第十九話 一つの結末
リキがヴォルテッラに戻って三ヶ月が過ぎた。その間、陽菜からの便りもなく、またアンジェラからも何も言ってこなかった。
その後、さらに一ケ月が過ぎた頃に、王都の館経由でようやく来た便りはアンジェラからで、王都に顔を出せ――と言うものであった。
「うん……? 意味が分からん」
「何がです?」
「いや、手紙の内容がな……」
「は?」
クレアの問い掛けにも生返事で、リキは手紙を矯めつ眇めつ眺めていたが、お手上げだと言わんばかりに、卓上に放り投げた。椅子の背もたれに深く体を埋めて、天井を見上げた。
ここ最近のリキには、王都まで呼び出される心当たりがなかったからだ。理由が書いてあればよいものを、ただ『来い』――では行き難い。王都まで行くには、やはり幾人かの供を連れて行くことになる。となると、それなりに費用が掛かるのだ。
おまけに、今回もアンジェラの筆ではなかった。放り出された手紙をクレアが手に取った。
「拝見しても?」
「どうぞ。また、ユリウス卿……か。独断かな?」
「だとしたら、何のためでしょう?」
「それだ。そこが分からない」
前回の書状で覚えた癖のある字を眺めながら、どこまでがアンジェラの意思なのか、それともユリウス卿の謀か――。
リキは測りかねていた。これには、きな臭いものを感じる。とは言え、連絡の一つもなく、どうしているのか分からない陽菜のことも気掛かりだ。
「行くしかないか……」
やれやれ――とリキは部屋の窓から覗く、晴れ渡った空を見やった。こんなにいい天気なのに、気分としては憂鬱だった。
ユリウス卿の掌の上で踊らされているようで気に食わないが、アンジェラの名で送られてきた書状による命令である以上、さすがに『行かない』という選択肢はなかったのである。
「まったく、妙な雲行きだよ。先が見えなくなった」
「先……ですか?」
「うん。まあ、行ってみるしかないね。少人数、二十人ほどなら、準備はどれくらい掛かるかな?」
「それでしたら、明日にでも」
「じゃあ、明日で」
「畏まりました」
「よろしく頼む」
「はい」
いつものように、クレアは笑顔で答えた。リキの頼みに、不平一つ言わずにクレアは働いてくれる。リキはいつも、この笑顔に救われる気持ちになった。
「クレアには、いくら感謝しても、し足りないくらいだな」
「そ、そんな、滅相もありません。それでは、失礼いたします」
と、照れた顔を隠すように一礼して、部屋を出て行った。
「お、おお……」
リキはその後ろ姿を、ただ見送るばかりであった。
翌日、リキはクレア、側近のジョルジョを始めとして、護衛も含めた供回りの者二十名ほどを引き連れて、王都に向けて出発した。リキやクレアの心中とは裏腹に、昨日と同じく、高い空は晴れやかであった。
六日を要して王都到着後、リキはまず自分の館に入った。館付きの者に聞けば、陽菜はやはり王城に入ったきりで、一度もこちらには戻っていないと言う。
「さて……、どうしたものかな。王城から届けられた書状は、あれ一度きり?」
「はい。左様でございます」
「そうか……。うん、分かった。ありがとう」
リキは彼に礼を言い、滞在は一週間を予定していると告げた。彼は、
「畏まりました」
と言って一礼し、部屋を出て行った。食料や寝具などの手配のためであろう。リキは窓から見える王城を眺め、
「やれやれ。どうも、何かおかしい」
と、呟いた。傍では、クレアが心配そうにリキを見詰めていた。
「陽菜様は大丈夫でしょうか?」
「さあ、どうだろうな。何はともあれ、明日、城に行けば分かるさ」
クレアの問いにリキは笑って見せた。クレアを安心させようとしたようだが、それでもクレアの顔が晴れないので、リキは続けて言った。
「今は、これ以上心配しても、何も出来ないからね。後は明日だ」
「はい」
翌日、改めて王城に登城したリキは、陽菜に充てがわれている部屋へと向かった。クレアとジョルジョの二人が、補佐と護衛を兼ねてリキに同行した。
陽菜の部屋の扉を叩き、
「陽菜。いるか?」
と、リキは中にいるはずの陽菜を呼んだ。ところが、何度か扉を叩くも反応はない。それどころか、人が居るような気配もない。
「? おかしいな」
リキは同行者二人と目配せをした。それから、そっとノブを回して扉を押してみた。扉は重々しく、しかし、音も立てずに内側に三十センチメートルほどの隙間を
「いないのか? 陽菜」
隙間から身体を滑り込ませたリキが呼び掛けるも、返事はない。脱ぎっ放しの服や、食べ終わった食器などが散らかったままの部屋を見渡し、陽菜の姿を求めていたリキは、ぼそぼそと呟く小さな声を聞き止めた。
いや、違う。
ぶつぶつと独り言のように、何かを呟き続けているのだ。その声は、リキの立っている位置からでは、大きな背もたれに隠れて見えない椅子の向こうから聞こえてくる。
「陽菜?」
リキは正面から見るために、椅子を回り込んだ。陽菜は椅子に丸まって座っており、シーツを頭から被っていた。そこから見える顔は、頬がこそげ、見開いた目がやけに大きく見えた。
僅か数ヶ月で、こうも変わるものか――と、リキは思った。同時に、アンジェラを始めとしたここの者たちは誰も不審に思わなかったのだろうか――とも思った。
出会った人が見れば、誰もが、このやつれ方は異常に思えるだろうし、長く引き篭もっていたのならば、それはそれで、おかしいと思うものだろう。
何があった――?
何が起こっている――?
「陽菜?」
リキはもう一度、問い掛けた。どこを見ていたのか分からなかった視線を上げ、陽菜はリキを見た。虚ろな目は、焦点が未だに合っていない。
「……。リキ……さん……?」
「ああ」
のろのろと陽菜は立ち上がった。
リキに触れようとしているのか、左手を前に突き出した。右手は頭から羽織った状態のシーツに隠れたままだった。そして、陽菜はそのまま、リキに身体を
「!! ……⁉」
ドッ、と陽菜の身体の重みを感じた刹那、リキは左の脇腹に鋭い痛みを感じた。見れば、陽菜の右拳にはナイフが握られており、その切先がリキの脇腹を
少しずつ、ナイフが抜けてくる。単純な力勝負では、リキに分があった。
「何故だ?」
リキはかつて、陽菜が遠征の同行したいと申し出た時のように、その動機を陽菜に問うた。
「だって……リキさん、帰り方、隠してるでしょう?」
「何……?」
「リキさんは知ってる――って……。独り占めにしてる――って……」
「そんなこと、誰が言った?」
「アンジェラさんが聞いた――って……」
アンジェラが? まさか――。
確かに、俺が異世界から来たことを知っているのは、ほんの僅かの者たちだけだが……。まさか、アンジェラがそんなことを?
「ユリウスさんが、言ってた……」
ユリウス? また、あいつか――。
あいつが、陽菜に出鱈目を吹き込んだのか? いや……。あいつの立場なら、或いはアンジェラから聞いたことがあるかも知れないが……。
「俺は〝帰り方〟なんて知らんよ」
「嘘よっ!!」
「知ってたら、陽菜には教えてるさ」
「嘘っ!!」
「陽菜……」
ここまで、追い詰められていたのか――。
気付いてやれなくて、すまん――。
リキは、陽菜を慮った。
「あたしはっ!! 日本に帰りたいのよっ!!」
そう叫んで激高した陽菜が、腕に力を籠める。リキもナイフが動かないように、押し返す。そうして揉み合っているうちに、蹴飛ばした足元の食器が大きな音を立てた。
陽菜の大きな喚き声と食器の音に、部屋の中を覗いたクレアとジョルジョが異変に気付き、駆け寄ってきた。ジョルジョは主君を護ろうと、すでに抜刀していた。
「待っ……」
リキがジョルジョの接近に気付いた時にはもう、ジョルジョは陽菜に斬り掛かっていた。護衛役としてのジョルジョの腕前は確かだった。声も上げずに床に崩れ落ちた陽菜は、もう息をしていなかった。
「申し訳ありません。リキ様をお護りするために、陽菜様を……」
「いや、ジョルジョは職責を果たしただけだ。さっきのは、仕方ない」
「……はい」
「リキ様っ!!」
クレアが心配そうにリキに駆け寄った。リキがよろめいたからだ。大丈夫だ――と手を上げるリキに、クレアは肩を貸した。
「すまんな」
「いえ。それより、傷の手当てを……」
「手当ては後でいい。今はここを出るのが先だ。どうも、ユリウス卿が関与してるらしい。難癖を付けられる前にヴォルテッラに帰ろう。グズグズしてると、王宮で刃傷沙汰を犯した罪でしょっ引かれるぞ」
「分かりました」
クレアに支えられながら、リキは部屋を出た。その際もう一度、陽菜の亡き
リキたちは館へと戻ると、クレアが人を遣って医者を呼び、リキは刺傷の治療を受けた。一通りの治療を受けると、安静が必要との診断を受けたリキのために馬車を用意して、一行は逃げるようにヴォルテッラへと向かった。
帰路の途中でリキは、馬車から見える景色を眺めながら、同乗したクレアに、ポツリと語り出した。
「以前、陽菜が来たばかりの頃、色々と話をしたろ? 覚えてるかい?」
「はい。お二人の世界についてのお話でした」
「あの時、〝神隠し〟で例えた話をしたけど、陽菜に遠慮して言わなかったんだがな」
「はい」
「〝神隠し〟に遭って、帰って来たって話は数えるほどで、ほとんどないんだ」
「それはつまり……」
「うん。俺は、もう帰れない――と思ってたんだ。大抵は、滑り込んだ世界で死んでいくんだと思う。寿命だったり、今回のように適応出来なかったり――ね」
「……」
「まあ、こんなこともあるさ」
そう言って、リキは黙り込んだ。クレアも何も言わなかった。外の景色だけが流れては消えていった。
翌朝、ユリウス卿より、リキ捕縛の命を受けた憲兵隊が館を訪れた時には、すでにリキたちの姿はなく、憲兵隊の出動は徒労に終わった――。
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