第二話 出会い
「やっ……」
「ひひっ、大人しくしろ!!」
後ろから押さえ付けられた陽菜は、恐怖に身が竦みながらも、必死になって抵抗を試みたが、男の力には敵わず、組み伏せられた。
「久々に見た女だ。兄貴ぃ!! 俺ぁ、我慢出来ねえ……」
「うるせえ。女ぁ、売るんだ。手ぇ、出すな」
「いいじゃねえか、兄貴。売る前にちょっとだけ……」
そう言いながら、ヤコポが顔を寄せてくる。吐く息は嫌悪を抱くほどに臭かった。このままでは、二人に犯されかねない。だが、そんなのはまっぴらだった。
「何度も言わせんな。手ぇ、出すんじゃねえ」
兄貴分の言葉に少しだけ安堵しそうになったが、よくよく考えれば、兄貴分の男は陽菜を『売る』と言っているのだ。どちらにしても最悪な未来しか待っていないことに、改めて気付いた。
誰か、助けて――。
陽菜は藁にも縋る思いで、僅かほどにも有り得ない可能性に祈った。
「ダメだ、兄貴……。俺ぁ……!!」
ヤコポの手が陽菜のパジャマを引き剥がそうとした。
「やめっ……!」
やめて――と言ったところでやめるはずもないが、それでも言葉が口をついて出た。
「しょうがねえなぁ……。傷つけんなよ、ヤコポ」
兄貴分が諦めたようにそう言った。その言葉を聞いて陽菜は血の気が引いていくのを感じた。
あたしは犯されるんだ――。
目の前が真っ暗になった気さえした。
だから――。
ヤコポの身体が力なく倒れ掛かってくるまで、駆ける馬の足音も聞こえなかったのだ。
「やああああっ……!!」
犯されまい――と必死の抵抗を試みていた陽菜は、ヤコポの身体が誰かに引き起こされるまで、何が起きたのか、全く分からなかった。貞操の危機に、目を閉じて精一杯に足掻いていたのだから、それも仕方がなかった。
ようやく目を見開いた陽菜は、ヤコポだった者の首がないことも、その断面から血が噴き出していることも、兄貴と呼ばれていた男が同じように首を失って倒れていることも、すぐには理解出来なかったのだ。
「おい、大丈夫か?」
「え……?」
初めて見る新たな男が自分を見下ろしていることに、陽菜はやっと気が付いた。男は籠手を嵌めた手を差し出した。
「起きられるか?」
と、問うてきた。先ほどの二人と違って、落ち着いた雰囲気の優しい声だった。
「え……」
陽菜はまだ事情が呑み込めないといった面持ちで男を見ていた。男は苦笑を浮かべ、
「ほれ」
と、改めて差し出した手を強調した。
「あ……はい」
陽菜はようやく男の手を握り返し、男に引き起こされて、起き上がった。
陽菜を襲った二人の重厚な物とは異なり、その男の甲冑はもっと軽装で、どこか日本の戦国時代のような品だった。
男は右手に血に塗れた剣を握っていたが、雰囲気に危険なものはなかった。剣が血に塗れているのは、陽菜を助けるために使われた物だからだ――ということぐらいは陽菜にも理解出来たが、その剣が反りのある日本刀のような造りだとまでは気付かなかった――。
男は陽菜をまじまじと見つめ、
「血、付いちまったな」
と陽菜に教えるように、自分の左頬を指差した。そこも――と陽菜の左肩から胸までも同様に指で差し示した。
「えっ……あっ……」
陽菜は慌てて頬を拭ったが、左手の甲に付いた血を見て腰が抜け、地面にペタリと座り込んでしまった。男は、
「すまん。余計に驚かせちまったか」
と右手の剣を鞘に戻してから、また手を差し出して、陽菜を引き起こした。陽菜も立ち上がろうとしたが、やはり足腰に力が入らなかった。先ほど男たちに襲われたこと。それから、その二人の首なしの死体を思い起こしたからである。
男は陽菜を支えたまま、どうしようか――としばらく何かに迷っていたようだが、やがて、こう問いかけてきた。
「なあ、お嬢さん。その……な。さっきから気になってたんだがな。その服、パジャマだよな?」
「え……、あ、はい。……?」
「そのパジャマのボタン、スナップボタンだよな?」
「そう……ですけど」
「そんなスナップボタンはこの国にはないんだ。お嬢さんは、どこから来たんだい?」
「えっ……?」
どういう意味かと陽菜が問い直す間もなく、男が続けた。
「お嬢さんは、もっと先の〝時代〟から来たのかい?」
「えっ……それはどういう……あっ!」
問い直そうとした陽菜は、そこでようやく、男が東洋系の顔付きをしていることに気付いた。
「あなたは……」
「うん。俺は日本人だ。お嬢さんは?」
「あ、あたしも日本人ですっ」
陽菜は同じ日本人に出会えた安堵感からか、勢い良く、そう言った。
「やっぱりそうか。俺は、
男は高階力と名乗り、右手を差し出した。陽菜は慌てて差し出された手を握り返しながら、
「あ、あたしは、
と、名前を告げた。それから、知りたかったことを聞いてみた。
「あ、え……と、高階さんは……」
「ここじゃあ、〝リキ〟で通ってる。〝高階さん〟はやめてくれ。今さら、そんな呼ばれ方はこそばゆくなる」
「あ、はい。じゃあ、リキさん……」
「……まあ、それでいい。慣れたら、呼び捨てでもいいよ」
「は、はい。ありがとうございます。それで、リキ……さん。ここは……どこなんです?」
年上の男の人を下の名前で呼ぶのには慣れていないし、ましてや、呼び捨てなんて無理だった。ぎこちなく名を呼ぶ陽菜を見て、リキは苦笑を浮かべた。
「ああ、すまん。微笑ましくてな。つい……な。ああ、いや、ここのことだったな」
リキは口元に手を当て、コホン、とひとつ咳払いをしてから言った。
「ここはコロナスという国だ。時代としては、中世のヨーロッパのようだが、はっきりしない。生態系や文化なんかも〝地球〟のようだが、だからと言って、ここが〝地球〟であるかどうかの確証は何もない。ついでに言えば、俺がこの地に来てから四年ほど経つが、俺以外の現代人に出会ったこともなければ、現代に帰れそうな事象もなかった。つまり、君が期待しているような情報は何もない――ってことだ」
「あ……」
リキはおよそ、陽菜が聞きたいであろうことをすべて述べて、陽菜の反応を窺った。リキの見守る前で、陽菜は体中の力が抜けていくような気がした。
「残念だったな」
当然のことながら、彼のせいではないのだが、〝済まない〟――と言わんばかりの表情でリキが言った。陽菜はもう一度へたり込んだ。
これから、どうしたらいいのか――。
惑う陽菜を気遣ってかどうか、リキが後ろから脇の下に手をやって、陽菜を立たせ、優しく声をかけた。
「さて、お嬢さん。行く当てがないのなら、とりあえず城に来るか?」
「え……!?」
「この国の〝王様〟の城だ」
「お城?」
「そう、城だ。俺も今、そこに住んでるんだ。お嬢さん一人ぐらい、いても構わない」
「え……。でも……」
「ん? ああ、〝二人で暮らそう〟と言ってるわけじゃない。他にも人はいるから安心していい」
「え、あ、いえ、そんな……」
「はっはっはっ、やっぱりそう受け取ったか。いや、すまんすまん。俺は言葉足らずなところがあってな。いや、これは俺の説明が足りなかった」
と、リキは豪快に笑いながら、そう言った。
「それで、どうする? お嬢さん」
「お嬢さんはやめてください」
「これは失礼。じゃあ、陽菜ちゃん」
「あたしも〝陽菜〟でいいです。〝ちゃん〟もやめてください」
「重ね重ね失礼。で、どうする? 陽菜」
「リキさんがご迷惑でなければ……」
「じゃ、決まりだ。それじゃあ、こっちに来てくれ」
と、リキは陽菜を呼び、先ほどから放っておいた馬に近付いて行った。陽菜も後に続いた。
リキは手綱を持って、陽菜が来るまで待ち、それから馬の跨り方の説明しながら、鐙に足を掛けさせて、馬に乗せた。その際、腰――というか、お尻を押し上げたが、それぐらいは止むを得ない。初めての騎乗とは、大抵はそういうものだ。陽菜がバランスを崩した――ということもある。支えなければ、落ちるところだったのだ。
陽菜を馬に乗せたところで、
「リキ様っ!!」
と、リキを呼ぶ声が聞こえた。リキと陽菜が振り返ると、数奇の騎馬が駆けてくる。先頭の騎馬が手を振っていた。近くまで来た騎馬は五騎。
「リキ様っ!! ここにおいででしたか」
先頭の騎馬は近くまで来ると、冑の
「リキ様、単騎で行動なされては困ります。まだ、戦いは終わったばかりです。どこに敗残兵が残っておるやも知れず……」
「心配させたか。すまん、クレア」
クレアと呼ばれた女性は、二十歳前後か。冑の淵から零れる金髪といい、柔らかな表情といい、女の陽菜でもやっかみたくなる美しさであった。そのくせに嫌味がないのが、余計に妬みたくなる。
「いえ、リキ様が謝られることでは……」
「いや、クレアには、いつも心配ばかりかけさせてるからな」
と、リキは素直に頭を垂れて、クレアに謝った。
「あ、いえ、そんなことは……。ところで、リキ様……?」
「うん?」
「こちらのお方は……?」
クレアが見つめる方向を追ったリキが、ああ、と頷き、
「この子は、陽菜だ。さっき、残党どもに襲われてたのを救った。俺と同じ国の出でな。知らないうちに、コロナスに迷い込んだんだそうだ」
と、陽菜を紹介した。
「そうでしたか。初めまして、陽菜様。私はリキ様の副官を務めておりますクレアと申します。以後、お見知り置きを」
そう言って、恭しく頭を下げた。
「あ……、こっ、こちらこそよろしくお願いします。陽菜、結城陽菜です!」
それまでクレアに見とれていた陽菜は、慌てて挨拶を返した。
「それで、行く当てがないと言うのでな。とりあえず、城に連れて行くことにした」
「はい、かしこまりました。では、その様に手配いたします」
「頼む」
「はい。それでは」
と、クレアは後ろの騎士に何か話し、一騎が駆け戻っていった。リキは銜付近の手綱を引いて歩き出した。リキを護衛するため、クレア以下、四騎が供をして歩き出した。それを見た敗残兵を狩っていた他の騎馬や歩兵たちが次々に合流し、リキも配下が新たに連れて来た
やがて数百にまで膨れたリキの軍はコロナス王の城を指して、帰途に就いた。
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