第34話 いつの間にこんなイケメンな真似ができるようになっちゃったの


(……? 何だろ……)


 本当はベッドから身を起こしたくなかったけど、もし宅配の人だったら私が応じない限り何度も再配達させることになる。

 

 ぼんやりとした頭でそう考えた私は、パジャマの上に部屋着のケープだけを羽織ってリビングにあるインターホンへと足を進めた。


「え――?」


 私は、目を大きく見開いてしまった。

 何故なら、インターホンのモニターに映っていたのは宅配の人でも新聞の勧誘でもなく――


「……え、どうして……」


 ただでさえ熱で混濁している思考は、モニターの通話モードで話すという考えすら失わせていて、私は重たい身体を引きずって玄関へと急いだ。


 そして――


「あ、ひゅ、ここ、こんばんわ……! キツい時にホントごめんっ!」


「久我、君……」


 玄関ドアを開けると同時に外気が部屋に入り込み、訪問者であるクラスメイトの顔がよく見えた。


 久我錬士君――私のお隣さんで、とあるきっかけで家事の先生をやってくれている料理上手な男の子。


 恋愛のために日々努力している、真面目で頑張り屋さんの顔がそこにあった。


「あ、あああ、あの! 体調の悪い時にチャイム鳴らして悪い! こ、これ、お見舞いの差し入れ! 迷惑だったら捨ててくれていいから!」


 何故か酷く焦っているような声とともに、久我君は紙袋と保温カバーを被せた鍋を渡してきた。


 私はそれを呆然と受け取りながら――熱でぼんやりとした頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。


「……どうして、そんなに緊張してるの……?」


 そう、久我君は私たちが交流し始めた頃に戻ったみたいに、ガチガチに緊張していた。


 今でも女子への緊張は消えた訳ではなくある程度耐えられるようになっただけらしいけど、それでも私とは女子慣れの特訓をしていることもあり、最近は平気を装えるくらいにはなっていた。


 けど今は――声が上ずっているばかりか滝のように汗を流していて、挙動の全てが油切れのブリキ人形みたいに固くなっている。


「い、いやそれは……協力外のことだから……」


「……協力外……?」


「と、とにかく、渡したやつ、良かったら食べてくれ! それじゃな!」


 それだけを言い残して、久我君は緊張に耐えかねたようにお隣である自分の家に入っていった。


 そして残された私は、普段より働かない頭でぼんやりと考える。

 『協力外』とは、一体何のことだろうと。


(……ああ、そっか……)


 そして、私はようやく理解する。

 あの電子レンジの火事騒ぎ以降、私たちが一緒にいたのはいつも協力関係に基づいてのことだった。


 放課後に資料室で一緒にいるのも恋愛レッスンのためであり、お互いの家に行き来しているのも家事指導のため。昨日の美容院だってその一環だ。


 けれど、今日のこれは違う。

 私が風邪を引いて、それを心配した久我君はお見舞いの差し入れを持ってきてくれた。


 『協力』に関係ない――久我君の純然たる好意だった。


「――――」

 

 そう考えた時、私の胸にわだかまっていた黒いモヤモヤの多くが溶けるように消えてくれた。その代わりに、弱った心を補うような何かが、胸の奥から少しずつ湧いてくるような感覚があった。


「いっぱい、もらっちゃったわね……」


 私はとりあえず玄関のドアを閉め、もらった差し入れをリビングに運んだ。

 

 紙袋の中は、病人のためのセットだった。

 スポーツドリンク、ミネラルウォーター、プリン、栄養ゼリー飲料、風邪薬、バニラアイス。

 どれもこれも、今の私にはとてもありがたい。


 それと――保温カバーの中には、小鍋とタッパーが入っていた。


 小鍋の中身は玉子、椎茸、人参、白菜などが入った五目雑炊であり、久我君の手作りなんだろう。

 タッパーには加熱済みの鶏団子が入っていて、『食べられそうだったら入れてくれ』という彼らしい気遣いのメモ書きがついている。 


「ふふ……お母さんみたい……」


 私は今日初めてかもしれない笑みを浮かべ、差し入れの鍋に鶏団子も入れてコンロにかけた。

 少しすると鍋はグツグツと煮え始めて、私の部屋に手作り料理の香りが満ちる。


「いただきます……」


 ダルい身体のままにテーブルについた私は、取り分けた小皿の中で湯気を立てる雑炊に手を合わせ、熱々のそれをスプーンで口に運んだ。


「ん、はふっ……美味しい……」


 今日一日ほとんど食べ物を口に入れていなかったことを差し引いても、ショウガが効いたそれはとても美味しく、身体がとても喜んでいるのがわかった。

 

 そしてそれ以上に――


(ああ……)


 さっきまで冷え切っていた心に、温かいものが満ち溢れていた。


 久我君の気持ちが、その優しさが胸に染み渡る。

 私のことを心配してお見舞いに来てくれたこと、私のためにこんな美味しいものを作ってくれたこと。


 その想いと行いの全てが、涙が出るほどに嬉しかった。


「……もう、いつの間にこんなにイケメンな真似ができるようになっちゃったの」


 雑炊の熱さのせいか、私の瞳はいつの間にか潤んでいた。

 身体がポカポカと暖かくなっており、この私だけしかいないこの部屋にいながらも、いつの間にか孤独感は胸の中から溶けて消えていた。


「……ありがとう、久我君」


 万感の想いを込めて、私は彼に深くお礼を唱える。

 今日この日に抱いた心が満たされる感覚を、彼の顔と一緒に何度でも思い出せるように。


■■■


 小鳥がチュンチュンと鳴く、登校前の時間。

 俺こと久我錬士は、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま朝の身支度を進めていた。


(昨日は、かなりお節介したな俺……)


 お節介とは、言うまでもなく星ノ瀬さんへのお見舞いのことだ。

 普通、一人暮らしの女の子のお見舞いなんて同性の友達か家族、ないしは恋人にしか許されない所業であり、俺はその資格を満たしているとは言えない。


 けどそれでも、俺は彼女にお見舞いの差し入れをしたいという衝動を抑えきれず、それを実行した。


(踏み込みすぎちゃったのは確かだな。もしかしたら嫌われるかもしれないけど……まあ、その場合は仕方ないな)


 俺は、星ノ瀬さんのプライベートな事情を知りすぎてしまい、彼女が一人で熱に苦しんでいる姿をより鮮明にイメージできてしまったのだ。


 だからこそ、余計なお世話を焼かずにはいられなかった。

 そういう気持ちが、昨日の俺には満ちていたのだ。


(さて、じゃあ行くか。星ノ瀬さん風邪が治ってるといいけど――)


 そう胸中で呟きつつ通学カバンを手に玄関のドアを開けると――


「おはよう、久我君」


「っ!?」


 そこには、今俺がずっと頭に浮かべていた少女が、俺を待ち伏せるかのように制服姿で立っていた。


「ほ、星ノ瀬さん!? ど、どうして……もう身体は大丈夫なのか?」


「ええ、昨日の夜には平熱になったわ。うん、やっぱり健康って素晴らしいわね」


 玄関を開けたら、『恋咲きの天使』が俺を待っていた――そんな予想外すぎる状況の狼狽する俺とは裏腹に、星ノ瀬さんは実に上機嫌だった。


「ええと、まずこれね。ちゃんと洗ってあるから」


「あ、ああ……」


 未だに混乱している俺に渡されたのは、俺が昨日渡した雑炊の鍋やタッパーが入った保温カバーだった。


 俺はとりえあずそれを受け取り、玄関の靴箱の上へと置いておく。


「いやもう、流石久我君よね。すっごく美味しかったわ。お鍋全部をペロリと平らげちゃって、おかげで今日は元気いっぱいよ!」


「そ、そうか……良かった」


 どうやら俺の雑炊は口に合ったようで、俺のお節介が迷惑になってなかったことにかなり安堵する。


「……一人暮らしの風邪って初めて経験したけど」


「え……?」


「本当にキツくて心細くて辛いわね。余計なことがどんどん頭に浮かんじゃって、なんだかずっとネガティブな気分になってたわ」


 身体がしんどい時の、一人暮らしの孤独感。

 星ノ瀬さんにとってもそれは辛いものだったようで、語るその表情には深い疲れが薄らと見える。


「だからね、凄く感謝してる」


「え――」


 不意に星ノ瀬さんが俺へと一歩歩み寄り、その白い手を俺の手に絡ませた。

 彼女が俺の手を両手で包んでいるのだと理解するのに、たっぷり数秒はかかった。


「え、え……!? ほ、星ノ瀬さん?」


「このお礼は、いつか必ずさせて欲しいわ。どうやって返すのかすぐには思いつかないけど……そうね、私が久我君の言うことを何でも聞くとかでもいいけど」


「ふぁっ!? な、何言ってんだ!?」


 からかっているのか本気で言ってるのか、星ノ瀬さんは俺の手を握ったまま思案するかのような顔でそんな爆弾発言をぶちかます。


(……や、やばい! このままじゃマジで気を失う……!)


 彼女の信じられないほどに艶やかな指が俺の手に、蠱惑的な感触を伝え続け――俺は脳のヒューズが飛んでしまわないように必死だった。


 俺の女子緊張症は耐性こそ多少ついたものの克服にはほど遠く、会話ならまだしも女子との身体的な接触は俺のキャパを超越してしまうのだ。

 

 ましてや、俺が知る限り最も可愛い少女である星ノ瀬さんの指が絡んでいるのだから、その破壊力たるや頭の中に手榴弾を投げ込まれたかのようだった。


「――ありがとう、久我君」


 顔を真っ赤にしている俺に、星ノ瀬さんは至近距離から囁くように言う。


「お見舞い、本当に嬉しかった」


 そして、誰しも憧れる美貌が無垢な笑顔となって、星ノ瀬さんは心からの感謝を告げる。


 それは俺一人に向けられたものだと信じ難いほどにあまり素敵な――大輪の花が咲くような笑みだった。

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