第36話 ちょっと抜けてる私を……久我君は助けてくれる?


「おかえり」


「あ……」


 放課後から一時間半ほど経ち、日が落ちかけてきた夕方。

 自宅マンションの廊下で待ち伏せていた俺は、買い物袋を抱えた制服姿の星ノ瀬さんを迎えた。


「……大変な役を引き受けちゃったな」


「あ、あはは……久我君から見れば呆れたわよね」


 気恥ずかしげに頬を指でかきながら、星ノ瀬さんはぎこちない笑みを浮かべた。

 俺たちが話しているのは、もちろん今日決まってしまった調理実技テストのリーダーのことだった。


「いい格好をしてあんなことを引き受けて、我ながら無謀よね。料理がダメダメな私が、実技テストの献立を考えたり皆に調理指導するなんて」


「星ノ瀬さんが料理苦手って誰も知らなかったのか? 一年生でも家庭学はあったんだから、その時のクラスメイトにはバレてるだろ」


「一年の頃は……凄く料理が上手な人が何人もいて、私は全然目立たなかったの。実技テストの時も無難なお手伝いだけで……」


 なるほど、今まで家事ベタが周囲にバレてなかったのはそういうラッキーがあったからか。


「ま、まあ心配ないから! 今日中に献立を決めて、練習しまくるつもりだし! ほら、試作用の食材もバッチリなの!」


 言って、星ノ瀬さんはどっさりと食材が入ったスーパーのレジ袋を見せる。

 その量の多さは、練習の過程で山ほど失敗すると見込んでいるからだろう。


「……なあ、頼ってくれないのか?」


「え……」


 それを言うのは、それなりに勇気が要った。

 お見舞いの時と同様に、俺たちの間にあるラインを少しだけ踏み越えようとする行為だからだ。


「今日のあのクラス会議の後、俺はずっとスマホをチェックしてたよ。でも、今の今まで、星ノ瀬さんから助けて欲しいっていうメッセは来てない」


「…………」


「迷惑ならもちろん何もしない。でも、俺としてはかなりモヤモヤする。あんなに世話になってる星ノ瀬さんが苦しい時に、得意分野で役に立てないのはさ」


 協力契約の内容を鑑みれば、星ノ瀬さんからSOSがない限り俺は動くべきではないのだろう。それが、適切な距離感というものだ。


 だから、こうして待ち伏せまでしたのは俺の欲求からの行動だ。

 俺は、星ノ瀬さんに頼られたいのだ。


「久我君に……そこまでしてもらうのはダメよ」


 協力契約を超えて、星ノ瀬さんの役に立ちたい。

 そう伝えた俺に、星ノ瀬さんは苦しそうな声で返した。


「久我君も見てたでしょ? 私は致命的に苦手なことを、自分の体面のためだけに引き受けたの」


(体面のため……)


 その言葉は、間違いではなくてもとても正確とは思えなかった。

 星ノ瀬さんが皆の期待に応えた理由は、そんな単純な二文字で収まるものなんだろうか?


「そんな自爆みたいなトラブルに……久我君を巻き込む訳にはいかないから」 

 

 自然発生したトラブルならともかく、自分が意図して呼び込んだものに関してまで協力契約を適用するのは図々しいと――そう星ノ瀬さんは言いたいらしい。


 だけどな、星ノ瀬さん。

 そう言われたら、やっぱり俺としては悲しいよ。


「……俺さ、今日の会議が終わった後、メチャクチャ後悔してたんだ」


「え……?」


「なんで俺はあの時リーダーに立候補しなかったんだって」


「は!?」


 俺の唐突な吐露に、星野さんは困惑と驚きが混じった声を上げた。

 だが俺としては、今日は一日中考えていたことだった。 


「俺は星ノ瀬さんが料理が大の苦手だって知ってた。おまけに、自分は他のクラスメイトよりは料理に詳しいっていう自信もあった。つまり、俺は立候補する動機もその役をこなす力もあったのに、ただ黙っていたんだ」


 というより、自分がそんな責任のある役に手を挙げるという選択肢が頭に存在していなかったと言う方が正しい。


「全部終わった後にそれに気づいて、我ながら凄く情けなくなった。俺は恋愛力を上げる努力を……つまりカッコ良くなる努力をしてたはずなのに、あそこで動けなかった俺は、今思い出してもメチャクチャカッコ悪かった」


 本当のイケメンを目指すのなら、あそこは手を挙げないといけなかった。

 自分の修行不足を、嫌でも痛感してしまう。


(今からでもリーダー交代ができればいいんだろうけど、まあ難しいだろうな……)


 恋愛ランキングFランクで発言力が低い俺が今更そんなことを言い出しても、皆は難色を示すだろう。

 もう日数があまりないことを考えると、あんまり現実的じゃない。


「だからせめて、星ノ瀬さんの手伝いをさせて欲しい。カッコ悪かった自分をちょっとでもマシにしたいし――」


 夕焼けが周囲を暁に染める中で、俺は隣人である少女に正直な気持ちを口にする。


「星ノ瀬さんが困っている姿を見ているのは、純粋に嫌なんだよ」


「な……っ」


 色々と理由を並べたし、それはいずれも正直な気持ちだ。

 だけど、最も大きい理由はそれに尽きる。


(……ん?)


 言いたいことを言い終えた俺に対し、星ノ瀬さんは何故か顔を手で覆って小刻みに震えていた。

 心なしか薄ら顔が赤くなっているが、その一方で妙に複雑な表情にもなっている。


「もう、本当に……ド真面目というか……全部素の気持ちで言ってるのがタチが悪いっていうか……」


 感心と呆れが入り混じったような様子でそう口にし、星ノ瀬さんはゆっくりと俺へ視線を向けてきた。何だか、さっきまでの思いつめた雰囲気が和らいでいるようにも感じる。


「……そこまで言われちゃったら私もプライドとか捨てちゃうわよ?」


「ああ、どんどん捨ててくれ」


 俺の返した言葉が少しツボに入ったようで、星ノ瀬さんはクスリと笑う。

 その表情は、背負っていた重いものを下ろしたような軽快さがあった。


「私ってば学校では優等生みたいな扱いされてて、家事がド下手なのに料理のことで皆をまとめろとか言われて、絶賛大ピンチなの」


「ああ、知ってる」


 困り顔で腕組みした星ノ瀬さんに、俺は苦笑しながら言葉を返す。

 ついでに言えば、家事の苦手さ以外にも、他人への気遣いに溢れていたり、人の本質を見る心を持っていたりすることも知っている。


「そんなちょっと抜けてる私を……久我君は助けてくれる?」


 上目遣いで尋ねられたその問いに、俺は満ち足りた顔で大きく頷いた。

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