だが、俺にはやらねばならないことがある。それまでは、狩られんぞ」
「やること……ねえ。風の噂じゃ、お前さん、あの娘を甦らせたいらしいな。〝怪物〟が甦らせてやる――と約束でもしたか?」
「左様。彼女に再び会えるのならば、俺は如何なることでもしよう」
「百年戦争の〝救国の英雄〟が、戦友にそこまで惚れたか。しかしなあ、〝怪物〟をそんなに信用していいのか?」
「言うな。俺には彼奴を信じるしかないのだ」
先ほどまでは真剣な口調であったが、今の台詞はどうやら、冑の中で苦笑しているらしい。自分でも〝怪物〟の信憑性を疑っているのだろう。
会話を交わす中でも、二合、三合と打ち合うものの、手練れの二人にとっては、牽制ほどの効果もない。やがて、黒騎士ジル・ド・レエは右八双――右足を引き、右脇に刀身を立てて構えた。ミケーレは変わらず、正眼の構え。隙あらば、両者とも一切の手加減なしに、必殺の一撃を繰り出すだろう。
「まったく……。その気持ちは分からんでもないがね。また、えらく好かれたもんだな。〝ジャンヌ・ダルク〟って少女はよ」
睨み合いの中、ミケーレは黒騎士の言葉に嘆息しながら、そう言った。
ジル・ド・レエ――彼は十五世紀初~中期のフランスの男爵であり、イングランドとフランス間で起こった百年戦争を終わらせるきっかけとなったオルレアン包囲戦に於いて、聖女と称されたジャンヌ・ダルクに協力し、〝救国の英雄〟と讃えられた。
ところが、後にジャンヌがイングランド側に囚われ、異端と見なされて火炙りとなったことを機に精神を病んだ――という。自らの領地に於いて悪行の限りを尽くし、ついには捕縛・処刑された人物である。
その悪行の数々によって、童話の『青髭』のモデルになった――とも言われている。
しかし、処刑されたのは影武者だったのか、それとも、すでに吸血鬼となって不死を得ていたのか。
錬金術に耽溺し、その成果を得るために多くの領民を虐殺したとも言われるが、それもジャンヌの復活を目論んでのことか、永遠の命を得るためか。あるいは、吸血鬼となるためだったのかも知れない。
「しかしなあ……。あの娘がそれを望んでいるのかねえ」
「分かっている。たとえ彼女に憎まれようと、恨まれようと、俺はジャンヌを復活させたいのだ」
「俺たちと同じ、吸血鬼として――か?」
「出来ることなら、ただの人間として――だ。俺は彼女に、〝聖女〟などではなく、普通に生きて欲しいのだ。だが、それが叶わぬならば、たとえ吸血鬼だろうと構わぬ」
どうやら、このジル・ド・レエは、かつて、秘かに愛したジャンヌ・ダルクの復活を望んでいるらしい。そして、それはどのような方法でも、どのような形で結実しても良いのだろう。
たとえ、愛する女性が吸血鬼となって甦ろうとも――。
この吸血鬼は、ただ、生きて欲しいと言う。ただ、生きていれば、それだけでいい――と。
〝愛されたい〟――などと、大それたことはいらない、というのだ。
「で? 〝怪物〟にあの娘を甦らせる力があるのかい?」
「そう言った」
「それを信じた――と? 〝キリストの肝臓〟にゃ、そんな力はないだろうに。そもそも、ありゃあ紛い物だろ」
「可能性があるならば、それに賭けるだけだ」
「融通が利かん奴だなあ。この分からず屋め」
そう言いながらミケーレは、そろそろマリアと落ち合う約束の時刻だと考えていた。マリアが来れば、この膠着状態も少なからず、動くだろう。
そんな思惑をなぞるように、高速で飛来する物があった。それをジル・ド・レエが剣で弾き返した。その瞬間にミケーレが間合いを詰める。
「ふっ!」
面を打つ、上段からの一撃。ただし、これは牽制であった。だが、ジル・ド・レエは後退して躱すしかなかった。飛来物を弾くために、大きな隙が出来てしまったためである。大振りな剣故に、どうしてもテンポが遅れがちになる。後退し、安全な間合いを取り直したジル・ド・レエは、路地裏の入口を見やった。
そこに立った人影を。
「来たか。さすがに時間通りだな」
ミケーレが微笑を浮かべ、呟くように言った。
そこにはマリアが立っていた。美しい金の髪を僅かな風に揺らし、右手には長剣を抜いていた。左手は何かを投げた後、元のように、自然に垂らしている。先ほどの飛来物は、マリアの放った投げナイフであった。マリアを認めたジル・ド・レエが、
「教会の異端審問会の者か?」
と、問いかけた。
「そうよ。そう言うあなたはジル・ド・レエね。貴方、五百年も前から手配されてるわよ」
「貴様に俺が狩れるか?」
「そうね。やってみましょう」
可愛らしく右に軽く首を傾げ、何気ない風に答えてから、マリアは無造作に近づいていく。歩きながら、左手にも剣を抜いた。二刀流がマリアのスタイルらしかった。見れば、マリアの両手の剣は柄が短い。両手で持てば拳の間に隙間を作れず、両の拳をくっ付ける持ち方しか出来まい。それでは力の効率も操作性も悪くなり、両手持ちのメリットがない。やはり、片手でしか持てない長さなのである。
三メートルの距離を置いて、二人は対峙した。
先に動いたのは黒騎士ジル・ド・レエ。
大剣を上段から、真っ向に振り降ろしてきた。狙うは膂力任せの威力による一撃必殺か。しかし、マリアはひらりと躱す。風に舞う羽毛を掴むのは難しいが、それと同様に、豪剣の生み出す風圧に身体を押されたかの如くに、ふわりと躱して見せた。
ズン――!!
アスファルトの地面にめり込んだ大剣を、ジル・ド・レエはそのまま、横殴りにぶん回した。アスファルトの破片を飛ばしながら迫る剣を、マリアは身体ごと、棒高跳びの背面跳びのように、くるりと飛び越えて躱した。ジル・ド・レエはもう一度、大剣を大きく振りかぶり、またも真っ向から斬りつけてくる。
マリアは右手の長剣を、柄頭が上に来るようにして刃を斜め下にし、頭部から左肩までを刃で護る形で受け、そのまま擦り落とす。そして、がらんどうになった胴を左手の短剣で打った。ジル・ド・レエは胴を打たれる寸前、左腕でガードした。腕宛には、剣筋――剣の軌道を変えるための剣受けが付いている。それで防ごうというのだ。
ところが、当てる間際にマリアは左の剣を引き、大剣を擦り落とし終わった右手の剣を素早く斬り返して、裏側からジル・ド・レエの左腕を斬り飛ばした。
洋の東西を問わず、甲冑という物は着用する構造上の都合から、裏側の防御は手薄になっている。関節も、曲がる方向はどうしても装甲が薄くなるか、付けることすら出来ない。マリアはそこを狙ったのである。
切断された肘からは多量の血が噴出した。だが、しばらくすると出血量は減り、治まってきた。まだ滴ってはいたが、先ほどではない。これも吸血鬼の不死性故か。
「ぬう……」
左腕を肘から斬り飛ばされ、ジル・ド・レエは低く呻いた。けして侮っていたわけではないが、想像以上にこの異端審問会の女は手練れであった。感心する間も有らばこそ、視界の端からミケーレが踏み込んできた。ジル・ド・レエには大きく跳び退がるしか、術はなかった。
「どう?」
マリアが、じり……と間合いを詰める。ジル・ド・レエは分が悪いと認めざるを得なかった。マリアだけでなく、ミケーレもいるのだ。一対二である。この二人、どちらも一言も、『一対一で勝負する』とは言っていない。
「……やるな。ここは退くとしよう」
そう言って、ジル・ド・レエは後退し、闇に溶け込んだ。左腕を回収したかったが、状況が許さなかった。マリアが素早く、投げナイフを投擲した。金属音が鳴り、弾き飛ばされたナイフは再び、マリアの手に戻った。ジル・ド・レエが正確にマリアの手元に戻るように、弾き返したのだ。投げナイフを掴んだ時にはすでに、黒騎士ジル・ド・レエの気配はなかった。
「逃がしちゃったわね」
と、マリアが言った。意外なことに、悔しげではなかった。
「まあ、これを戦果としておこうか」
と、ミケーレが落ちていたジル・ド・レエの左腕を刀で突き刺し、持ち上げた。途端に、さらさらとした塵が零れ落ちた。見る間に、腕の体積分の塵が積もり、残ったのは空になった手甲だけだった。
「さすがに五百年も経っちまうとボロボロだな。何にも残りゃしない」
刀を
ミケーレは納刀しつつ、マリアを見やり、
「やけにサバサバしてるな」
と、訊いた。マリアも剣を収めながら、
「そう?」
「うん。そうさな……。どこか、吹っ切れた感じだ。いい意味でな。何かあったか?」
「沙月が来てね。話をしただけよ」
と、言った。
「沙月と?」
「そ。あの娘なりに、気を遣ってくれたみたい」
「ふうん……。ま、女二人、積もる話でもあったか」
「そうよ。女同士、色々とね」
優しく微笑むマリアを見て、ミケーレも口元が緩むのを感じた。
「あの娘ね……」
「うん?」
やや躊躇った後、一拍の間をおいて、マリアが続けた。
「ミケーレのことが好きみたいよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます