第6話 ウチで夕飯食べていかないか?
「本当にごめんなさい……大家さんへの説明まで手伝ってもらっちゃって……」
「いや……どうやって消火したのかは俺が説明すべきだっただろうし」
管理人室で大家さんへの説明を終えた星ノ瀬さんと俺は、それぞれの部屋へ戻るべくマンションの廊下を揃って歩いていた。
あの後――大家さんから『うん? あなたってお隣りの久我君? なるほど、あなたが駆けつけて消火してくれたのね。じゃあ、あなたも管理人室に来て頂戴な』と言われ、それから星ノ瀬さんと二人で今まで事情聴取に応じていたのだ。
(まあでも……悪くない気分だな。火事から星ノ瀬さんを助けることができたんだし、こうして並んで歩くっていう貴重な体験もできたし)
今まで登校や帰宅時間が見事にズレていたのか、俺は星ノ瀬さんの姿をマンション内でみかけることはなかった。
だから、こんな非常事態でも起こらない限り、俺は彼女がお隣さんということすらずっと気付かなかったかもしれない。
「改めてだけど……本当にありがとう」
それぞれの部屋の前まで戻ってくると、星ノ瀬さんは改めてお礼を口した。
「冷静になればなるほど、本当に危ないところだったんだって怖くなるわ。久我君がいてくれて、本当に良かった……」
「あ、いや、別に大したことじゃ……」
火事が収まったことで、俺たちはいつもの俺たちの近づいていた。
星ノ瀬さんは何だかいつも通りの優等生的な雰囲気に戻っていたし、麻痺していた俺の女子緊張症も徐々に顔を出し始めている。
実は、さっきから星ノ瀬さんと会話するだけで冷や汗が増えているし、言葉もしどろもどろになりがちだ。
「それじゃあ、またね久我君。このお礼はいつかするから……うっ」
別れの言葉とともに、星ノ瀬さんが自宅のドアを開ける。
すると――そこから猛烈な煙臭さが漂ってきた。
それは考えてみれば当然だった。
星ノ瀬さん宅の消火から管理人室での説明を終えるまで、せいぜい二十分くらいしか経っていない。
そんな短い時間じゃあそこまで立ち上っていた煙は完全に消えてはくれないし、煙の匂いも強烈に残っているだろう。
「………………………(パタンっ)」
星ノ瀬さんはそっと自宅のドアを閉めて、絶望的な面持ちで立ち尽くす。
確かにあの煙たさでは、とても中にはいられない。
窓を全部開けて換気するしかないが、それにしたって煙臭さが消えるまでに数時間はかかると思う。
そして、星ノ瀬さんは途方にくれる。
もう夕方なのに家に入れないというどうしようもなさに、表情が虚無になっている。ともすれば、今にも泣いてしまいそうだった。
その表情が、あんまりにも気の毒で可哀想だったから――
「あの……星ノ瀬さん」
つい、本当につい。
本当にふとした衝動のままに、俺は自分の正気を疑うようなことを口にしてしまった。
「もしよければ、換気が済むまでウチにいるか?」
■■■
自分の心臓がバクバクとうるさい程に早鐘を打っているのを感じながら、俺は冷や汗にまみれていた。
今俺がいるのは、慣れ親しんだ一人暮らしの部屋だ。
だがそんないつもの自宅も、そこに天界から降臨したかのような天使が存在していればまったく未知の空間となる。
「へー、部屋が同じ作りだから、インテリアの差が何だか新鮮ね。私の部屋より広く感じるわ」
興味深そうに俺の部屋を眺めているのは、俺の対面に座る女子だった。
星ノ瀬愛理――学園における恋愛ランキング一位に位置する『恋咲きの天使』。
俺の学校における大勢の男子が憧れるアイドルは今――あり得ないことに、俺の家でFランク男子の俺と二人っきりになっていた。
「いやもう、何度お礼を言ったらいいかわかんないけど、ありがとう久我君! 私の家ってばとても入れた状態じゃなかったから、助かったわ!」
「ど、どど、どういたしまして……」
女子緊張症を発症した俺は、意味のある返事を返答できているのが奇跡なほどに全身が硬直していた。
ただでさえ相対した女の子が可愛いほど身体が固まってしまうタチなのに、自分の家にあの『恋咲きの天使』がいるという事実に、俺の小さな精神キャパは今にも決壊しそうである。
(自分で提案したことだけど、どうしてこうなった……!?)
――『もしよければ、換気が済むまでウチにいるか?』
つい先程――自分の口からぽろりと出たその言葉に、他ならぬ俺自身が極度に焦った。
誓ってそうじゃないが、家へ誘うなんて『そういう目的』だと思われても仕方ない。あの朗らかで優しい星ノ瀬さんに、軽蔑の目で見られる――それだけが怖くて自分の考えなしの発言を悔いたのだ。
だが――
『い、いいの!? あ、ありがとぉ! いやもう、お金もあんまりないし、これからどうしようかと……! 思いっきり言葉に甘えさせてもらうわ!』
そんな意外すぎる反応を返されてしまい、結局こうやって自宅の換気が終わるまで星ノ瀬さんにはこの部屋にいてもらうことになったのだ。
もちろん俺が一人暮らしであることも伝えたのだが、それでも星ノ瀬さんは『あ、そうなんだ? お互い高校生で一人暮らしなんて珍しいわね』とさほど気にしていない様子だった。
まあ、俺みたいなヘタレに何かできると思っていないのかもしれないが……。
「…………うん? あれ、久我君って、さっき一人暮らしだって言ったわよね?」
「あ、うん……そうだけど……」
今更危機感を覚えたのかと思いきや、星ノ瀬さんの顔はそんな感じではない。
俺ではなくて部屋の全体……特に床などを眺めながら不思議そうに言っている。
「お母さんとかが定期的に掃除に来てるの? なんだかどこを見ても埃一つなくて、床もピッカピカなんだけど……」
「え? い、いや親は遠くにいるよ。普通に俺が掃除してる」
「えっ!?」
俺がそう答えると、何故か星ノ瀬さんは極めて驚いた顔を見せた。
「ちょ……嘘でしょ!? 男の子が一人で住んでいる部屋ってこう……もうちょっと散らかっているものじゃないの!? いくらなんでも綺麗すぎない!?」
「あ、いや……床にものを置かないで定期的に掃除機や雑巾をかけたりしてるだから。別に大したことはしてないって」
「そ、そんな……! これが普通!? それじゃ私ってばメチャクチャズボラってこと!?」
星ノ瀬さんは何やらかなりのショックを受けた様子で、頭を抱えていた。
なんだか、学校でのイメージと本当にギャップがあるな……。
(あれ……? なんか俺、緊張が薄れてきた?)
ふと気付けば、恋咲きの天使と一つ屋根の下にいる緊張はかなり薄まっていた。
さっきから表情をくるくると変える星ノ瀬さんを見ていると、なんだか和みこそすれ『怖れ』がどんどん少なくなっていっているのだ。
(特に……『星ノ瀬さんってこんなに可愛いけど、電子レンジで肉まん爆発させたんだよな』って思うとなんだか緊張が緩んでくるな……)
星ノ瀬さんとしてはアレは記憶から抹消したい程のやらかしかもしれないが、俺はなんとなく今後何度も思い出しそうな気がする。
そしてそのたびに、今日のことを思い出して顔をほころばせてしまうだろう。
しかし、電子レンジのことといい、部屋を散らかしてしまっているらしきことといい……。
「もしかして……星ノ瀬さんって家事が苦手なのか?」
「うぐ……!」
ポツリと零した俺の言葉に、星ノ瀬さんはピシリと固まった。
もの凄く痛いところを突かれて、言葉を失っているようにも見える。
「あ、いや、ごめん。別に悪く言うつもりじゃ……」
「ふ、ふふ……いえ、いいのよ。今日は本当に恥ずかしいところばかり晒しているわね。なんかもう、自分でも笑えて――」
その時、俺は聞いてはいけない音を聞いてしまった。
星ノ瀬さんの身体から聞こえる、生理的にどうしようもない音。
具体的にいうと『ぐー』という音だった。
「「……………………」」
顔を真っ赤にして固まってしまった星ノ瀬さんと俺との間に、気まずい沈黙が降りる。正直聞こえなかったことにしてあげたいが、もはや手遅れであることは明白だった。
「……あ、あのさ、星ノ瀬さん」
それは本来、俺みたいな非モテでは口が裂けても言えないことだった。
けれど、家に帰れずお腹も空かせている星ノ瀬さんをそのまま放置するなんてできず、衝動的に提案してしまっていた。
「もしよかったら……ウチで夕飯食べていかないか?」
可能な限りお腹の音に触れず気を遣った俺のお誘いに……星ノ瀬さんは赤面したまま黙って首を縦に振った。
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