第35話 調理実技テスト
星ノ瀬さんが風邪から回復して、一週間が経過した。
俺の生活は一見以前と変わりないように見えたが、その実凄まじい変化が起こっていた。
まあ、具体的には――
星ノ瀬さんから、たまに個人的なメッセが届くようになったのだ。
『昨日またゴミ出しを迷ったんだけど、ケチャップの容器とかあるでしょ? あれってペットボトルなの? プラゴミなの?』
『それはプラゴミだよ。容器にはどっかに必ずプラかPETってマークがあるから、それで見分けたらいい』
『え、そんなのあったの!? うん、わかったわ! ありがとう久我君!』
そんな感じで、内容は生活に関するちょっとした質問なんかが多い。
けれど、たまにコンビニで何かオススメのスイーツはないかとか、今日は日直なのに日誌に書くことがないのよね、などの雑談や愚痴も混じるようになった。
本人曰く、『久我君の恋愛レッスンの一環よ。女の子特有の唐突で気まぐれなメッセだけど、なるべく返信してくれると嬉しいかな!』とのことで、もちろん俺は全てのメッセに返信している。
「はいはい、みんな朝のホームルーム始めるわよー」
皆に隠れてコソコソと星ノ瀬さんへのメッセを返していた俺は、担任の魚住先生が入ってきて、慌ててスマホを隠した。
「えーと、家庭学の芝崎先生から連絡があるわ。この間プリントを配った通り、来週には調理の実技テストがあるので、全体のリーダー一名を選出して、献立の内容を今週中までに提出してほしいそうよ」
(家庭学の実技テスト……そういやそんな時期か……)
家庭学という教科は、以前は『家庭科』と呼ばれていたらしい。
しかし国が学校に恋愛教育を施すと決定したと同時に、少子化改善のために家庭教育の内容や重要度も見直されて科目名が変わったのだという。
昔は美術や音楽と同じくらいの扱いだったらしいが、現在では家事・家計・防災・料理などを学ぶ重要教科の一つで、大学によっては入試にも取り入れている。
「いやー、昔は調理実習なんて作って食べるだけだったけど、今じゃれっきとした『テスト』で、評価も補習もあるなんて先生からしたら未だびっくりよ。まあ、おかげでお米を洗剤で洗っちゃう男子とかはいなくなったらしいけど」
最後の洗剤のくだりで、クラスの中に笑いが起きた。
いくら昔とはいえ、そんなアホなことをするのは小学生が限度だろうし流石にジョークだろう。
……なんか星ノ瀬さんがうぐっとした表情で顔を伏せたような気がしたが、気のせいだと思っておこう。
「まあ、そんな訳でホームルームの時間をあげるから、ちゃんと決めて報告しておいてね!」
そう言って、魚住先生は「職員室で仕事してくるからー」と言ってさっさと教室を出て行った。後は生徒の自主性に任せるということだろう。
「ええと、それじゃ話し合いを始めましょうか。まず――」
そして、先生と入れ替わりで学級委員の星ノ瀬さんが教壇に上り、会議の音頭を取り始める。
だが――
(うーん、中々決まらないだろうなぁ……)
調理の実技テストは、個人ではなくクラス全体で評価が下される。
昔は班単位で採点していたらしいのだが、その班に料理経験者がいるかどうかで班ごとの評価に大きな差が出るケースが多発したため、クラス全体で評価する形式に変えたらしい。
その形式に沿って、調理テストの際には全体を指揮するリーダーを一人選出する。
これは創作ダンスの授業におけるリーダーと似たような役割なのだが……なかなかやっかいな仕事なのだ。
「うーん、立候補者はやっぱり誰もいない? 一応これをやると家庭学の点数がちょっとプラスされるらしいけど」
星ノ瀬さんが司会に立って、会議を開始してから二十分後。
肝心の調理リーダーに就くのを、誰もが嫌がっていた。
「あー、悪いけどアタシはパス! 普段料理とか全然してないから、まともにリーダーとかできないっしょ」
「あ、あたしもみんなにあれこれ指示するのは苦手で……」
「リーダーがレシピも考えないといけないんだろ? ちょっとなあ……」
誰もがその役を敬遠するのは、純粋に責任重大だからだ。
調理の実技テストリーダーは、まず作る料理の献立を作る必要がある。
本当は皆で話し合って決めるものなのだが、実際に意見を出し合うと中々まとまらないので、ほとんどのクラスはリーダーが決めてそれに他の生徒は従うという形を取っている。
そしてテスト当日、リーダーは皆が失敗しないように指導しないといけない。
さらに、皆の料理の出来があまりにも悪くて一定以上の評価を取れなかった場合は、クラスまるごと補習になるという多大なプレッシャーを負う。
(まあ、今回も公正にクジ引きかな……)
と、俺がことの成り行きを見守っていると――
「あ、じゃあ星ノ瀬さんにリーダーをやってもらうってのは?」
「!?」
誰かが唐突に言ったその一言に、俺はギョッと目をむいた。
「ああ、そうだな。うん、星ノ瀬さんだったら安心だし」
「他に頼めそうな人いないもんね……」
「どうかな星ノ瀬さん? お願いできない?」
(ちょ、ちょっと待て……!)
ほんの少しのきっかけで、クラスにはもうそういう流れができていた。
星ノ瀬さんに任せよう。星ノ瀬さんなら誰よりも立派にやってくれる。
だって、普段からあんなにも頼りになる人なんだから――と。
「あ、いや、えっと……」
皆からの期待のこもった視線を受けて、星ノ瀬さんは明らかに焦っていた。
顔色がどんどん青くなっていき、首筋に冷や汗すら浮かんでいる。
それも当然だ。
星ノ瀬さんは家事が大の苦手であり、調理においては包丁を片手で持つことをようやく覚えたレベルである。
調理実技テストのリーダーなんて、本人としてはどうあっても避けたいだろう。
(悪意はない……みんな純粋に星ノ瀬さんを信頼してる……)
皆が星ノ瀬さんを推しているのは、面倒な役を押しつけたいからじゃない。
皆の表情を見れば、単に星ノ瀬さんなら出来ると信じているだけなのがわかる。
成績優秀でいつも頼りになる彼女なら、こんなことは軽くこなせるだろうと罪悪感なく期待を寄せているのだ。
(それにしても……俺以外に星ノ瀬さんが家事苦手って知ってる奴いないのかよ!? あれだけ交友関係が広いんだから、女子の一人や二人くらい……!)
俺はクラスのギャル女子――小岩井杏奈の方を視線を向けるが、彼女は星ノ瀬さんを推薦こそしないものの、壇上の星ノ瀬さんが狼狽しているのを見て不思議そうに首をかしげていた。
どうやら彼女も、星ノ瀬さんの苦手を知らないらしい。
(う、頷くなよ星ノ瀬さん! メチャクチャ苦手な分野だろ!)
クラスの皆の星ノ瀬さんを推す声は、さらに高まっていた。
そして、皆の期待が集まるほどに星ノ瀬さんの顔は青くなっていく。
そんな状況の中、星ノ瀬さんは身を震わせながらようやく口を開き――
「ええ、わかったわ……私が今回のリーダ-をやってみる」
(な……!)
明らかに無理をした声で、どう見ても作り上げた笑顔で、星ノ瀬さんはそう宣言してしまった。
そして、教室の中に感謝の声が溢れた。
星ノ瀬さんに任せておけば大丈夫みたいなことを口々に言い、彼女が快諾したと誰もが信じ切っている。
(星ノ瀬さん、どうして……)
皆が安堵の息を吐く中で、俺だけが信じられという面持ちで彼女を見ていた。
どうして頷いてしまったのか。
一体どうして――そこまでしないといけないのか。
俺の胸は、その疑問で埋め尽くされていた。
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