第30話 美容室に行こう!

 

 思えば、ここ最近は初体験とそれに伴う緊張の連続だった。


 女子と話し、女子の家にあがりこみ、女子を家に招き入れ、女子と見つめ合ったりウェットな会話を特訓したり、恋愛実習でほぼ初対面の女子を楽しませるべく奮闘したり――本当にジェットコースターの如き怒濤の日々だった。


 そのおかげで、俺はほんの少しだが精神的に強くなった。

 女子緊張症は依然としてあるものの、確実に改善はできているだろう。


 だが――こんな状況は流石に全身カチコチになっても流石に仕方がないと思う。


「お待たせ久我君! それじゃ行きましょうか!」


「あ、ああ……よろしくお願いします……」


 木曜日の放課後。

 街中の駅前で落ち着かない心を抱えて待っていた俺は、約束通り星ノ瀬さんと合流を果たした。

 なお、お互いに下校時と同じく制服姿のままである。


 お互いに帰宅してから、また別の場所で待ち合わせる――こんな回りくどいことをするのは、学校の奴らに見られないようにするためだ。


(まさか星ノ瀬さんと、放課後に街を一緒に歩くことになるなんて……)


 俺は緊張の汗を流しながら、どうしてこんなことになったのかを追憶する。


 そう、きっかけは先日のことだった。

 あの溝渕とかいう男子との騒ぎがあった翌日に、星ノ瀬さんの恋愛レッスンを開催してくれて――その場で髪が伸びていることを指摘されたのだ。


『やっぱり身だしなみは最重要よ? まあ、久我君は綺麗にしている方だと思うけど、髪は改善の余地ありかも』


 そんな話題から俺が普段近くの理髪店を利用していると告げると、星ノ瀬さんはクーポンがあるからと一度美容院で切ってもらうことを勧めてきたのだ。


 ただ、俺としては正直気後れした。

 何せ、俺は生まれてこのかた一度も美容院なんて行ったことがない。

 俺のようにお洒落に疎いガキが敷居を跨いでいい場所ではないような気がして、恐れ多く感じるのだ。


 そう告げると、星ノ瀬さんはふむふむと頷き――直後にとんでもないことを言い出したのだ。


『じゃあ、私も付き添いで一緒に行ってあげる!』


 そうして、俺たちは放課後に待ち合わせて、星ノ瀬さんご推薦の美容室へ向かっている訳なのだが――


「ふふ、やっぱり緊張する? 別にそんなに怖いとこじゃないけど」


「そりゃあ、まあ……とにかく美容院って大人の女性が行くハイクラスな場所ってイメージがあるんだよ。お洒落なカフェと同じくらい入りにくいって」


「あはは、全然そんなことないってば! 今は高校生なら女子でも男子でも当たり前に美容院に行く時代よ? 一度経験したら平気になるから、とにかく行ってみたらいいから!」


 俺が口にした不安を、星ノ瀬さんは明るく笑い飛ばした。

 こういう相手を元気付ける時の彼女の笑顔は、まるで魔法のように胸に染み渡る。


(まあ正直、美容室なんかより星ノ瀬さんと街を歩いている今の方が緊張するけどな……!)


 お互いの家にまで行っておきながら今更という気もするが、こうやって放課後に二人して外出というのは、なんだか凄くいけないことをしているような気分になる。

 

 さっき星ノ瀬さんから『お待たせ久我君!』なんて言われた時は、ただでさえドキドキしていた心臓がバネ仕掛けみたいに跳ね上がったものだ。


(ああもう落ち着け俺……! これも恋愛レッスンの一環で、星ノ瀬さんは何とも思ってない! こういうことでいちいちオタオタするな!)


 女子との交流経験が薄いせいであらゆることにドギマギしてしまう自分を奮い立たせ、俺は夕方近くの繁華街を星ノ瀬さんと並んで歩く


 星ノ瀬さんおすすめの美容院には、意外とすぐに辿り着いた。


■■■


「「「いらっしゃいませー!」」」


「……………」


 ファッショナブルな店員さんたちに迎えられ、俺はしばし硬直した。

 何故なら、目の前に広がっているのが想像以上のお洒落空間だったからだ。

 

 星ノ瀬さんおすすめの美容院は、カジュアル寄りではなくなかなかにゴージャスかつスタイリッシュな内装をしており、俺が足を踏み入れていいのか本気で心配してしまう。


「……だ、大丈夫なのかこれ? 俺、安物のシャツ姿なんだけどドレスコードとかで弾かれたりしないか?」


「ぶふっ……! だ、大丈夫よ久我君。高級レストランじゃないんだから」


 早くも敷居の高さを感じている俺に、星ノ瀬さんは気楽に笑う。

 ドレスコードは相当にウケる発言だったらしいが、その可能性を危惧してしまうくらい緊張していることはわかってほしい。


「星ノ瀬さん、こんにちわー!」


 俺が初っぱなからビビっていると、一人の女性スタッフ出てきて声をかけてきた。

 若くて綺麗なお姉さんで、ネームプレートに『姫風』と書いてある。


「こんにちわ姫風さん。今日はよろしくお願いします」


「ええ、今日はお友達の紹介と付き添いってことだったわね……って、え!?」


 星ノ瀬さんの顔なじみであるらしき美容師さんは、俺を見るなり目を見開いた。


 まあ、星ノ瀬さんほどの美少女が男子――それも俺のような平凡な奴を連れてきたら少なからず驚くのも無理はない。


「あ、いえ、久我さんですね! 私いつも星ノ瀬さんの担当をしている姫風と申します。それじゃお席にご案内しますのでこちらへどうぞ!」


 流石にプロなだけあって美容師さんはすぐに表情から驚きを消し、完璧な接客スマイルを浮かべて見せた。


 し、しかし、いよいよか……うう、なんとも心細い……。


「それじゃ久我君、私は待合室で待っているから初めての美容院を楽しんでね!」


「あ、ああ……」


 売られていく子牛みたいな顔になっているであろう俺が面白いのか、星ノ瀬さんは実ににこやかな笑みを浮かべて手を振っていた。


 なんだか、付き添いの親から離れる子どもみたいで我ながら恥ずかしい……。


「さて、本日はご利用どうもありがとうございますね! カットはいかがいたしましょうか」


「……ええと『全体的に短くして、ただし頭頂部はふわっと長めに残して、襟足は今くらいをキープで。それと頭の両ハチが膨れる傾向にあるので左右の大きさが同じくらいになるようにカットして、前髪は目にかからない程度にしてください。あと眉カットもお願いします』」


「はい、かしこまりました! ワックスはつけていかれますか?」


「『はい、お願いします』」


 当然ながら、このオーダーは俺の希望を元に星ノ瀬さんが授けてくれた呪文であり、俺は正直どのような髪型になるのかイメージがついていない。


 だがこれで後は切ってもらうだけだろうと、俺はようやく安堵して身体の力を抜いた。


「あの、さっきは君を見て驚いた顔になっちゃってごめんなさい」


「え? あ、いえ、別に気にしてないです。俺の安っぽい服装が場違いなのかもって焦っちゃったですけど」


 ハサミを動かしながら、美容師の姫風さんはおだやかに話しかけてきた。


 幸いにして俺の女子緊張症は同年代以外にはあまり反応しないので、年上の綺麗なお姉さんに対して何も喋れないということはなかった。


「ううん、違うのよ。君を見て驚いたのは服装とかそんなことじゃなくて、星ノ瀬さんが連れ来たってとこ。だってあの子が男の子を連れてくるなんて初めてなんだもん」


「……そうなんですか」


「ええ、そうよ。同年代の女の子ならたまに連れてきてくれるけど、男の子は今まで一切なし。ふふ、つまり君は特別ってことね」


「か、からかわないでくださいよ」


 『特別』というくだりで頬を赤くしてしまった俺に、姫風さんは大人っぽい余裕のある笑みを浮かべる。


「ねえ、星ノ瀬さんっていい子よね」


 少し声のトーンを落とし、姫風さんは囁くように言った。


「あの子は以前からこの店に来てくれててね。とっても美人さんで、明るくて礼儀正しくて……お客さんをひいきしちゃいけないけど、ついついあの子のカットは気合いが入っちゃうわ」


「ええ、凄くわかります」


 姫風さんの言葉に、俺は深く同意した。

 あんな容姿端麗かつ素敵な子がお客さんで来てくれたら、美容師さんもついつい頑張っちゃいたくなるだろう。


「でも、あんなに楽しそうな星ノ瀬さんの顔は見たことないわね」


「え――」


 俺の正面にある鏡に映る姫風さんは穏やかな笑みを浮かべ、チョキチョキとリズミカルにハサミを動かしつつ続けた。


「何人もの女の子の友達と来た時よりも、今日君と来た時の方がずっと楽しそうで生き生きしてるわ。ふふ、あんな可愛い子に心を許してもらうなんて、君って大人しい顔して凄いのね」


「あ、いえ、それは……ちょっと諸事情で、星ノ瀬さんは俺に外向けの顔をする必要がなくなってるので……」


 星ノ瀬さんは、プライベートと学校では見せる顔が異なる。


 学校でも決してお固い様子はなく、皆に気さくな笑みを見せているが……やはり恋愛ランキング一位のSランクという肩書きのためか、誰にとっても頼れる存在であろうとしている印象がある。


 だが、家での彼女はもっとポンコツかつ子どもっぽいところがある。

 学校よりも叫ぶし涙目になるし、へこんだりはしゃいだりと感情が明らかに豊かになっている。

 そういう面を知っている俺と一緒だと、変に気を張る必要がないのだろう。


「あら、ますます素敵じゃない」


 にっこりとした笑みを浮かべて、姫風さんは俺たちの関係をそう評した。


「仮面をかぶらないで、自分をさらけ出せる相手。そういう人は、本当に貴重で得がたいものなんだから」


 纏ったカットクロスの上に自分の髪がパラパラと落ちていくのを眺めながら、俺は美容師さんの含蓄がこもった言葉を受け止める。


 そして、ふと考える。


 星ノ瀬さんは今家族と離れて暮らしており、交友関係は広くとも親友と呼べる相手はいないとも言っていた。


 であれば……いや、本当に自信過剰すぎると自分でも思うけれど。


 星ノ瀬さんが仮面を外して話せる相手は――もしかして俺以外にはいないのではないのだろうか?

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