第十七話 望郷
「陽菜の様子がおかしい?」
リキの問いにクレアが、
「はい」
と、簡潔に答えた。リキは少し間を置いた後、もう一度確認した。
「どう、おかしい?」
「それが……物思いに耽っておられることが多くなりました。そのような時は、問い掛けても直ぐに反応なさいません」
「ぼぉ~、としてる……と?」
「はい」
クレアの返事に、リキは思案顔でいたが、
「ホームシックかも知れんな」
「ホームシック?」
「うん。自分の家に帰りたい――と思ってるんだろう」
「自分の家ですか?」
「自分の家、元の世界さ。こんな世界は、自分の住む世界じゃない――って感じかな」
「こんな世界……ですか」
クレアが暗い声で言った。ここが陽菜のいた世界とは違う――と理解はしていても、自分の生きている世界を否定されれば、何となく嫌な気持ちにもなる。
「いつもの生活、いつもの楽しみ、友人との他愛のない会話。自分の世界にはあった色々なモノが、ここには何一つ無いんだ。まあ、まだ十七歳……いや、もう十八か? どっちにしても、まだ若いからね。自分ではどうにもならないようなこと、理不尽な事象に対して、どう受け止めていいのかが、分からないんだろ。それで、何もかもが不安なんだと思う」
と、リキは陽菜の心情を量って、クレアにそう言った。それから、
「う~ん……。どうしたもんかな」
と腕を組んで、そのまま考え込んだ。
そして翌日、陽菜を執務室に呼んで、こう切り出した。
「陽菜。しばらく、王都で暮らしてみるか?」
「えっ……?」
「王都だよ。最初に住んだ館だ。ここよりは賑やかだし、少しは気が晴れるかも知れない。どうだ?」
「でも……」
「まあ、気分転換だと思ってくれたらいい。何なら、陛下にも会わせるが……」
「陛下に?」
「うん。以前に、陽菜のことを話したことがあってな。そうしたら、『会ってみたい』なんて言ってたからな。まあ、こっちはオマケだと思ってくれ」
「陛下をオマケ……って」
リキの言い回しが可笑しかったのか、陽菜がころころと笑った。陽菜はふと、リキが微笑んでいることに気が付いた。
「どうしたんですか?」
「ん?」
「リキさん、笑ってますよ」
「ああ、いや。陽菜がそんなに笑うのを、久しぶりに見た気がしてな。微笑ましかったんだ」
「えっ……あっ……」
久々に笑ったことをリキに指摘されて、陽菜は顔を赤らめた。
「最近、笑ってなかっただろ?」
「はい……」
「忙しさにかまけて、気に掛けてやれなかったな。すまん」
そう言って、リキは陽菜に深々と頭を垂れて謝った。陽菜は両手を振って、
「えっ、いやいやいや! そんな、謝らないでください。リキさんが悪いわけじゃないんですから……」
そう言って、リキが謝ることではない――と慌てて否定した。しかし、リキはさらに神妙な顔付きで言った。
「いや、陽菜に二年も無為に過ごさせてしまった」
「あ……」
これまで奥底にしまい込もうとしていた気持ちをリキに指摘され、陽菜は顔をぐしゃぐしゃにして泣き崩れた。
多分、もう帰れないのだろう――と思わない日はなかった。
日本に帰りたい――そう思わない日はなかった。
このまま、この世界で死んでいくのか――と不安に押し潰されそうになった。
「すまなかった」
リキの声を聞きながら、陽菜は溢れる涙を拭いもせず、泣き続けた。リキはそれ以上何も言わなかった。以前に自分で語っていたように、リキは気休め程度のことも言わなければ、気の利いたことを言うでもなく、ただ黙って陽菜を見守り続けるだけだった。
やがて――。
胸の内をすべて吐き出すように泣き続けた陽菜もようやく落ち着いたのか、泣き止んだ。
「落ち着いたか?」
「……はい」
「さっきの話の続きなんだがな。早速で悪いが、明後日に王都に行く用事があるんだ。陽菜がしばらく、あちらに移るのなら、用意をしていて欲しいんだ」
「あ、はい。分かりました」
「まあ、あちらで少しは気が紛れるといいな」
「はい……」
無理に笑顔を作ろうとする陽菜を見やって、リキは言った。
「まあ、気負い過ぎずにな。無理せず、ぼちぼちやっていけばいい」
「はい」
陽菜が、先ほどよりは自然に笑って、頷いた。
二日後、リキは陽菜やクレアらを伴って王都に向かった。ヴォルテッラから王都までは六日の行程で、到着後、リキは各々に指示を出し、それから陽菜を連れて、登城した。後で何人かの友人に会う用があるリキは、先に陽菜とともに国王の自室を訪れた。自領を発つ前に使者を走らせ、陽菜を連れて行くことは知らせてある。侍従はリキたちを認めると、扉を開いて入室を促した。
部屋に入るとアンジェラが、笑顔で迎えた。
「おお、よく来た」
リキは頭を恭しく垂れ、
「陛下におわせられましては……」
と挨拶をし掛かったところへ、アンジェラが止めに入った。
「よいよい。硬い挨拶は抜きだ。分かっててやってるだろう」
「分かるか?」
「分からいでか。まあ、よい。それで、その娘が陽菜だな?」
「ああ。陽菜、こちらにおわす御方が、アンジェ……どちらがいい?」
と、リキはアンジェラに問うた。アンジェラも意を酌んで頷き、
「アンジェラでいい。隠す必要もなかろう」
と告げた。そこで、リキは改まって、
「こちらが、アンジェラ陛下だ」
そう、陽菜に紹介した。陽菜はまじまじとアンジェラの顔を見詰め、
「アンジェラ陛下……って、女性……ですか?」
と問い掛けた。アンジェラは、にこりと笑い、言った。
「うむ。表立ってはアンジェロ陛下で通している。男性の方が何かと都合が良くてな」
「陽菜。この国はまだ、男尊女卑の傾向が強くてな。国王が女では、言うことを聞かん輩が多いんだ。それで、〝アンジェロ陛下〟――なんだ」
「そんなこと、あたしに教えていいんですか?」
「敢えて、触れて回ってるわけではないが、機密事項……というほどの事でもない。構わんぞ」
陽菜とアンジェラのそんなやり取りを微笑ましく眺めていたリキは、
「それでは、アンジェラ。俺はこれで。後は年頃の女性同士、よろしくやってくれ」
「何だ、リキ。もう行くのか?」
「他に用があるんだよ。二人の方が話しやすいこともあるだろうから、無粋な男は退散するよ」
「そうか。では、またな。リキ」
「ああ、またな。陽菜も」
「はい。リキさん、気を付けてくださいね」
「ありがとう。じゃあ、な」
リキはアンジェラの部屋を出て、待機していた侍従たちに挨拶をすると、長い廊下を歩きだした。すぐに、ある男と擦れ違った。国王側近のユリウス・ディ・コロナスであった。ユリウスはアンジェラの血縁であり、寵臣でもあった。
褐色の髪と瞳をした、優雅ではあるが少し頼りない優男で、家系を鼻にかけている節があった。
しかし、この男は明らかに、リキを疎んじていた。擦れ違った僅かな時も、蔑んだ目で頭を垂れるリキを睨んでいた。王弟ジュリアーノと年も近く、二人揃って、リキを疎ましく思っているのは、アンジェラと親交があるリキを、彼女を彼らから奪った相手――として認識しているからだった。アンジェラはジュリアーノだけでなく、彼にとっても憧れの存在だったというわけだ。
アンジェラの室に入っていったユリウスを、リキは漠然とした不安を伴って、見送った。
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